〜『見られる性』への男女意識格差〜

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更新頻度は低いが、自分の抜けていた部分を気付かされるのがここのサイト。
80年代の「労働力ほかの対価を提供しなければモテない男」の代表格といってもいい、アッシー、メッシーを「見られる性」と定義する視点にハっとする。
現在、個人的に調べている80年代の風俗史を見ていると、ちょうど80年代の半ばに「普通の女性がアダルトビデオに出ることが許容される空間」という性の商品化のある種の完成形ができあがってきつつあったこととの符号が興味深い。
ちょうど古雑誌を山と買っていたのを、この視点で整理してみるか。表データという意味では下記も参照。
ファッション誌のイロイロ - TRiCK FiSH blog.
あと面白いなぁと感じたのは、見られる性に関しては、地域格差があるということだろうか? それがティーン文化においてどのような影響を与えているかまとめてみたいのだが、時間ないなぁ。
大阪:−他人から見た面白さ・笑いという基準を重視−
九州南部:−男社会での、男度の評価が他地域より重視−
とか? う〜ん。
【追記】セクシーの術
コスプレィヤー・フェミニズム宣言

男性文化ではまだ充分に、この「セクシーの術」というのが一般化されていないのだと思う

セクシーの術というすごい名言にうならされた。疑問に思っていたことを完璧に言い表している。
今週は男性向け総合誌を読む週なんですが、UOMO創刊以降の習慣として読みまくっているんですが、たぶん、男性がセクシーの術を使えるようになるのは、ある程度、精神年齢がいってからなのかもしれないと思った。「青い月と魔の森」は確かに面白い。