「すくらっぷブック」を「げんしけん」視点で再評価−男子の学園生活観の変遷

げんしけん」の話題からでてくる。「げんしけん」へと繋がるルーツの中において、その原点として「うにばーしてぃBOY」「究極超人あ〜る」の前に、小山田いく「すくらっぷブック」を置かねばならないのではないかという指摘に納得してちょっと考えてみる。

小山田いく「すくらっぷブック」

「ボクたちの思春期グラフィティ」というキャッチフレーズ秋田書店「少年チャンピョン」にて連載。
舞台は長野県小諸市。中学生たち恋や進学に悩む中学生のほのぼの学園生活を描く。

小山田いく「すくらっぷブック」→細野不二彦「うにばーしてぃBOY」→ゆうきまさみ究極超人あ〜る」→木尾士目げんしけん

こんな感じの流れか? 連載開始の年後はまだ未チェック。文化系男の子が憧れる学園生活の流れ。たがみよしひさ「軽井沢シンドローム」あたりは、けっこう境界線?

ちょっと自意識過剰な中高生が、こんな学園生活を送れたら楽しいだろうなぁという仮定上にハマっていた可能性が非常に強い。
オタク第1〜1.5世代あたりの小山田いくへの思い入れの強さはスゴイ。以前、オイラよりも年齢が上の人間が、かなり思い入れたっぷりに「小山田いく」論を語っていてビックリした記憶がある。ハードSF系が好きなSF読みの人だったのだが、熱弁を振るって自分にとっていかに小山田いくが影響を与えてきたかを話していた。
こうした自分がおくることが出来なかった(もしくは進学したらこういう学園生活を送ってみたい)という理想化された学園生活だとは思う。
ネット上において、げんしけんは、『現在の究極超人あ〜る』」という言説が流布した時に「俺たちの光画部はあんな「げんしけん」のようなものとは違う!」という感じで第2世代オタクが声をあげまくったのと同じような熱狂が「すくらっぷブック」の背後にも存在している。
5年に1度程度のスパンで出てくる感じか?
こういうエントリを書くと「すくらっぷブックは、「げんしけん」のようなものとは違う!」という反応がでてくるだろうか? わりとこの部分を分析していくと、「リアルな学園生活」*1というものをどのように文系男子が考えていたかという変遷が浮き彫りになってくるか。
【補記】
当然のことであるが、文系男子が創造する理想化された学園生活であるがゆえに

  1. 大野さんはサークルクラッシャーではない
  2. 荻原はあくまでカワイイ。化粧に気をつかわないが、ブサオタではない

このあたりのファン層意識・理想学園コミックの読まれ方を上手くすくい取ってみたい気がするが……。
時間がないなぁ。
【追記02】
ラブロマの読まれ方を考えておく。加えていうのであれば「あおいちゃんパニック」の受容のされ方も検討。

*1:オタク・サブカル層がリアルという言葉を好きということについても色々書かねばならないことがある。まぁ学園生活自体が実はヴァーチャルな社会だから何だけど