関羽信仰の時代変遷:特に称号の変遷

(入院中の書いたのがようやくアップ)
台湾でやたら関羽廟や斉天大聖廟なんかをみたのでちょっと関羽信仰を調べる。日本でのスーパーマジカルチャイナには、二郎真君は頻出するが、関羽はほとんど出てこない。日本では三国志人気が巨大過ぎるのでかえって実在の人物からの神仙は使いにくいというのがあるのだろう。ソースは『中国の神様 神仙人気列伝』二階堂善弘より。

顔良文醜を討ち取った功績?で、<漢寿亭候>となる。次に荊州全体を統括する<前将軍>に任ぜられる。最終的には劉蝉により<壮繆候>に封ぜられる。

曹操劉備が『真霊位業図』において地獄の判官の地位を与えられているのに対して、関羽はほぼ忘れられている。ただし関羽終焉の地である玉泉山には廟があったらしい。

  • 唐代:

関羽は怨霊(鬼)として怖れられる。「関三郎」という名が散見。仏教の僧侶が関三郎の怨霊を諭したという逸話も残る。このあたり「火雷天神」こと菅原道真と近い扱いを受ける。

  • 宋代:

北宋の時代になって、関羽の故郷である解州において洪水をなすミズチを関羽が倒すという民話が流布。「関元帥」と呼ばれて「元帥神」の一種としての道教の神将としての神性を得つつある。しかしながらまだそれほど地位は高い神ではなく、張天師という道教の道師に使役された形での登場。張天師とは『水滸伝』において百八の魔星を封印した道師。しかしながら関羽の人気は高まり<崇寧真君>という地位が皇帝から追贈される。民間では元帥神の南方守護者となる(顔が赤いから)。称号は<ホウ都馘魔元帥>

  • 元代:

元の王朝から<顕霊義勇武安英済王>という称号が追贈される。ここにいたって単なる地方官に過ぎなかった関羽が、公的に王の地位に就くこととなる。民間では<義勇武安王>と呼ばれる。

  • 明代:

関羽信仰がどんどん強まる。明の太祖・朱元璋はあまりに加熱する追贈を辞めたが、次の皇帝ですぐ<義勇武安王>の地位に復帰。その後に<関聖帝君>という称号が定着しするようになる。すると明末に<三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君>という称号が明朝から追贈されて、ついに皇帝の地位に就くこととなる。関羽が<伏魔大帝>と呼ばれるのは、この明代に贈られた称号に発する。

  • 清代:

清王朝自体が、非常に三国志に傾倒する。そのため追贈された称号は<忠義神武霊佑仁遊勇威顕護国保民誠綏靖翊賛宣徳関聖大帝>という仰々しいモノとなる。ここで関羽信仰は完成する。