高橋留美子解釈の試案、その1

40代〜50代向けのコンテンツとして漫画企画をやって欲しいという依頼があった。
先方の要望として「あしたのジョー」をやって欲しいというのがあり、これも勿論やる。
けれども余りに十年一日過ぎるので、ちょっと趣向を変えて、高橋留美子特集も提案しようと思っている。
養老猛さんと高橋留美子対談とかも良いかなと思ってる。あー古田新太でもいいのか?
ちなみに乙木は《まったく》高橋留美子ファンではないのだが、乙木より上の世代には巨大な高橋ファン層がいるし、某氏の「オタクの父親は富野由悠季、母親は高橋留美子」というのには確かにうなづける処があるので考え中。
高橋留美子伝説」を集めないといけないなぁ。
高橋留美子 - Wikipedia
wikipediaの記述が良くできているので、ちょっと引用する

彼女の新規性は、

1.日常と同居するSF
2.ストーリー漫画とギャグ漫画の境界の撤廃

にある。

1に関しては、例えば押入れが海王星に繋がっており、そこでガールフレンドとその友人と再会するとか、宇宙人(複数)が正月に振袖を着て日本人と百人一首をやるというような、本来SF漫画として扱われるものが、日本人の日常生活のなかに違和感無く共存させている点などが挙げられる。吾妻ひでおも同系統の作法を用いて自己の漫画世界を構築しているが、後者の場合、「日常」と「SF」との乖離そのものを超現実的なギャグとしたのに対し、前者はむしろ超現実が日常化していることが物語の舞台・背景を形成している事をギャグとしている。

2に関しては、日本の少年漫画は、手塚治虫赤塚不二夫という二大巨匠によって、「ストーリー漫画」と「ギャグ漫画」という棲み分けが漫画界において暗黙の了解となっており、その中間は考えにくかった。そんな中で、高橋はストーリー漫画的な絵柄でギャグを描き、また物語も基本的にギャグでありながらストーリーの手法も取り入れており、一言で言えば「ストーリー」と「ギャグ」という手塚・赤塚以来の境界を取っ払い、少年・青年漫画に新たな地平を開いたと言える。それまでも、永井豪など「ストーリー」と「ギャグ」を両方描く作家はいたが、ひとつの作品に、この二つの要素が同居することは、まず無かった。一方、少女漫画の世界では、高橋のこの偉業も、かなり以前から当たり前に行われていた。少年漫画でそれを実現出来たのも高橋が女性だったからかもしれない。

うる星やつら』、『らんま1/2』においてお笑い漫画の全盛を極め、『めぞん一刻』で青年誌における恋愛漫画の金字塔を打ち建て、『犬夜叉』では高橋が以前から『人魚シリーズ』等で取り組んできた伝奇と、ギャグを組み合わせるという新しい手法に挑戦している。 彼女の作品群は短編集の名前(『るーみっくわーるど』)から総称して「るーみっく」と呼ばれている。一部ではその作品の愛好者を「るみきすと」と呼ぶ。

あと個人的になんでオタクは高橋留美子が好きかと言うことに関して、ちょっと思案があって、その理由は高橋留美子のヒロイン像の類型にあるんじゃないかと考えている。
その類型とは、
「男の欲望や夢、稚気を壊すことなく、男もろとも丸ごと飲み込んで社会化する」
という点だ。
これは高橋留美子の産み出した女性キャラクターのポジショニングにも如実に反映している。すなわち、彼女のコミック内では、
「女自身の立ち位置を変えることなく、男をまるごと飲み込める女性キャラほど、高い序列にある」
ワケだ。いや興味深い。
だからうる星やつら、異星人同級生4人組の中では
おユキ≒ラム>弁天>ラン
という序列になるわけだ。サークルクラッシャーなんて屁でもありません、ハイ。つーか、基本的に高橋留美子のヒロインキャラは、みんな《お姫様》だしなぁ。
そーゆーワケで男性のオタクからすれば、なんら自身を変えることなく包み込んでくれて、いつのまにか大人の男としての成長を促してくれるっていうのは理想的だよな。
「駄目なオタク的趣味を止めろ!」という要求がないのが大きい。
とはいえ、飲み込む女神的な要求として、「趣味に時間を使うのは良いが、私以外の女性に目をくれてはならない」「愛情はすべて私が独占する」という嫉妬深さがあるわけだ。けど、まぁオタク的にはこれは守りやすい要望でもあるわけで……。
犬夜叉」が、なんで《犬》かというのも、そこに理由があるわけだ。
こういう「男を丸ごと飲み込む」という高橋留美子のヒロイン像を、メタ・ストーリー的に指摘してしまったのが、押井守の「ビューティフルドリーマー」な訳だけれども、それを高橋留美子が嫌うというのも分かりやすい。
若い人には判りにくいかもしれないが、本当に高橋留美子の深い部分を探っていくと、色んな源流が出てくるので面白い。