「かっこいい」と「萌え」 次世代の日本コンテンツの展望 シリーズ第2回

最近、「かっこいい」という言葉を発するのが少なくなっていないかというのが、このコラムを書き始めた理由なのだが、そこへ至るまでとにかく時間がかかる。
「かわいい」という価値観メカからキャラクターへの移行とかへ至る前段としての「顔学」を叙述するだけで、全然終わらない。省略して書いても構わないのだけれども、すると傍証が少なくなってしまうので、いろんな側面から書いていっているのだけれど、イラストの一事を取っただけで「口」「鼻」で膨大な時間がかかるなぁ。
別件も色々稼働し始めるのだけれども、それとも絡んでくるので、ムリしないように書いていこうと思う。
「目」にまつわる顔学と、「目」の大きいイラスト
美少女ゲームにおけるイラストの変遷という意味で、うぱーのお茶会(別館) : いたる絵はどうなったか会議 - livedoor Blog(ブログ)は非常に面白かった。というか、このイラスト変化の変遷と揺れ動き具合自体が、一つの閉塞感を示しているという点において非常に興味深い。樋上いたるの絵が安定しないというのは、画法上にしょうがない部分もあると思う。長くなると思うが、おそらくこのコラムを読むと分かる部分もでてくると思う。
ではいよいよ、「目」について語りはじめてみよう。


「かわいい」というイメージを構成する要素は数多いが、とりわけ「目」に関しては非常に多くのコードが組まれている。
以前、オイラは「かわいい」

未成熟なもの、劣っているもの、小さいものへ注がれる感情・愛情である。

と定義した。それでは「口」「目」と同じような形でかわいい目=未成熟な目というのはどういった要素から構成されているかを顔学の観点から記載してみよう。

子供の目の特徴

  • 大きな目(顔の中で相対的に)
  • 大きな黒目

→ 焦点・視線がハッキリしない
→ 何処を見ているかわからない

  • 両眼が離れている
  • 瞳の色が淡い

→ 派生として瞳の色がブルー(コーカサス人種)

  • 眉が細い

瞳の色に関しては、ちょっと日本人は分かりにくいかも知れない。「少なくともコーカサス人種においては、大人になってからの色とは無関係に赤ん坊と子供は青い瞳をしている。そのため欧米圏においては青い瞳は無邪気、子供っぽさを表す」のだ。
茶色と黒が大半を占める……というか、ほぼ全部の日本人では分かりにくいだろうが、髪を考えれば分かりやすいか。特に髪の色などは赤ん坊は淡い色をしている。これは覚えておいた方が良い知識だと思う。多分、加齢にともなって、色素を作る組織が増えるからだろう。

日本のアニメ・コミックに対する批判の一つに「目が大きい」と言うものがある。それは前述したように「こどもの目」が持つ特徴の一つでありそれが「かわいさ」を構成する一要素である。
ではもう一つ踏み込もう。
「目が大きいイラストは、絵描きにとってメリットがあるか?」
ここで言うメリットとは、「売れる」とかそういったものではない。技法として目が大きく描くことは、絵描きにとってなにかメリットがあるかということだ。
これは逆に絵心のない人、あまり絵を描かない人の方が分かりやすいかも知れない。逆に絵心のある人は「福笑い」をイメージしてもらえればよいだろう。

簡単な福笑いとは、「目のパーツが大きい」福笑いである。
一方、難しい福笑いとは、「目のパーツが小さい」福笑いである。

これを絵描きの言葉で変換するであればこうだ。

「目」を大きく描いた方が、顔全体のバランスが取りやすい。
バランスが狂ったとしても、「小さい目」を描くよりも、「大きな目」を描いた方が、結果として顔のバランスにおける違和感の少ないイラストとなる。

人間の「目」に対する興味というのは、その進化の過程において研ぎ澄まされている。
紙幣において偉人の顔が多用されるのは、偽札での微妙な差異も、それが「顔」であれば違和感として感じやすいからだ。
特に「目」に対する人間の認知力は、おそらく他のどんな図形よりも鋭い場合が多い。人の印象を語る上で、「大きな目」「細い目」と表現することは良く聞くだろう。ちょっとソースを忘れたが【多分、10年位前のNEWTONかオムニ】、実は統計を取った場合、「大きな目」と「細い目」の差異はほんの1ミリに収まるのだそうだ。にも関わらず、人間は10m以上離れた場所からでも、他人の目の太さ・細さを認識することができる。というのも目の態様は、人の感情を如実に反映するため、遠く離れた場所からでも認知する必要があるからだ。
そうした「目」にたいする突出した認知力は顔を描いたイラストの見方にも影響を与える。その重要性は顔の他のパーツとは比較にならない。「目」が、選択された「形」を持って、あるべき「位置」に描きこまれた時、他のパーツは、顔の輪郭からのある程度までは決定されてしまう。顔を描く場合、「目」こそが顔のほとんどの部分を決定すると言っても過言ではない。

そのため、イラストを描く場合、顔を等倍で描く機会は少ない以上、必然的に「目」はミリコンマ単位で描き込まれるパーツとなる。口や鼻であるならば、初心者が1ミリずらしたところで大過はないが、「目」だけは違う。
「福笑い」を思い起こしてほしい。「目」は、「位置」「傾き」だけで容易に感情を表す。
アイシャドウ、アイラインを考えてもらえれば分かるが、「目」を描く「線の太さ」、それだけで絵のイメージは、イラストレーターの意図とは合致しなくなることもある。技術が未熟である場合、もっとも描きにくいのが「目」だ。

そうした技術的な未熟さのフォローアップとして使われる手法の一つとして、コミック・イラストレーションの領域で、なかば無意識に行われるのが、「目を大きくする」という技法だ。
この方法をとると、顔を構成するパーツの中で、相対的に「目」が大きくなるため

  • 線の未熟さ
  • バランスの不具合
  • パーツの不揃い

をカバーすることが可能になる。加えて言うのであれば、「目」を大きく描くことによって

  • かわいさを強調
  • 意志の強さを強調【ただし大きさの上限はある】

することもできる。「かわいさの強調」は、イラストの領域においてプラスに転化することができる。また、ある程度まで大きく描いた「目」は、「意志の強さ」を表すことができ、主人公キャラクターと脇役を峻別する手段の一つともなる。……ただし大き過ぎる目は逆に無思慮・非人間性へと繋がる。
なぜ日本でこれほどまでに「目」を大きく描くことが流行ったのかはよく分からない。この辺り日本のコミックの歴史から振り返った検証が必要だと思われるが、ちょっと時間がない。
ひょっとするとコミックを量産する上で、「目」を大きく書く方が楽だということが影響を与えた可能性もあるが、ちょっとまだオイラの中でも仮説なので、この部分はむしろ、漫画の歴史分析を行っている方に頼みたいところだ。

さて、このように描くと「目」を大きく描くことは、イラストレーター・コミックの初心者にとって良いことのように思われるかも知れないが、デメリットもまた大きい。では以下に「目」を大きく描いた場合のデメリットを列挙してみよう

  • 目(+眉)で表現できる表情が限定される
  • キャラクターの描き分けが限定される
  • 大きすぎる目は非人間性を醸し出す
  • 大人のキャラクターを描けない

欧米圏では日本のコミック・アニメへの拒絶反応として「目が大きい」という批判が多いのは周知の事実だろう。その点に関して日本人は割と不感症になっているが、実はそれはこの列挙した4つのデメリットと深く関わっている場合が多い。
以前に上げた本から例を挙げてこの検証をしていこうと思ったのだが、すでに書きすぎているのでこれはまた次回に……。
しかし本当に書いても書いても終わらないな……。