現在のオタクにとっての中核雑誌って何だろう?【雑誌文化圏】

現状がよく分からず、気になってしょうがないのだが、現在、オタク文化領域における売れている中核雑誌って何だろう?
ネットランナー? ファウスト? サイゾー? 電撃HP? SPA!? え〜と宝島とピュアガールはなくなったんだよな。……よく分からない。ひょっとしたらダ・ヴィンチなんじゃないかとも思っている(笑)
雑誌の役割の多くの部分をネットが代替しているが、代替しきれない部分もある。そう考えてみて、現在の中核雑誌が分からないことに対して非常にすわりが悪い。
その一件はフィギュア萌え族へのこちら側の反抗拠点がドコなのか分かり難かった点でも感じた。公開質問状……しかもその質問状が公開されているのはネット上のみという弱い基盤で展開。ネット特有の変な盛り上がりと煽りやすいストーリーを持ったあげく、双方ともに同じ土俵に立つことなく擦れ違いを助長させただけのような気がする。ネット上の論拠は燃え上がりやすく、煽り立てるだけのウォッチャーも大挙して押し寄せるし、結局、収拾がつかなくなってしまっただけだった。
そうした公開質問状に対する自重を促す唐沢俊一の談話も同じくネット上に展開され、同意や批判を巻き込みながら、あっという間に流され消費されていってしまうのを見て、結果的に何が残されたのかよく分からなくない。
フィギュア萌え族」関連に関して言うのであれば、ネットでは非常に盛り上がったのにたいして、雑誌媒体で「アレはないだろう」と声を上げたと雑誌も「大谷氏の言うとおり」という雑誌もなかったと思う。その点が「ゲーム脳」を巡る諸処の動きと違うなぁと感じた点だった。たしか「ゲーム脳」関連については「ゲーム批評」及び「ファミ通」(?)が反論記事を書いていたっけ?
実はTV放送――とりわけあのような生番組での発言の一つ程度なら、ある程度知っている人間としていうと――ほとんど継続的な影響力はない。複数のTV・雑誌が集中的に報じたのであればともかく、今回の報道を見る限りでは過剰反応だなと思う。芸能ニュースにおける情報の認知深度について一つ実例を出そう。ネットも何も見ずに昨年の東京国際映画祭でのグランプリがなんだったか答えてみてほしい。新潟地震のせいで一部を除いて殆ど放映されなかったが放映量・イベント量は「フィギュア萌え族」をはるかに超える。
仮にもしフィギュア萌え族というのに反論を載せるとするのであるならば、若者とかオタク的な意見を集約し、かつ部数も出ている雑誌とかに論説を載せられないのかなぁと思ったのが、この話題の出発点だった。
そう考えてみて雑誌がないことにちょっと驚いたのだけれども。
もしそういった雑誌があるのであれば、少しは違った対処の方法もとれたのではないかとメディアの人間としては思った。その意味で多分に消極的ではあり、また長老派的な意見ではあるものの、唐沢俊一の「時期を待て」という意見はあの時点における戦術としてはもっも正しいだろうなと思った。「亀の甲より年の功」
もっとも自分たちより10年以上先行してある程度の成功も収めている上で、打てる戦術が「じっと我慢しろ」というだけだとすると、結局、先代が作り上げることができたのは「市場」としての「オタクの認知」に止まらざるを得なかったのかとも思う。……なかなか難しいなぁ。歯車は一気に進まない。
次号の「コミック新現実」で大塚英志が大谷氏への直接インタビューあるいは反論を敢行して雑誌を作ったのであれば拍手喝采を送る。可能性は40%くらいあると大いに期待している。「オタク」ではなく「おたく」だと講談社の編集者をやりこめ、大人の意見にたいして真っ向から異論を唱える大塚英志だ。岡田斗司夫とおたくウィークリーにおいてもめた「光過敏症問題」よりはるかに重要だから、きっとそうした記事を書いてくれると思っている。
そこから演繹するのだが、おたくウィークリーも、SF-オンラインも奇妙な共時性を持った形で2001年から2002年に収束した。インパクも含めてある種の実体性がないとこの手の雑誌は辛いのかも知れない。もちろん、それだけに過激なネタが書けないという足かせも負ってしまうわけだけど、それでも継続性の方が重要な気がするし。この辺り難しい。
オンライン雑誌は、編集者・ライターのやり取りがネットのみで終始してしまう結果として、繋がりを希薄化してしまうのかもしれない。そして言論の橋頭堡ともなりにくいのかな? 有効性あるオンライン雑誌が会ったら教えてください。出来れば探偵ファイル以外だとありがたい(苦笑)
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閑話休題
コードを取った雑誌というのは、ある意味で社会的責任もあるだけに、ソースのない情報に対するフィルタリング機能を果たす。またある意味で雑誌はネット以上に注目を浴びやすいだけに、ドコに問題があるのか、これは活字にして触れて良いのか悪いのかの基準となる役割=観測気球としての役割を負うことも出来る。そして何より重要だが、同じ雑誌で書いているライター同士、編集同士におけるある種の文化圏的なタガをはめるという意味もある。
第1世代から第1.5世代の方からは否定されることが多く、自分でも若干違うんじゃないかと思いつつ、歴史事象を語るのに非常に役立つので使ってしまうオタク世代論的な視野の中で、オタク第2世代何でこんなに分断されているかを考えていくと、振り返るに90年代半ば以降、オタクの中核雑誌って聞かないなぁと思った。
年末、色んなティーン雑誌を集中的に読み、ロック雑誌クロニクルを読んだのだけれども、その紙面からあふれてくる「雑誌編集部において、編集者・ライター・イラストレーター・作家にデザイナー、投稿読者に読者モデル……が入れ替わり立ち替わりやってきては月ごとの〆切でお祭り騒ぎのように雑誌を作る」という状況にちょっとあこがれを感じた。これって90年代の初期にオタク業界では終わってしまったのかなぁ?

コンピュータ雑誌文化の系譜は、ほぼ感覚的につかめてきたので、現在はロック雑誌の歴史や歴代名物編集長の視点などの資料を集めているところ。

TV番組もインターネットラジオも、結局、直接的にスタッフと交流を持たない限り、文化的なタガというか……編集部的一体性というか……もうちょっとかっこよく言うなら何らかの身体性を持たないと、文化圏を形成するのは難しいのかも。う〜ん身体性か、頭でっかちだった中学高校生時分のオイラからは最も遠い言葉だ。

【追記】
非常に感覚的なのだが、知り合いのカメラマンは、デジカメは使うがオンライン雑誌でのカメラ仕事は取らないと言っていた。とにかくサイト上では、人物写真が希薄になるのだそうだ。これもまたオンライン雑誌において実体というか人物を扱うことの難しさの一つかも知れない。

【さらに追記】
2004-12-24 - TRiCK FiSH blog.
非常に役立つ女性ファッション誌マップ。recent events@TRiCK FiSHさんの非常によい仕事で頭が下がる。年末参考にさせていただいたので言及まで。