徐福(くんほう様?)と源為朝(八幡太郎・鎮西八郎)

徐福は三千人の男女を連れて、秦の始皇帝の命を受けて不老不死の妙薬を発見するべく東方の三山を目指して旅立ったが戻らなかった。ここで割と知られていない話をいくつか

  1. 秦には馬を御する逸話が良く出る。周の穆王が崑崙の西王母を訪ねたときの御者が秦の出身者である造父。
  2. 造父は八駿馬の車を御して、穆王のために天下を巡った。
  3. 椿説弓張月」では、徐福は紀伊を出立したのちに女護ケ島(八丈島)に漂着。その子孫と為朝が出会うエピソードがある。
  4. 為朝は徐福の子孫・フーシ一族と戦い、島より追い出したとの説もある。
  5. 鄭問の「東周英雄伝」にて、秦の穆公を助けにくる原始人は今考えると「ベルセルク」の戦魔兵にソックリ。

「中国的こころ」サイトはむちゃくちゃ役立つなぁ……。穆王と穆公の混同をただしてくれた。イカン、イカン。
http://www.h3.dion.ne.jp/~china/CHINA1.HTML