「蛋白質ガール」とアジアの男の子

蛋白質ガール

一言でいうなら、「台北を舞台にしたブリジット・ジョーンズ 」と言うしかないだろう。主人公は男性だけれども、アジア圏では女性に数多く売れているから……。でも個人的にはその比較は「隣の的を射ている」と言わざるを得ない。本の装丁などはもちろんブリジットを狙っているけど、あきらかに日本では主要読者は男性になりそうな気がするからだ。

簡単にストーリーを紹介するなら、これは台湾の台北を舞台に独身の「ぼく」と親友・ジャンポーの恋愛遍歴を描く小説だ。引っ込み思案で妄想・自己愛の強い「ぼく」に、華やかな恋愛遍歴をもちつつも、どこか貧乏くじをひきつづけるジャンポー。おそろしく饒舌で多弁(ようするに頭でっかちな)な二人の七転八倒な恋愛譚とでも言えばよいのだろうか?

前半部はめちゃくちゃ面白い。ただ後半は流石に息切れをしていて、ようやくエンドに持ち込んだという感じはある。中盤以降では、前半部に爆発していたおかしな妄想がかなりおとなしくなっている。その意味で惜しい小説。多分、こうした青春譚の最後をどう書くかについては、まだ台湾は景気も政治も熱気がありすぎるのかもしれない(実際、2巻目もでている)

登場しているキャラクターの年齢はやや高め。正直『青春小説』とは言いかねる。ところが舞台が台北というところが作用して、<誇張した現実>なのか<ノスタルジックな恋愛モノ(バブル期だが)>それとも<恋愛妄想ファンタジー>なのかをあやふやにさせる。これは庄司薫原田宗典、もっと新しいならば森見登美彦の「太陽の塔」。マンガの領域ならば、桂正和の「I’’S」や河下水希の「いちご100%」にきわめて近い。もちろん、ライトノベル領域をおそらく半分以上浸食している(主人公、なんだかんだいって社会人なだけにお金持っている部分は違うけど、狭いセカイは大人になっても変わらないってことか)

東京・台北・ソウル・香港・上海・北京。アジア圏の大都市、それに米欧大都市における若者のライフスタイルというのは、オタク文化も巻き込みつつ、実に似通ったモノになりつつあるのかもしれない。主人公の二人は、共に高学歴の高収入、一応、エリートの片端にぶら下がっているのかもしれないけれど、日本のアニメや歌謡曲、「百一回目のプロポーズ」の話題がぞろぞろ出てくる。チャン・イーモウが、「猟奇的な彼女」をヒロインに映画を撮るらしい。こうした恋愛状況小説はグローバルアジアともいうテキストになりつつあるのだろうか(おかしいな、台湾と中国間は戦争状態じゃなかったのか?)

主人公=「ぼく」は確信している。女の子とつきあえば、それによって僕は強くなれるハズだ。一人前の男になれるのじゃなかろうかと。それが「ITバブル」と「政治の季節」に踊る台湾で、なんとか女の子を獲得しようとアガイテイル。

でも著者自身、そんなことは妄想だと分かっている。ハリー・ポッターを超えるベストセラーになった中国や台湾では「政治」という観点から、青息吐息の日本では「バブル」という観点から。男の子は「バブル」も「政治」も「女の子」もな〜んにも変えちゃくれないってことを。

完結には至っていないけれど、そういう風に痛々しく読めちゃうというのは興味深い。

アメリカから始まったのかもしれない「グローバルアーバンライフでの男の子の妄想」というのは、ちょっとマッチョを廃しつつ、アジアに根付いているのかもしれない。