湾岸戦争がエンターテインメントに残した傷:「アメリカ不敗神話」
一昨日のエントリで、90年代の天災に湾岸戦争を入れたことに関しての補足。
多分、大塚あたりが指摘していると思うけれど、湾岸戦争がエンターテインメント・コンテンツに与えた影響は大きい。
あまり時間もないので一言で書いてしまうけれど、それは
アメリカに対抗・勝利できる存在を、アニメ・コミック内においてすら、リアリティを保証しつつ描くことが、実質的に不可能になった
という点だ。
911のテロによって、この状況は微妙な変質とよりねじくれた展開を見せるのだけれども、湾岸戦争によって出来た共通認識「アメリカ不敗神話」というのは大きい。
それまでは、かろうじてベトナム戦争があったのだけれども……。
つまり、コミックやアニメにおいてすら、米軍に勝てる世界最強の存在を描く事への困難さが出てきたという訳だ。えー、もう宇宙人を引っ張ってくるしか?と成ったわけだ。
勘の良いヤツは知ってはいたけれど、それがニュースであからさまになってしまったのが、湾岸戦争だったわけだ。
少なくとも、ある程度の敏感さを持ったクリエイターであるならば、アメリカに対置して何か「世界最強の存在」をリアリティを持って設定することの難しさに、湾岸戦争後はぶち当たらざるを得なくなった訳だ。
個人もしくは個人レベルの秘密組織で、「国家」という20世紀が生み出した最強の組織体に勝つことは不可能なんだなぁということに気が付いた
と言っても良いだろうか。まぁ通常は当たり前なんだけど、それをあれほどの映像表現で徹底的に漫画家や小説家の隅々まで認識させたのが、湾岸戦争だったわけだ。
もっとも、てんで最初からリアリティを無視するストーリー漫画の人*1や、鈍感な人は湾岸戦争なんて気にしなくて良いんだけど……。
ちなみにMBSでアニメの「機動戦士ガンダムSEED」「鋼の錬金術師」のプロデューサーを勤めている竹田菁滋氏は、報道に関わっていて変に湾岸戦争を直接取材しただけであるのに、ストーリークリエーションに関わった経験がないため、そこのところがよく分からず、ヘンテコな作品を作っちゃってるところが問題なのである。
この件に関しては、面白トリビアもあるのでまた今度(笑)
*1:まぁバギとかさぁ、ほら色々ね
「道士郎でござる」はスゴイ
なんかスゴイ領域に入ってきた。要注目。分かる人には分かるけど、本当にリアリティを持って少年漫画で、好きな女の子を守るためにやくざと対立するというのを描くとは思わなかった。
西森博之は、変化球だけれども「少年」を描こうとしているチャレンジ精神が満ちあふれている。これは信じられないほど困難なことにチャレンジしてるってことだ!
最近のサンデーはどうしたんだろう?
もちろん、描くまでもないけれど、「道士郎でござる」の実質的な主人公は、道士郎に仕えられている殿こと、健助だ。
「主人公は女の子よりも弱い」
「主人公は何度となく敗北している」
「けれども読者に飽きさせることなく、継続して読ませるストーリーの耐久度を保持」
上述のようなのって、明らかに漫画業界の勝利者である集英社のジャンプセオリーから逸脱している。あのジャンプセオリーこそ、ライトノベルとかにも導入され少年モノの普遍的な法則としてここ20年間機能してきたのに、サンデーの最近のヒット漫画は、このルールに果敢に挑戦している。
で、部分的ではあるけれども「金色のガッシュ」とかが、認められつつあるのがスゴイ。
特に「道士郎でござる」と「結界師」とかから目が離せない。
西森博之は、前々から独特のスタンスで「90年代以降の男らしさとは何か? 男子の生きるロールモデルは何か」を描いていたわけだが、こと本作にいたってそれを完成させつつあるのかも知れない。
文科系男子の、本田透とは違った形での護身完成か?(笑)つーか、護身してないのか?
- 作者: 西森博之
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和月伸宏論で面白かったTB
色々と反響を呼んでいるのだけれど、セカイ系とりわけ庵野秀明にシンパシーを持つライターはおおむね反発。編集・ディレクター経験者はおおむね肯定的というポジションを取るのが面白いね。というかそれは予想してたけど(苦笑)
2005-11-15 - ネットなんか、別に繋がらなくてもいいような気が…
凄く面白い考察だったので引用。ちょっと多めなのを勘弁して欲しい。
これは注目しておくべき。大塚のポジショニングの分析が面白い。幾つかの考察の中において、宮崎・富野両監督には触れる予定であったが、大塚は思いつかなかった。
変にこの手の業界に手を出してるのでこの件に関してはあまりいえないけど、あえていえば「戦後民主主義的父性の崩壊」ってのが90年代の一番のキーワードのような気がする。
和月伸宏は失われた父性を過去の罪と罰に求めて回答を出し、庵野秀明は失われた父性の探求の結果、「アンチグレートマザー(負の母性)」という回答を大いなる存在・綾波レイというキャラに預ける事で物語を着地させた。
漫画界レベルでもう一つ言うと小林よしのりが、「ゴーマニズム宣言」にてその戦後民主主義的父性の欺瞞を暴き、これらの物語のレールを作った事に(これは二人のインタビュー等を検証すれば透けて見えるはずだ)注目するともっとわかりやすいかもしれない。
この考察鋭すぎて怖い部分があるのだけど、一つ抜けてるところがあれば、80年代の「変態的文化」にもう戦後民主主義的父性の崩壊の序章が始まってると言うところかな。あの時点でのオタク文化は完全にカウンターカルチャーであり、子供の世界に洗脳をはじめようという段階(例えば富野由悠季さん率いるガンダムシリーズとか、ロリコンものとかね)であった事に目をつけておくことかな。そうすると、大塚英志のスタンスがそんなにゲリラ的でない、むしろ古典的な前時代的対抗意識で物を書いている事が見えてくると思う。
(強調:引用者)
この80年代の変態性というのは、実はちょっと注目したいところ。
というのは、ある種のジュブナイル的な少年性の復帰には、もうぬぐい去れなくなってきてしまった変態性をどのように肯定するのかというのも関わってくると思っているので。
それは主人公の対存在であるダークヒーローというのを、もはや仮設しないことには、リアリティを担保したジュブナイル復権が難しいのではないかという、個人的な考えにも繋がってくる。
それは、「武装錬金」のパピヨン、「Hunter×Hunter」のキルア、あと黒白コンビが奇妙な逆転と混交を果たしている「デスノート」のライトとL(その後継者であるニア&メロも)に見ることが出来るのは重要。