「格ゲー」が最も強い漫画家っていったい誰だろう Part2

「砂上のバラック」さんからの指摘があって考えてみたのだけれども、何人かの例外を除いて、実際に格闘技をやっている漫画家ってわりと少ないと思う。
けれども80年代のジャンプバトルマンガの影響で《「男と男の戦い」への憧れ》みたいなものが、底流には醸成されていたのかも……。まぁそれは小説家も同じだと思いますが。
ところが、90年代の格闘ゲームの登場によって、それを実体験として経験できるベースができたからこそ、あれほど多くの漫画家が格闘ゲームにハマったのかなと言う気もする。
これまた聞いた話だけれども、「BASTARD!」の萩原一至は、カプコン系の2D格闘ゲームが強かったと言うこと(それでもアシスタントの方がもっと強かったらしい)
個人的に知りたいなぁと思っているのは、平野耕太って格闘ゲーム強いんだろうか?
まぁ実際の格闘技との連動はともかくとして、面白い格闘・バトルマンガを描く漫画家が、格闘ゲームが強いかという相関性にはかなり興味があるんだけど、どんなものなのでしょう?
速攻生徒会の小川雅史はやっぱり激強だったらしいけど。

東京志向のNANA、地方主義の頭文字D

『頭文字D』とアンチグローバリズム - 【B面】犬にかぶらせろ!
を見ていて、ちょっと気が付かなかった頭文字Dの構造に気が付いた。なるほど、たしかに頭文字Dのヒロイン・なつきは唯一、東京メジャー指向を持っているキャラクターだよな。

このなつきという登場人物を軸に頭文字Dという物語を考え直してみる。まず重要なのは、なつきは頭文字Dの世界で“東京の引力に魂を引かれている”(ガンダム的表現)唯一の人物だということ。

主人公の拓海と友人の樹はGSのアルバイトで拓海の父親は豆腐屋さんだったりと、みな地域に根付いた職について地元(群馬)を愛する人々。ここには都会人=サラリーマンは一切出てこない。これはヤンキー漫画全般に根付いている概念なんだけど、頭文字D』はアンチ東京、アンチ中央集権的な思想がベースにあるの物語だ。登場人物はみな東京にあこがれるどころか、東京という存在すらないことのように描かれている。

そんな中“なつき”だけは高校卒業後に東京に進学をする反地元勢力として描かれる。
(強調は引用者)

面白いなぁと思うのは、まぁこれは差別なんだけど、NANAの登場人物って基本的にシンを除いて皆地方出身者というのも、ちょっと指摘しておいた方が良いかもしれない。
ハチの異様なまでのシロガネーゼへの執着とか、武道館とか大きなコンサート会場へのナナのこだわりなどは、あきらかに地方出身者っぽさを感じる。それは一番、商売ッ気があると設定され、天才的なアレンジャーにして企画者として描かれているタクミ自身が、実はド田舎の出身者であることとも対比されている。
NANAにせよ頭文字Dにせよ、ある種の東京の象徴として描かれているなつきとシンが、ともに男女の違いはあるにせよ、援助交際をやっているというのは興味深い。
ここにして思うのだけれども、小さいときから東京に住んでいた裕福な者だけが持ちうる趣味の良さみたいなものを、マンガとかのストーリーに落とし込むのって、最近は結構難しいのだろうか? まぁこれだけ純愛ブームだとそうなるのかもしれないけれど。東京って純愛が成立しにくい?
庄司薫の「赤頭巾ちゃん、気をつけて」なんて純愛だと思うんだけどなぁ。今は成立しにくくて石田衣良になっちゃうのかな。
男の子マンガで……コロコロなどのホビーマンガは除く……、東京あこがれ思考のマンガってわりと少なくなっている? クリスマスボウルを目指しているアイシールド21は元々東京のマンガだし。
あとはいきなり東京の象徴が六本木ヒルズになっちゃうのか。う〜ん、新宿・秋葉原・原宿だけが東京の象徴とも思わないけれど、六本木ヒルズ限定が東京のイメージというと明らかに違うだろう。
【追記】
じゃあ、最近の都会生まれの上品で屈託のないキャラクターって誰かというと

仮面ライダー響鬼のイブキ
裕福な今時の若者で、かつコンプレックスがなさそうなお坊ちゃんなので、小暮=布施明の熱血な台詞や嫌味がまるっきり通じない。設定としては《奈良県吉野にある「猛士」本部のお偉いさんの息子。名家の末っ子らしく多趣味な青年》。

というとイメージが近い。設定では吉野の名家の末っ子だけど、センスは明らかに都会っぽいよね。あの多趣味なところとか。
有栖川宮記念公園の都立中央図書館で、聖心女子学院高等科の女子高生と勉強している有名私立男子高校生みたいなものかなぁ。