桜坂洋:よくわかる現代魔法 ゴーストスクリプト・フォー・ウィザーズ感想

◆上手い部分
平易な英語で興味を引く造語を作るセンス。上手い。同じ才能を持った作家として有名なのは瀬名秀明がいる。「パラサイト・イヴ」「BRAIN VALLEY」などがそう。誰もが知っているかいないかの境界線上の英単語の選択で「ニュアンスとリズム」伝わるような語句を作るのが得手だ。<ゴーストスクリプト・フォー・ウィザーズ>という副題だけで、これは興味を引く。方向性が違うが、日本語の造語が上手いのは滝川羊古橋秀之。おそらく常に新語が産まれてくるコンピュータ業界にいるので、その方面の使用感覚が鋭いのだろう。科学関係の人はどうしてもそうなる。文学系にはない特色なので良いと思う。
ストーリー・伏線ほか意図しようとしているところが前回より伝わりやすくなっているのは進歩だと思う。
ストーリー展開は普通。もっとびっくりさせる展開があっても良いと思うが、それでは文庫レーベルの色彩に合わないし、まだ習作だししょうがないところか。
男の子や、ドライに乾いた感じの女性人物描写は見るところあると思う。
◆下手な部分
基本的に女の子の描写が下手。特に会話が駄目。とりわけ頭の良くない女の子が上手くない……というかそれが「よくわかる現代魔法」では主人公なのでとにかく動いていない感じ。聡史郎との関係で予定調和的にガール・ミーツ・ボーイを書きたいのかどうかもよく分からない。
頭の悪いキャラクターにギャグをやらせようとするとスベル感じ。もっと大人なキャラクターを動かす方が上手い(文章まだぎこちないけれど)。後書きや「さいたまチェーンソー少女」のように大人がキレたキャラクターの方が説得力がある。
男の子や、頭の良い女の子、カサカサに乾いた大人のキャラクターの方が上手いのだから、次シリーズはそうした方向性でのストーリーを組んだ方がよいと思う。頭の弱い女の子を出し過ぎると、ストーリーを説明するのにどうしても乖離が起こるし。
そうそう唐沢俊一の知り合いという情報をネットで目にした。繋がりはどうにせよ、唐沢俊一が知り合いで本を買おうというのだから、基本的に「桜坂洋も頭の悪い人は嫌いなんだろうなぁ」とは単なる推測に過ぎないけれど思った。
職業人を書くのが上手そうだから、D・E・ウェストレイクの「ドート・マンダー」シリーズ【ノワールっぽくやるなら別名義リチャード・スターク「悪党パーカー」でもよし】をライトノベル読者に受け入れられるように落とし込もうとかを意欲的にやってみたりした方が良いモノが書けそうな気がする。……むずかしいし、そんなのが出来るのは宮部みゆき田中哲弥に桐生祐狩ぐらいのような気もするが、桜坂洋が現代物でやるなら方向性はそっちのような感じなんだよな。
今書くのであれば、新城カズマの「マリオン&Co.」みたいな方向性もありかなという気はする。当時のドラゴンマガジン連載では辛かった。時代が早すぎ。セカイ系的な主人公が出て飽きられてきた後に、主人公・マリオンのキャラクターを組み替えて書けば、実に西尾維新的なキャラ配置に近かったりするのは確か。
なるほど、思い付いてみると西尾維新成田良悟をより性格悪く、洗練させた展開に近いかもしれないな「マリオン&Co.」
セカイ系ってそういった方向(友人も恋人も、場合によっては世界と連結すらしていなくても、人はある種のプロとして生きていける)から崩れそうな気がする。

待っている女:「果しなき流れの果に」と「虚無回廊」解釈

読書をする上での師匠というか、端倪すべからざる人がいるのは幸せかもしれない。とりわけそれが両親だったりすると、その人は幸福な読書人生を歩めると思う。オイラの両親は良い読書家ではなかったが、映画に関してはとにかくアンテナが鋭かった。映像に興味を持ったのはそのせいかもしれない。
そんな身近な読書家の中で、オイラにもっとも衝撃的な解釈を次から次へと提示するのが、親戚の叔母さんというのが、困りものである。
コミックはほとんど読まない。年に一度、東京での集まりへ参加するために自宅へやってきては、コミックには目もくれずに、書架にあるSFやらライトノベルを読み、色々解釈をしていっては、また西日本へと帰っていく。
ちなみに日曜の夕方の『笑点』はかならず欠かさない。最近はアンジャッシュと「冬のソナタ」に嵌っているらしい。「ヨンフルエンザに罹った」といって、電話口で嫁を笑わせるのは勘弁して欲しい。ちなみに3年前にはまっていたのが「十二国記」で、X文庫版がお気に入りである。
さて小松左京「果しなき流れの果に」である。
これまた2年ほど前の話だが、最近のSFで面白いのはある?話から転じて、小松左京の話になり「虚無回廊」と「果しなき流れの果に」になると叔母さんはこういった。
「『果しなき〜』は、ラストが良かったなぁ……。男が宇宙の謎を求める間、女は待っているモノなのよね。『虚無回廊』ではどう一歩進めてくるのかしら。小松左京は待つという女性性を書くのが上手いわね」
そう読むか。女性視点をおいた上で二つの作品を並置して語ったのに新鮮な驚きを覚えた。もちろん、伏流としてあるのは判っているが、それを第一感想として持ってくるあたりに面白さを感じた。
昨年は林穣治・北野勇作・霜越かほるに夢枕漠「後書き大全」を飛行機の中で読むと持って帰郷していった。今年は一体何を渡せばよいだろう?