和月伸宏論で面白かったTB

色々と反響を呼んでいるのだけれど、セカイ系とりわけ庵野秀明にシンパシーを持つライターはおおむね反発。編集・ディレクター経験者はおおむね肯定的というポジションを取るのが面白いね。というかそれは予想してたけど(苦笑)
2005-11-15 - ネットなんか、別に繋がらなくてもいいような気が…
凄く面白い考察だったので引用。ちょっと多めなのを勘弁して欲しい。
これは注目しておくべき。大塚のポジショニングの分析が面白い。幾つかの考察の中において、宮崎・富野両監督には触れる予定であったが、大塚は思いつかなかった。

変にこの手の業界に手を出してるのでこの件に関してはあまりいえないけど、あえていえば「戦後民主主義的父性の崩壊」ってのが90年代の一番のキーワードのような気がする。

和月伸宏は失われた父性を過去の罪と罰に求めて回答を出し、庵野秀明は失われた父性の探求の結果、「アンチグレートマザー(負の母性)」という回答を大いなる存在・綾波レイというキャラに預ける事で物語を着地させた。

漫画界レベルでもう一つ言うと小林よしのりが、「ゴーマニズム宣言」にてその戦後民主主義的父性の欺瞞を暴き、これらの物語のレールを作った事に(これは二人のインタビュー等を検証すれば透けて見えるはずだ)注目するともっとわかりやすいかもしれない。

この考察鋭すぎて怖い部分があるのだけど、一つ抜けてるところがあれば、80年代の「変態的文化」にもう戦後民主主義的父性の崩壊の序章が始まってると言うところかな。あの時点でのオタク文化は完全にカウンターカルチャーであり、子供の世界に洗脳をはじめようという段階(例えば富野由悠季さん率いるガンダムシリーズとか、ロリコンものとかね)であった事に目をつけておくことかな。そうすると、大塚英志のスタンスがそんなにゲリラ的でない、むしろ古典的な前時代的対抗意識で物を書いている事が見えてくると思う。
(強調:引用者)

この80年代の変態性というのは、実はちょっと注目したいところ。
というのは、ある種のジュブナイル的な少年性の復帰には、もうぬぐい去れなくなってきてしまった変態性をどのように肯定するのかというのも関わってくると思っているので。
それは主人公の対存在であるダークヒーローというのを、もはや仮設しないことには、リアリティを担保したジュブナイル復権が難しいのではないかという、個人的な考えにも繋がってくる。
それは、「武装錬金」のパピヨン、「Hunter×Hunter」のキルア、あと黒白コンビが奇妙な逆転と混交を果たしている「デスノート」のライトとL(その後継者であるニア&メロも)に見ることが出来るのは重要。