砧の円谷プロの建物は、元は病院だった

東京人最新号、実相寺昭雄監督が、円谷プロの移転に寄せたエッセイから。

本社機能というか、本拠地としての場所を変わる引越作業中に、ふと、この建物は元々なんだったんでしょうねえ、と現在の円谷プロ会長の一夫さんにうかがうと、
「病院か、サナトリウムだったなんじゃないかと思いますよ」
という返事だった。
「病院の受付窓口とおもわれるものと薬の投与などに使われていた窓口の跡が残っていますから」
「ええっー」
何と、飾れられていたウルトラマンたちの極彩色のパネルの背後に、そんな窓口があった。当時から何百回も出入りしている入り口にそんなものがあったとはまったく気が付かなかった。迂闊だった、と頭をかく。
「へえー、ちょっと恐いモノがありますねえ。じゃあ、当時奥の方の廊下沿いにあった小部屋は病室だったのかしら」
そう、わたしが問うと、
「いや、わかりませんねえ」
と一夫会長は微笑むばかりだった

夢の跡地。