オウムの残したもの、2題

一つは今朝、徹夜明けに読んだスペリオールより。本当は西原のPLUTOを読もうと思ったのだけれども、戦車映画とこちらの方が面白かった。なんか気分で画像は乙葉なんぞを。

相原コージ「漫画エロチカ系」より

漫画家生活20周年記念4コマ
(20年前の「痛かった」自分に価値観を問われて)
そして(俺は)善悪に替わる新しい価値観として「面白主義」を自らの柱に据えた。すなわち、あらゆる事物を「面白いか」「面白くないか」で判断する。「面白い」ものこそが価値のあるもので、「面白くないもの」ほど価値がない。この価値観の革命は自分のギャグ創作のすごいエネルギーになったことは確かだ…
でもな…俺はその面白主義に挫折したんだ…俺が30歳ぐらいの時にオウム事件ってのがおこってな…
面白主義の観点でいえば、オウムのことは一番価値あることとして賞賛されるべきなんだ。だって、当時あんなに面白いインパクトのあることはほかになかったからな。でも、彼らが実際にやったことを思えば、俺はもう心から面白がることはできなかった…というか面白がっていた自分がイヤになったんだ…俺は挫折したんだ。

竹熊健太郎オウム事件への態度と対比させると非常に興味深い。


次に惑星開発委員会が更新したモンスターにおける解説から引用。
http://www.geocities.jp/wakusei2nd/monster.html
http://blog.goo.ne.jp/wakusei2nd/

惑星開発委員会「モンスター」

注9) オウム
 無論、オウム真理教のこと。現代日本が先進国には珍しく、知的ミドルアッパーの若年層に保守的言説が目立つことはしばしば指摘されているが、その背景には彼等が頭でっかちになっていた時期(95年)にオウム真理教の引き起こした地下鉄サリン事件とそれにまつわる一連の騒動があったことがかなり影響していると思う。このとき、なんとか「俺VS不正なセカイ」みたいな左翼小児病を正統化したかった人たちは、一気に高まったセキュリティ意識になんとか異を唱えようとしていたが、かといってオウムを肯定するわけにもいかず、非常に歯切れの悪いものになっていた。そして、あまり深く突っ込むと、根底で自分たちの自己正当化の回路がオウム気分とつながる(小浜逸男「オウムと全共闘」)部分に触れなければいけなくなるのも理由のひとつだっただろう(後略)

こちらもまたオウムの残したものの分析として非常に面白い。必読。