ライトノベル補助席論orライトノベル娼婦論【その2】

ライトノベルを巡る現在の状況について、サブカルチャー的な視点から見ると下記のように見える。この辺りをまとめようとするのには、まだまだ全然資料もデータも足りないのだが、アイディアぐらいにはまとまってきたか?
あ、画像はスパプーCMの続き。この後、オチへと続く。まだ無名だった小池栄子にこんな踊りを踊らせたラッキー池田は本当にエロいと思います。
その1の方も新たな資料が入手できたので分量を増やすことを含めて、大規模に書き直したいのだが……また今度。

1)ライトノベルがサブカルチャーとして注目されてきた

  • 背景には大塚英志東浩紀などがサブカル文化人が語りはじめたことがある。

2)ブンガク・ミステリ・アニメ・コミックの文化的勢いが失われライトノベルが目立ってきた

  • 1)と裏表だが、サブカルチャーとしての新鮮さが旧来のものから失われていった。
  • →と同時に、ライトノベルは常に「最も勢いのあるサブカルチャーの補助席」に座っていた、言い換えるなら「最も勢いのあるサブカルチャーの娼婦」だったので、注目も浴びやすかった。

4)西尾維新吉田直18禁ゲームからのミスリード

  • まだ読んでないけど、大塚英志吉田直を買いかぶりすぎているって本当ですか?

サブカルチャーの円卓の様なモノがあると仮定するならば、ライトノベルは常にその補助席に座ることで、かろうじてサブカルチャー円卓会議に参加することが出来た。まぁサミットの特別招待席と言い換えても言い。
ひょっとすると「ライトノベルは立派なサブカルチャーだった」という主張もあるかもしれない。一応、検証してみたが本稿を書いた時点では、『ウィキペディア(Wikipedia)』には表記はなかった。
サブカルチャー - Wikipedia
山形浩生メディアワークスから出していた「オルタカルチャー 日本版」にも相当する項目はなかったような気がする。「あかほりさとる」はあったな。もちろん当時はライトノベルという言い方も一般的ではなかったが、対応する項目がないというのは面白い←持っている人誰か教えてください。
おそらくライトノベルは、最初はSFの補助席に座っていたのは間違いない。平井和正の脇だったろうし、その後は高千穂遙の補助席に座っていた。次に座ったのは富野由悠季の補助席――アニメの補助席――に座る形だった。
ライトノベル☆メッタ斬り!において、三村美衣ライトノベル作家の出自を気にしていて、笹本祐一が出自からみて最初の純然たるライトノベル作家と主張している部分は感動的だった*1。多分、ライトノベルを初めて補助席でなく座らせることへ繋がる契機を作ったのは笹本祐一であり、だからこそ笹本祐一の「妖精作戦」はスゴイのだ*2
ライトノベルの補助席を用意してくれたのは、あるときはゲームだったりコミックだったり映画だったりもしたこともある。ドラゴンクエストが伸びてきたときは、久美沙織が用意してくれた補助席に座り、スニーカー文庫が伸びてきたときは、水野良が日本風に作った西洋ファンタジーの補助席だった。売れ行きだけ考えるのであれば、昨年は「鋼の錬金術師」が用意してくれたコミックの補助席にも座っているともいえる。現在の状況を言うのであれば、ブンガク*3とミステリの作ってくれた補助席に座っている……はずだったのだが、全体的な落ち込みの中で、いよいよサブカルチャー円卓の席を用意されつつあるといったところか。
それはある意味で、ライトノベルという名称からもその出自は明らかなわけで、「ノベルの補助席(ライト)に座っている」という意味なのだから。

もう一つ、有効なメタファーとしては「ライトノベル娼婦論」もある。ライトノベルはその時その時に勢いのあったサブカルチャージャンルの娼婦だった訳だ。そのSF、アニメ、ミステリ、コミック、ゲーム、青春ブンガクが勢いを増してくると、その最良の部分を吸収しながら、生き残ってきたと言っても良い。
「文庫の棚確保」という流通上の経費を無視してしまうと、ライトノベルの制作原価は材料費的にも人的負担でも基本的に他のサブカルチャージャンルに比べて非常に安い。これはそのメディア特性によるものだ。そのため売れているサブカルチャージャンルを「大旦那」としてそれに付随するように「娼婦」として存在していたといってよい。
なぜ「本妻」でも「愛人」でもなく、「娼婦」だったかというと、純粋にお金だけの繋がりだったからだ。
その「ライトノベル」の客層の幅広さは驚愕に値する。半面、誤解にまつわる言説もまた振りまいてきた。この辺のスキャンダラスさは如何にも娼婦チックだ。
アニメ・ゲームは例をあげるまでもないだろう。他にも某作家が「ブンガクオタク」に対しては「殺人」「性の問題」「麻薬」「自殺」「暴力」「心理学用語」が頻出するれば売れるだろうという露悪的に書いた某探偵モノは売れに売れるし、「SFって宇宙船が出てくれば良いんでしょう?」との後書きで物議を醸した某作品も売れる。そうしたジャンル小説だけどころか、「カバーイラストはいのまたむつみとか、天野喜孝が描けば売れる」という言説が業界回って、実際、1巻だけは「カバー買い」で売れてしまう時代もあったのだから*4

ライトノベル作家は基本的に銀座・六本木遊びをしないが(例外:あかほりさとる)、それを補って余りある八面六臂ぶりである。

◆余談
そうそう、ライトノベルはPBMとも寝てたんだよな。大体5年くらい。PBMはTRPGという大番頭にくっついてきた丁稚ぐらいだったので、早々と金(=消費人口)が尽きたのでフられましたが。

作家サイドの持つ<小説>に対して持つ思い入れはともかくとして、かなり長い間、制作サイドはライトノベルへの愛情・尊敬は持っていなかったと思う。まぁジャンルとしての他者から見られる「格」と言い換えてもいい。それが生まれはじめたのはライトノベル30年史でもかなり後半、富士見で萌芽があって、定着したのは電撃文庫くらいではないだろうか?
すごく象徴的なモノとして、スレイヤーズ!登場によって、ようやく「ライトノベルが地上波のTV放映アニメと同格になる端緒を作った」とは言えるだろう。もちろん、力関係の中で色んな揺れ動きがあるが、カルチャー的な位置づけにおいて、スレイヤーズがアニメとの関係において果たした役割は非常に大きい。本当はラノベとアニメ・コミック・ゲームのカルチャー的力関係の変遷とか書いたらすごく面白そうなのだが時間がない*5


こうした「サブカルチャーの補助席」「娼婦としてのライトノベル」は次の二つの結果を産む。

良い結果:多くのサブカルチャーの精髄を取り込むことを可能とした。

悪い結果:出自が分からなくなった。ライトノベルの定義が不可能になる。

そんな補助席でOKだったのが、前述の4つの理由からサブカルチャー円卓の正式な席に座わることを要請されはじめたのが、ここ数年の状況といっていいだろう。

1回で述べた経済的な視点での認知と、2回目で述べたサブカルチャーとしての認知。普通は2〜3年くらいのタイムラグをおいて、経済が先・サブカルチャーが先かと分かれつつも居場所を作っていくモノなのだが、これまたいろんな条件が絡み合っているせいで、ほぼ同時に生じてしまった。なんでそうなったのかの分析や、そこから生じる色んな面白出来事の整理などは又今度。(ちょっと間があくと思う)

*1:ライトノベル娼婦論的な見方をすると、ライトノベルを初めて本妻にしたのが笹本祐一ともいえる。三村美衣がラノベ作家の出自を気にするのは、ライトノベルへの愛情が本当に深いからだと思うのはうがちすぎか?

*2:もっとも笹本祐一本人は読みやすいSFを書いているつもりが、当時はなかったライトノベルというジャンルに分類されてしまったSF大会で発言しているという話があるので、この評価はあまり嬉しくないかも知れない

*3:漢字で文学と書くのは恥ずかしいので

*4:下記あたりを参考にしてみてください。[http://members.at.infoseek.co.jp/toumyoujisourin/jiten-bungaku.htm]

*5:このあたりは踏み込んで書くと、ジャンプノベルやらNEWTYPEノベル、X文庫・コバルト文庫まで視野に入れ、結局、ライトノベルコンシューマーゲームと寝れたの?とか色々あり過ぎてすごく時間がかかるので又今度