モテ系とニートと隠者文学の関わり。「わび」「さび」「萌え」の意外な共通点

TV取材で荒俣宏と都内の文学碑巡りをする。江戸府境界線上における碑文分布って面白いなぁと関心。
あ、今日の画像は日本文化をこよなく愛し、27日に来日する李登輝前総統の男塾・江田島平八のコスプレ画像を。はっきり言って面白すぎます。台湾では男塾が異様な人気を誇り、若い世代のためにやったらしい。韓国の火山高といい、学園モノはアジアで人気だなぁ。
Bing
なぜか取材の後半になって、artifactなどで最近話題のモテ非モテ系話や、ニート話、面白過ぎる女性誌の話となった。あと日本人男性の感じる「エスタブリッシュな不良が『女にモテなくってもよい』という無頼は、根本的に非モテ系が標榜する『彼女なんかいなくても良い』とは違う」とかなんとか。
その中の指摘としてあったのが、日本人の男性における「非モテ、OK」「無頼良し」という風潮は、隠者文学への志向性が日本人男性作家には強いのでは?みたいな話をされた。「儒教の影響では?」とオイラは話したのだが、「いやむしろ隠者文学だよ」と話してその諸例を蕩々と説諭された。
引きこもり作家とかに対する文学者・編集者が持つ「暖かい視点」の根本を鮮やかに解説されてちょっと衝撃を覚えた。
そうした隠遁系作家の中から「わび」「さび」という概念が生まれてきたという所にいたって、長年の疑問が氷解した。

隠者文学 → わび・さび

引きこもり作家 → 萌え

という訳か! ただわび・さびからは高踏的なエスタブリッシュ性が生まれる可能性はあるけど、萌えからはどうなんだろう? まぁアニメなどの海外輸出生産物をうみ出す上で意義深いのかもしれない。
隠者の文学―苦悶する美 (講談社学術文庫)折口信夫全集〈4〉日本文学の発生序説〔文学発生論〕とかを見て正月は過ごそうと考える。
隠者の文学―苦悶する美 (講談社学術文庫)

閑寂な生活、人間の性の直視、漂泊の旅と絶対の孤独。長明・兼好・西行の陰の3つの様式を分析し、俳諧・石庭・利休の茶など、日本文化の底流を貫く「わび」「さび」の精神のルーツと本質を明らかにする。

確かにこの説明を見ると引きこもりの持つドグマと近い気がしないでもない???

暫定掲示板

死ぬほどどーでもイイ類いのコトだが、萌えはわびさびよか、むしろ粋(イキ)に近いというか、近かった。すでに野暮ではあるが。そして一部は野暮を超えてカブキだ、もはや。翻って、かつては(萌え、という言葉以前の萌えは)わびさびに近い時期もあった、気もする。

おお、新たな視点だ。要するに文系男子が考える「格好良い基準」の軸を色々考えていけばよいわけだな。
ただ個人的にはえらい感覚的な思いに過ぎないが……

江戸時代格好良さ → 粋<反対表現として野暮>

現代オタクの格好良さ → リアル<反対表現として嘘くさい>

という軸だと思う。江戸の下町の町人が現実には有り得ないやせ我慢を「粋だねぇ〜」と褒めているのと、現代オタクが現実には存在しないモビルスーツを見たりして「リアルだねぇ〜」と言っているのは同一軸線上にあると思うのだがどうでしょう?