手塚治虫補遺:部下が上司の録音をするということ(少しシリアスに)

昨日書いた手塚治虫関連の逸話でトラックバックもしていただいてPVも挙がったものの、少し補遺が必要かなと思ったので書いておく。
というのは、私の筆も少し鈍らせて書いたため、誤解を生んでしまった点を反省しているからだ。ハッキリ書こう。「部下が上司の言葉を録音する」という状況は、<単なるデスマーチ>ではなく、<駄作へ向かっての凄まじいデスマーチ>の場合でしか発生しえないイベントだからだ。
基本的に私もアニメ仕事に関わりつつあるが、スゴク詳しいとはとうてい言えない。手塚治虫とアニメーターとの間で交わされた指示内容も、昨日の文章では書かなかったが知っている。しかしそれが何枚の描き直しになるかなど具体性を持つまでの情報はなく、かつアニメーターの負担量がどの程度のものか、私自身には分からないからあえて書かなかった。
私の理解範疇にある重要な点は、「録音せざるを得なかった」という状況がいかに凄まじいものであるかということだ。「録音」という大イベント(笑)は「録音して自分の身を守らなければ身体的か精神的、社内立場的に壊されてしまう」という時にしか発生しないからだ。
信じられないほどきついデスマーチであり、かつ上司の指示がコロコロ変わっても通常は「録音」というところまでは行かない、辛くて辛くて何度リテイクを喰らっても部下が満足する仕事ならばだ。まずは一つの良い場合としての具体例を挙げよう。

具体名挙げて良いものかどうか悩んだが、褒めているのだから書いてしまおう。私が聞いた具体例の中で「デスマーチだけど、部下が満足いった」という数十例の中からセレクションしてみた話。
萩原一至のスタジオでの背景作画や効果は、本当に力あるアシスタントがぎりぎりまで頑張って描いているとの話を良く聞く。アシスタントの方も「これで本当に100%の力をふり搾った!」というクオリティで原稿のチェックを受けるのだそうだ。ところが、そこから直しが始まる。「ここをこうしたらもっと良くなるかもしれない」「最初はこう思っていたけれど完成品をみたらもう一工夫を付け加えればもっと良くなる」と、フルリテイクが2回、3回と入ることもあるらしい。その結果、当初考えていた100%以上の120%、140%の背景作画が上げさせるのだそうだ。
この話を聞く度ごとに、「いや、句読点の位置で一週間悩むそんな純文学みたいなことを、メディア特性として1秒で見開き読めてしまう漫画でやっても……」と正直、私も呆れ果てるのだが、一方で尊敬の念を抱かずにはいられない。
重要なのは、仕事辛くてデスマーチで、辞めていく人もいるけれど、そうした品質向上のための朝令暮改であるならば、部下は「録音」しないという点だ。朝令暮改の指示であっても言うことを聞いている内に作品の品質がみるみる上がっていくならば、部下は上司を尊敬して、死んでもついて行こうと思うモノだからだ。それが人間だから。

ハートマン軍曹の言葉
だが肝に銘じておけ
海兵は死ぬ
死ぬために我々は存在する
だが海兵は永遠である
つまり―――貴様らも永遠である!

テレビ番組にせよ、アニメ制作にせよ、小説・ゲーム・映画・コミックにせよ、どんな大理不尽な朝令暮改を喰らっても、自分が仕上げた作品に自負が持てそうと言うのが見えたら、部下……とりわけアニメーターとかいった職人気質の強いクリエーターは「録音」しません。洗脳されたかのように過労死するまで働くから(笑) この作品を完成させることで自分のアイデンティティを保てると判ればね。
ハートマン軍曹語録は偉大だ、あらゆることに適用できる(笑)
う〜ん、萩原一至を褒めすぎたな。少しけなしておこう、早く続き描け!

じゃあ、「録音」イベントが発生するのはどういうときか……実例を挙げて説明してしまおう。これまた数十例あるのだが、ここは一発、奴しかいないだろう。

  • Sェンムー:S木裕とその門派

まずは褒めておこう。S木裕がゲームデザイナーとしてのスゴイのは「映像作品」の肝を抽出して、ゲームに落とし込む才能があるという点だ。
「TOP GUN」から「アフターバーナー
ネバーエンディングストーリー」から「スペースハリアー
ハングオンは何を見て作ったんだっけ、「S木裕/GAMEWORKS」が本棚から見つからないよ(笑) 元ネタ丸わかりだけど、こうした映画を筐体ゲームに落とし込めるのがスゴイ才能であるのは間違いない。
で、Sェンムー。だいたいバーチャファイターを作ったのは、S木裕じゃないんだから、これを剽窃したあたりから訳が分からなくなってくる。
「録音」を部下がせざるを得なくなるのは、以下のような事件が頻発する事態に至ったときからだ。
◆モーションデータ消去事件
当然だが、3Dゲームを作るときは莫大な量のモーションデータをストックして、それを加工したりして作っていく。サーバーにはデータが貯まっていく。もちろん、不要データは削除していった方が検索も早くなるし、いいに決まっているが、いつまた使うかもしれないこともあるので、基本的にデザイナーはデータを貯めたがり、サーバー管理は削除したがる傾向が出てくる。
で、上司のAさんがサーバー管理者に怒鳴り込んでくる。
「不要データばっかりで、俺の必要なデータがすぐ出てこない、前のバージョンなんかイラン! 不要なデータは消せ」
そう言われたらサーバー管理者としては、データを消去するしかない。前のバージョンのデータをすべて削除した。
すると一週間後、Aさんが、ふたたび怒鳴り込んでくる。
「前に作った大切なデータを勝手に消しやがって!」
「不要データを消せと言われたのは、Aさんですよ」
「俺はそんなこと言っていない! この嘘つきめ! 例え言ったとしてももしかしたら必要になるかもしれないと気をきかせてバックアップを取っておくのが筋というのもだろう!」
社内の他の人間を集めた前で面罵されたサーバー管理者はしょうがないので、以降、テープレコーダーを用意して、データも決して消去しないようにしつつ、でも上司の目に触れないようにサーバーの奥底へ格納した結果、ますますサーバー容量を圧迫するようになった。以後、ゲームの製作進行に支障をきたすほどに。
シャア・アズナブル事件
Sェンムーの開発もいよいよ佳境に入ってきた時、声優を誰にするか決めようと言うことになった。さてオーディションをするときになってS木裕は注文を出した。
「主人公はシャア・アズナブルっぽいのがいいなぁ。それでオーディションをしてくれ」
……で、オーディション当日、既にオーディション時間が迫っているのにSさんはやって来ない。仕方ないので開始していると、途中からやって来た。
すでにもう何人もオーディションが済んだなか、最有力候補の演技をみて、Sさんはこう言った。
「俺はシャア・アズナブルっぽいのがいいと言っただろう、全然違うじゃないか」
その時、オーディションをしていたのは、池田秀一だった。
Sさんの「もっとシャア・アズナブルっぽいのいなかったのか」という文句と意向を反映して、主人公は別の人間に決まったのだが(笑)、オーディション担当者は、真剣に悩んだらしい。

多少脚色してありますが、部下が上司の言葉を「録音」しようというのはこういう時だ。むろん、Sェンムーの出来がどうだったかは、私はやっていないのでコメントできない(笑) あ〜シリアスに描こうとしても、Sェンムーについて書くと、苦笑がこぼれてくるのはもうしょうがないな。
Sェンムーぐらい部下がテープレコーダーを持っていたという話を聞くプロジェクトはなかった。まるでアメリカの企業訴訟を専門に扱う法律事務所並だった。
つまり、部下が真剣に上司の言葉を録音しようと考えるのは、こういった状況下でしかあり得ない。それほどのことなのだ。

で、「火の鳥2772 愛のコスモゾーン」の話だ。
私は手塚治虫と直接仕事をしたことがない。加えて、手塚のメインフィールドではないアニメという現場に置いてどういった振る舞いがあったのかついては、かなり本を読んだつもりではあるけれども、正直、使われているスタッフの方の切実さが今までよく分からなかった。
手塚のアニメ現場における指示がどの程度適切だったかどうか、それを下のスタッフがどう思ったのかは、うかがい知れない。
火の鳥2772 愛のコスモゾーン」を見たのはテレビで、しかも20年以上前に1回きりであるので、それを批評するほどの知識もない。オルガは可愛かったなぁという印象が残っているが、これもまたマンガの印象と混じり合っていて「本当にアニメに対するイメージだったのか」定かでない。
ただそうであったとしても、「部下が上司の言葉を録音」するという大イベントが発生(笑)したという点で一つハッキリしていることがある。

手塚治虫自身が、「火の鳥2772 愛のコスモゾーン」を作る課程において、どう作ったらよいのか明確な指針を持てなかった

という点だ。
すくなくとも、そうでなければ、あれほど優秀なアニメーターが「録音」しなければ耐えられないという事態には追い込まれなかったのは確かだと思う。
朝令暮改されたとしても、明確な到達点が分かり、指示に従っているうちに改善が目に見えてわかれば、通常、「録音」はしない。

あ〜、ここまで書くつもりはなかったんだけどな。

【追記】
仕事中であるが、「録音話」の追記。ここで「僕はこんなこと言っていない! この嘘つきめ!」と手塚治虫が返したのであれば、それは単に良くある面白くない話。
「この人の声は僕によく似ているね」と返すところに何とも言えぬ味があるからこそ、「本当に手塚治虫はマンガは天才だけどアニメ判ってなかったんだなぁ」「でもアニメに愛情持っていて思いつきを(理論がないからすぐ忘れるけど)アニメーターの所に足運んで楽しげに語るのだから、本当にアニメで何かを成したかったんだな」という風に読み取ると話が楽しい。
とはいえ、もし手塚が今なお生きていて、アニメ手伝ってくれと言われたら、多分、「Sェンムー手伝ってくれ」と言われて逃げ回った友人のように逃げますともさ、ああ逃げますとも。この間のアトムも逃げ回って本当に良かった(笑)
あ、PLUTOのアニメ化の話だったら手伝うかな。


さぁ仕事仕事。