スレイヤーズを語る困難さは、南総里見八犬伝を語る困難さに近い

――<途中まで書いて忙しくなって書けなくなったシリーズ1>
いや誰かが書かなきゃ行けないなと思って途中まで書いたんだけど、忙しくて以降、書けなくなった評論を途中まで載せる。写真はまったく関係ないが、南紀白浜へ取材に行ったときにとった<徐福公園>の徐福像。中上健次の生地写真はまた後で。

南総里見八犬伝の評価の難しさ
まずは前段として、南総里見八犬伝はなかなか文学的史に評価されなかったというのを書いておく。現在入手できる岩波版の南総里見八犬伝の前書きや、芥川龍之介の短編「戯作三昧」を見ても判るのだが、一大伝奇ロマン「南総里見八犬伝」は非常に文学史的な評価が定まらなかった作品だ。名作であることは間違いなし、ストーリーも無類に面白いが、文学史的には、江戸文学読み本という流れの中に、突然変異のように現れた巨岩である。とにかく類似の物を探そうとしても、少なくともそれ以前にもなければ、以後の江戸期の読本にはない(「女八犬伝」等のパロディ本は除く)。評判にはなったものの、芥川「戯作三昧」にも書かれているとおり『水滸伝の引き写しじゃないか』という批判もかなり続いたらしい。
そして維新後の近代になると、坪内逍遙小説神髄」を含めて、勧善懲悪の前近代的小説とけなしている人も多い【前近代的ではあるが面白いと坪内逍遙が評価しているのも確かだ】
実際、当時の戯作作家に置ける滝沢馬琴の行動と執筆への執念は、師匠の山東京伝、同時期の十返舎一九なんかとも浮き立って違っていたらしい。晩年の失明してからの執筆もまたそうした執念の延長にあるようだ。
江戸当時の出版状況に関しては判らないことが多く、そのほとんど唯一にして決定的とも言える資料が、馬琴自体が書いている「近世物之本江戸作者部類」による場合が多い。
さて、現代の小説に近い読本は1000部も売れればベストセラーの下の方とは言えたようだ。実際、1000部売れると書店・版元が店の小僧さんを連れて北野天神にお参りして、祝ったという記録が残っている。
読本より漫画に近い「絵入り小説」であるところの黄表紙の中には、全38編にして各1万部以上を売った柳亭種彦「偽田舎源氏」もあるが、記録によると「八犬伝」は、江戸において年間で500部以上売った以上の記録はなく、大阪へ搬入された200部〜250部を合わせても、その高い評判に反して、発行部数のみを鑑みるとベストセラーとは言えなかったようだ。
ここいら辺り、ライトノベルの源流を探る上で色々判ってきたこともあり、もう少し詳しく書きたいのだがまだ少し勉強中なので割愛する。ライトノベルの源流を調べるのに黄表紙までこんな本格的に調べるのは、我ながらヤリスギだと思います。
閑話休題。
要約するのであれば、「南総里見八犬伝」は、「江戸文学史に突如と現れた巨岩であってまた類例もなかったために」、話題になり後代に非常に高く評価されながらも、長く無視されていたという点だ。
学校教育だけで見ると、「八犬伝」はまるで江戸期の小説=読本の代表作のように言われるが、そんなことは全然なかったわけだ。
ライトノベルにおけるスレイヤーズ
そんな評価を受ける前の「八犬伝」と同じような状況がスレイヤーズにはある。ライトノベルの代表作といえば、確実に「スレイヤーズ」と言えるのだが、困ったことにスレイヤーズに関しては語られているのがすごく少ない。まだあかほりさとる論の方がある(笑)

  1. コンピュータRPGの知識を前提とした上でそれをパロディ化し、ゲーム世代の評価を受けた小説

というのは、非常に納得いく説明であるのだけれど、スレイヤーズを巡る言説においてはこれ以上がまったく出てこないのと言うのは、かなり異常なことである。
まず前提を一つ。
ライトノベルで最も売れた小説は何か>というのは、ライトノベル完全読本を作っている上で度々話題になるのだが、正確なところはよく分からない。
三村美衣大森望を初めとして、業界にも関わっている代表的なスタッフ全員に聞いたとしてもかろうじて判るのが

おそらく田中芳樹銀河英雄伝説』か、神坂一スレイヤーズ』であるのは間違いない。どちらもシリーズ1000万部超を公式に発表しているから。
6:4の可能性でスレイヤーズが1位であるような気がするが、よく分からない。「1巻の総刷り部数」「シリーズ総合」色々出し方はあるけれど……。

というところにいつも落ち着いてしまう。『ロードス島戦記』『創竜伝』『宇宙皇子』『グイン・サーガ』『なんて素敵なジャパネスク』なども1巻だけみれば、上述の両者に比肩するかもしれないけれど、う〜ん???? ライトノベル業界を巡る七不思議の一つである。
にも関わらず、小説単体としての「スレイヤーズ」は、ライトノベル史的な作品論の枠組みで語られることが、極端に少ない。
いや、確実に影響は残っている

  1. 書き下ろしでシリーズ、連載でパロディという路線を作った
  2. 女性で活発な主人公というフォーマットを作った
  3. アニメ・メディアミックスにおいて90年代前半を支えた
  4. 林原めぐみの代表作となった

etc.
でも、これらは作品性として影響を与えた何かというより、システム――富士見の以降のビジネス的な展開「明るいお笑い路線」「シリーズ名・作家名ではなく、キャラクター重視の本の宣伝」――を規定しているに過ぎない。
作家として神坂一の絶大な影響下にある後の作家・作品群が、割と明確な見え方をしていないのかもしれない。
売れ方として跡を継いだのは、「魔術士オーフェンはぐれ旅」かもしれない。だが、秋田のデビュー作やその後の傾向を見る限りにおいて、あきらかに神坂一の影響下にあると言えるだろうか?
神代創「はみだしバスタ−ズ」は明らかにスレイヤーズを射程距離に抑えているが、作家経歴ほか含めて、スレイヤーズを模した作品というなかで、客層を狙ったに過ぎず、影響下にあるとは言えないだろう。
現代における「落ちもの」のフォーマットは、『天地無用』が再興したともいえるが、「スレイヤーズ」は別にそれと関わっているわけでもない。
現在の富士見のツートップである『フルメタル・パニック!』、『まぶらほ』もスレイヤーズの影響下といわれると……違うだろうなぁ……。
リナ・インバースという女性上位のキャラクター配置が、後代の女性キャラ優位というジェンダーチックな作品群の嚆矢となったかというと、



ここまで書いて時間切れ。

この後、打ち合わせで東浩紀事務所の前Q・前島の両氏に会っていろいろ為になる意見や反応を得て、非常に面白かったのだが、ここから書くには彼ら=スレイヤーズ世代のまっただ中にいた人から意見を聞かなきゃイカンなぁと思いつつ、まだ時間がなくて果たせていない。

スレイヤーズ世代の二人の口から「滝川羊が続きを書いていれば、富士見ファンタジアの流れが変わったかも」という仮説が出たのには、非常に驚かされた。

続きはライトノベル完全読本Vol.2が出てからかなぁ。

いやそれよりもスレイヤーズ評論をやってくれる人がいないかなぁ……。きちんと作品論として前後に繋げられて書ける人。

本当に吐き気がするほど忙しい。