「ALWAYS 三丁目の夕日」に過剰な思い入れをする人々

実は「ALWAYS 三丁目の夕日」のプロデューサー陣に興味があったので、遅ればせながら見に行った。しかしプロデューサーの多い映画ですな(笑)
おそろしいほどのベタベタの映画だったが、ヒットする理由がよく分かる。楽しい。
男たちの大和/YAMATO」にハマっちゃうのが、自身や子供が下流社会へのベルトコンベアーに乗ってしまいそうなマッチョ層だとすると、「ALWAYS 三丁目の夕日」にはまるのは、少なくとも高度経済成長を経由して現時点では中の上ぐらいのポジションをキープしている50代より上の層だろうか。そんな人を上映館でもよく目にした。
「大和」「イージス」を角川&講談社的とするならば、「ALWAYS」はまさに小学館的。ある種の品の良いお坊ちゃんを連想させる。ともにこれからの日本はどうなっちゃうんだろうねぇという不安があるわけだが……。
前者が「日本人の矜持を取り戻そう」と主張するのに対して、後者は「お金がなくったって幸せに暮らしてきたじゃん」と主張する。個人的にはどっちも駒として動かされるだけで嫌なんですが。
ストーリーなんてどうでもいいのだけれども、堀北真希の無茶苦茶ハマっている「集団就職少女」、小雪の「父の借金を抱えた水商売のママ」、薬師丸ひろ子の「肝っ玉母さん」を見るだけで、ハッキリ言って価値ある映画。
白組のCGも効果的に使われていて面白い。このあたりジュヴナイルやリターナーでの蓄積が生きている。
一応の主役は《茶》川龍之介、《古》行淳之介か。文学の弱体化を《茶》川龍之介が、石原慎太郎を茶化しつつ嘆いていたり、《古》行淳之介が、小学生ながらガーンズバック的なレトロフューチャーの未来SFを書いて、それを茶川龍之介が、冒険少年で盗作しちゃうとかが面白い。
敗戦直後を描いた「ヤミの乱破」が、坂口の「堕落論」等の教養を背後においているのに対して、ドンドン伸びていく経済の前に良くも悪くも流されつつ、希望を持って生きている人々がスクリーンに描かれているとでも言えばいいのだろうか? 《茶》川龍之介の文学的教養が劇中ではバカにされ続けて、TV、冷蔵庫、洗濯機といった「三種の神器」を揃えた鈴木モーターの実用主義の方が明らかに分が良い。
とはいえ、総じて楽に見るには楽しい映画だった。少なくとも上映中は、ベタベタだなと思いつつも楽しく見られた。まぁその内の70%くらいは、堀北真希効果なんだけど。
ちょっと噂として聞いて興味を覚えたのが、「ALWAYS 三丁目の夕日」を駄作だとWebでけなすと、荒らしが現れるのだそうだ。この現象って「クレヨンしんちゃん 大人帝国の逆襲」でもあった。シルバー層以外にも、もう一つこの映画にハマる層として、30代〜40代の年金不安世代がいるのかも。
豊かなシルバー層は余裕を持って、「ALWAYS 三丁目の夕日」を見られるのだけれども、「俺たちが言い聞かされていた、豊かな未来がこないじゃないか!」と思っちゃう40代〜30代だと、「大人帝国」「ALWAYS」に過剰な思い入れが出来すぎて、《ベタベタなお涙頂戴映画》ということすら認められなくなるのだろうか。
それはちょっと悲しい。
映画中の小学生・古行淳之介が書く未来SFが、まんま「透明なチューブの中を車が……」というレトロフューチャーなのだが、それはまんま「大人帝国」でもあり、この類似も興味深い。
まぁ……オタク第一世代が、ガーンズバック未来に過剰な思い入れをするのは、SF者としてはよく分かる。