『オタク価値変遷:オルタナティヴ・バリューからオンリー・バリューへの転換』……もしくは『オタクの学力って年々、低下している?』

サークルクラッシャーの裏で仲間内で検証しつつあるネタ。まだメモ書き程度。

10年前の「オタク学入門」で岡田斗志夫は、オタクの方が一般人より学歴・基礎学力が高く、かつ年収も多いと書いてあった【「オタク愛国論」、対する大塚英志「おたく自虐史観というのだそうだ】。

でも、オタクの学力って年々低下している?

基本的に身の回りでこの業界にいる第2世代オタクは、岡田理論に当てはまる感じの、有名私立中高とか県内一進学校で出身の奴が異様に多く、大学も良い大学という奴が多い。もしくは根本的に学力なんか関係ないくらい基礎バイタリティの高い奴が多かった。

あるいは学力が関係ないほど親が裕福とか。過去であればあるほどオタク趣味は情報・商品ともに入手が困難でお金と時間がかかった。

第1世代オタクやそれ以前の第0世代オタクも……当然、業界に残る過程で選良が働くので残っているのは出来る奴ばかりなわけだが……頭の良い人が多い*1

ところが最近「勉強ついて行けない」「ニート」層の方がむしろオタクになるとか……。全体的な学力低下傾向と比較しなければ有意データにはなりえないけれど。

「オタクが大衆化」することによって、マーケットとして成立しやすくなるということもある。この両者は一つ籠に入らないトレードオフなのは間違いないのだけれども。

「ハッカーと画家」の著者で、天才プログラマにして画家でもある、ポール・グラハム「オタクが人気者になれない理由」も比較的、岡田理論に近いことを言っている。
http://www.blog.net/nerds-jp.htm
「オタクは人気者になるよりも、ほかに大事な価値を持つほどに、子供の時から頭が良い」ってことか。個人的な部分に置いては非常に納得しやすい話でもある。これ、文中ではフリークと書かれている(日本語では不良か)部分も含めて、きわめて尾崎豊チックでもあり、理解しやすい。

個人的には、オタク的趣味あるいはサブカルチャー趣味というのは、代替価値=オルタナティヴ・バリューだと思っていたのだけれども、それがいつの間にやら代替不可価値=オンリー・バリューに変わってきているのかなぁ?

まぁオルタナティヴという価値も、一つの救済装置であることは否定しないが、セカイ系に代表される……あるいは「世界に一つだけの花」でもいいや……オタク趣味だけしか僕を救ってくれないという思いこみになるとちょっと辛いなぁ。

極上生徒会のアホ設定を見ながらそう思った。


くそ、こんな事書いている閑があったら、「目に関する」イラスト理論も書かなきゃならないのだが、時間がない。

*1:にも関わらず抱え込んだ教養を下に伝える努力を、その前の世代に比べて怠っているような気がするから思う所があるのだが、まぁ今回はその話ではないし、最近、場面場面で継承も出てきているので、それはおいておく