<span style="font-size:xx-small;">[読書][アニメ][文系文化]</span><span style="font-size:medium;">和月伸宏論インターミッション:《月刊》少年エースは、本来は週刊化して《週刊》少年エースになるはずだった</span>

なかなか時間がなくて、「中編」書く閑がない。ちょっと分量が増えそうだと言うのもあるんだけど、ちょっとインターミッションを。
その外見において「るろうに剣心」と「新世紀エヴァンゲリオン」はかけ離れているので、到底同じに見えないという反発があるのはもっともだ。
ただ一般の人が知らないであろう、マンガ業界事情をいくつか記しておくと、両者が予想以上に近い位置にいたことが理解しやすくなるだろうと思うので、ちょっとインターミッションとして補足しておく。
僕の場合は、元マンガ業界にいた人から聞いて「へー」と思ったのが、もともとのこの和月伸宏論を考え始めた契機だからだ。この話がなければ、「エヴァ」と「るろうに」……あともう一つ参考として出てくる某マンガ……の比較は思いつかなかったかもしれない。そこで関わってくるので、ちょっとインターミッションとして書いておこう。
その情報の一つが、もともとは月刊少年エースは週刊化を目指して創刊されて、週刊少年エースになる予定だったということだ(隔週刊を目指していたという説もある)。
この情報を共有しておくと、集英社=ジャンプ文化と、角川書店=オタク文化がいかに交錯して、90年代をつくっていったかということが、よりシャープに見えてくると思う。
……で論じようとしているのは、ジャンプ黄金時代の最後を支えたという「るろうに剣心」の立ち位置と和月伸宏のポジションと作品変遷の経緯な訳だ*1
主人公である緋村剣心が、きわめて少年マンガ的な「生きる」というテーマ性を打ち出した「るろうに剣心・京都篇」は、和月伸宏自身が後書きで書いている通り「例外中の例外」であるという点にも注目。本来的には、後の鬱展開満載な「人誅篇」の方が、本来的な「るろうに剣心」のカラーだったわけだから……。この「京都篇」があるからこそ、和月は少年マンガの面白さに目覚めて、その方向性を極限まで追求しようし、それが和月伸宏の下から出てきた「和月組」とも呼ばれるアシスタント出身の漫画家たち−尾田栄一郎・武井宏之・鈴木信也しんがぎん他−にも繋がっていったんじゃないかと僕は推察している。
今日は、思ったよりも「仕上がり」が早いので、もうスタジオ入りしなきゃいけないから、長文は、この辺で終わり。
なんとか今週中には中編をあげたいところ(溜息)

*1:念のため書いておくと、現在はジャンプ第二の黄金時代と言うこともできるかもしれない。単行本の販売部数は、600万部時代よりも現在の方が多いからだ