<span style="font-size:xx-small;">[読書][アニメ][文系文化]</span><span style="font-size:medium;">和月伸宏論(前篇):90年代キーワード「不殺」と「新世紀エヴァンゲリオン」「るろうに剣心」の符合</span>

和月伸宏についてちょっと考えよう

僕が和月伸宏論を書こうと思ったのは、もちろん「武装錬金 9巻」が発行されたからだ。和月伸宏の「武装錬金」は、Wikiの該当項目を見れば分かるが、一種のカルト的な人気を誇ったもののアンケートが悪くて打ちきりになった作品だ。
武装錬金 - Wikipedia
そのカルト的な人気は、ネット上でも散見することができる。とりわけ武装錬金を終わらせないために単行本をまとめ買いする読者も現れて失笑を買いつつも愛された作品であることが非常によく分かる。
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以前のmemoで書いたようにあまり漫画論・社会論で触れられていないが、和月伸宏がそのデビュー作である「るろうに剣心」で実体を与えた「不殺」というキーワードは、実は90年代を代表するキーワードなのではないかと、僕は思っている。

◆90年代キーワード
新世紀エヴァンゲリオン「理解不能な社会」
永遠の仔「トラウマ、心理学」
SF全般「環境エコロジー」
るろうに剣心「不殺」

そしてもう一つ。和月信宏は、「るろうに剣心」を連載終了させた後に、少年のビルドゥングスロマンを描くことを志向し、あえて自身の売れ筋の路線を捨てて「GUN BLAZE WEST」「武装錬金」の二つを連載したものの、実はあまり上手くいかずに失敗している。
これを指摘した人がいたか、いなかったのかはよく分からないが、和月伸宏の以後の創作活動は、ほぼ同じ時期に新世紀エヴァンゲリオンを作っていた庵野秀明と表裏の関係にあるのだ。
個人的にずっと考えている「セカイ系」を経験した後に立ち現れてくる少年モノのビルドゥングスロマンは、この両者の乖離を探っていく中で見えてくるのではないかと思う。
まずは時代背景を探りながら、「エヴァ」「るろうに剣心」を語っていってみよう。

「エヴァ」「るろうに剣心」の時代背景

では、個人的な確認の意味もこめて、まずバブル崩壊前後からの歴史を振り返ってみよう。

1989年11月9日:ベルリンの壁崩壊。
1989年12月29日:日経平均株価最高値38,915円87銭最高値。以降、バブル崩壊。
1991年1月17日:湾岸戦争の開始。
1991年12月:ソビエト連邦解体。冷戦の終結。
1992年3月:「戦国の三日月」読切掲載(週刊少年ジャンプ特別増刊1992 Spring Special)
1993年8月9日 :細川護熙連立政権が発足、55年体制の崩壊
1993年冬:「るろうに -明治剣客浪漫譚-」読切掲載(1993 Winter Special)
1994年週刊少年ジャンプ連載19号:るろうに剣心連載開始。1999年43号まで。
1994年6月27日:オウム真理教・松本サリン事件発生。
1995年1月17日:阪神淡路大震災
1995年3月20日:地下鉄サリン事件
1995年5月16日:麻原彰晃逮捕。
1995年10月4日:新世紀エヴァンゲリオンの放映開始。1996年3月27日まで。
1996年1月10日:「るろうに剣心」フジテレビでアニメ化。1998年9月8日まで。

さて、こうしてみてみると、「るろうに剣心」と「新世紀エヴァンゲリオン」はきわめて近い時期にともにスタートしたことが分かる。
共通の時代背景的なモノを解説するのであれば、それは
『戦後の枠組みの崩壊と新体制の模索』と言えるだろう。
「冷戦構造の崩壊」「自民党一極支配の崩壊」「右肩上がりの経済成長の終焉」「カルト宗教によるテロ」「近代都市を破壊する大災害」がその時代背景にあることと無縁ではない。
そしてこうした「一時代の終わりと、まだ見えない新時代」という雰囲気が、世紀末というシチュエーションの中で徐々に高まりつつあった。
僕はこうした構造の中に置いて、《集英社:ジャンプ黄金時代最後期》を支えた「るろうに剣心」と、《角川:オタク文化が爛熟に向かう起爆剤》だった「新世紀エヴァンゲリオン」は、そのクリエイターである和月伸宏庵野秀明の軌跡を辿り、そして90年代の閉塞感のままにきている00年代を新たに作っていくコンテンツの可能性を探ってみるのが本稿の目的である。
忙しいし、まだ書いていない「ツンデレ後篇」などもあるから早めに切り上げたいのだけれども、やっぱり前中後篇ぐらいになっちゃうかな〜と思ってるところである。

緋村剣心碇シンジの類似

かたや時代劇の雰囲気を色濃く残した剣客浪漫。もう片方は最先端と言われ、サブカルチャーシーンをリードしたSFロボットアニメ。通常ならばあまり共通点を持たないのが普通であるはずだ。
ところが双方の主人公である緋村剣心碇シンジ、そしてストーリー設定の構造としての「るろうに剣心」「新世紀エヴァンゲリオン」は、実は驚くほどに共通点が多いのだ。
まずは緋村剣心碇シンジの共通点を洗い出してみよう。

緋村剣心碇シンジの共通点
1)主人公は大きなトラウマを抱えており、基本的に戦うことを忌避している。
・去勢(or 不能な)武器としての象徴である逆刃刀と「不殺」の信念を持つ緋村剣心
・ことある毎にエヴァンゲリオンでの戦闘を拒否する碇シンジ
2)けれども主人公の唯一のアイデンティティは「戦いの強さ」であると周囲からは考えられている。
緋村剣心は常に「るろうに」ではなく、「人斬り抜刀斉」であることを要求される
碇シンジは、エヴァのパイロットである「サードチルドレン」と見られる。
3)主人公に戦う手段を授けた師匠・父親が存在する。主人公は絶対に師匠・父には勝つことができず、その師弟親子関係は断絶している(父越えをするビルドゥングスロマンの否定)。
緋村剣心にとっての師匠・比古清十郎(飛天御剣流の現継承者。後に関係は回復)
碇シンジにとっては父親・碇ゲンドウ
4)主人公の戦う役割を代替することが出来る戦闘者が存在し、大きな悪を為す。
緋村剣心にとっては、人斬りを継いだ志々雄真実
碇シンジにとっては、鈴原トウジ害したエントリープラグや他のチルドレン達
5)主人公にはちょっと間の抜けた、隙のある自分を出すことのできる仮のオアシス=共同体がある。
緋村剣心にとっての神谷活心流道場メンバー。
碇シンジにとっての学校。三バカトリオ。
6)主人公は戦う毎に回復不能の傷を負っていき、マンガ・アニメ的な回復は限定される。
緋村剣心は戦い毎に傷を負い、高荷恵からいずれは剣客が出来なくなると告げられる。
碇シンジは、戦いが進むごとに精神的な傷を負っていき、最後まで立ち直れない。
7)主人公に大きなトラウマを与えた女性の死がストーリー開始以前にあり、主人公は恋愛に臆病になっている。
緋村剣心にとっては、追憶編で語られた恋人・雪代巴。
碇シンジにとっては、エヴァに飲み込まれて消失した母(シンジはその記憶を失う)
8)戦いの中で、過去のトラウマを癒してくれるかもしれない友人・恋人を喪い、一旦は戦いから完全に身を引く。
・剣心にとっての神谷薫(人誅篇において、通常ないほど《殺害》が偽装される)
・シンジにとっての鈴原トウジ、また渚カヲル
9)主人公は大きな罪悪感を抱えており、その戦いとは「贖罪の戦い」=「エンダーのゲーム命題」を常に抱えている。

こうやって一つ一つあげていくときりがないので、ココまでにする。
さてこれから分かったことは何だろうか? 緋村剣心が主張する「不殺」という主義が、実は碇シンジがいうエヴァンゲリオンに乗りたくない」という状況と非常に似通っていることに気が付かないだろうか?
さて、この「不殺」というキーワードだが、どうしてこういった主張が「るろうに剣心」で出てきたかというと、その理由の一つとして「週刊少年ジャンプ編集部からの要望」といった理由が挙げられる。これは当時の社会状況の中で、PTAから要望されたのではないかとも言われる。
もちろん、著者であるところの和月伸宏がよりどころとする一つの正義感であったのはいうまでもない。
「悪人であっても主人公は殺さない」ということが、後にどういった意味を持つようになってくるかという考察に関しては、以後に譲る。けれども、バトルマンガにおいて主人公について「不殺」というキーワードを作り、その下に大ヒットを飛ばして「不殺」に実体性を与えた意味は、実は想像以上に大きいのではないだろうか?
【参考】はてなダイアリー
実際に現在は、「不殺」というのは、単に「るろうに剣心」の世界内キーワードを越えて、マンガ設定やストーリーラインを語る言葉として、一人歩きしている節がある。
交響詩篇エウレカセブンにおいても、レントンが不殺か否かというのは、大きな命題の一つとなっている(それにしては描き方がトンでもなく稚拙だったが)。
巨大ロボットアニメにおいて、極端なまでに戦いを忌避する主人公=碇シンジと併置して考えてみた場合、この「不殺」というのは、じつは緋村剣心碇シンジを繋ぐのみならず、90年代の後半を彩っていた大きな時代的な気分を象徴していたのではないかと考えられないだろうか?
そしてそれはやがて反動を呼ぶことになるのだけれども、キャラクターの死ということに関して、非常に漫画家が意識せざるを得なくなった風潮の一つを象徴していたと言えるだろう。

るろうに剣心」「新世紀エヴァンゲリオン」設定の相似

さて「るろうに剣心」と「新世紀エヴァンゲリオン」の類似はこれだけに留まらない。以下、ドラマツルギーとしての両者の類似点を指摘してみよう。

◆「るろうに剣心」「新世紀エヴァンゲリオン」設定の相似
1)ストーリー開始以前に時代は変革され、旧来への回復は不可能である。
るろうに剣心ではストーリー開始10年前の「明治維新」
エヴァンゲリオンではストーリー開始15年前の「セカンドインパクト
2)主人公へ戦いを挑んでくる敵は、過去の事件からの生じた敵であり、なんらか自分と同等の要素を持っている。
・剣心に戦いを挑む敵は、「志々雄一派」「人誅編」と過去に関わった人物であり、特に志々雄真実は自身の影ともいえる存在だった
・シンジに戦いを挑んでくる「使徒」は、過去において予言された敵であり、エヴァと同じ力を使う、「もう一つの人類」だった。
3)主人公の周囲の人物また敵方は、ほぼ全員大きなトラウマを抱えており、それが様々な戦いや軋轢の原因となってくる
・「るろうに剣心」では、敵方のほとんどすべてが過去のトラウマと因縁を持っている。
・「エヴァ」では、主人公側の味方であるネルフの面々がトラウマを持っている。
4)主人公の属する共同体の規模を遙かに超えた、巨大でコンタクト不能な上部組織が存在する。
・剣心たちの神谷道場に対する「明治政府」
・シンジの「ネルフ」「学校」に対する「ゼーレ」
5)主人公にとって変革後の新社会は理解不能だが、その社会を守るための戦いである。
・剣心は明治時代の平和を守るために戦うが、剣心は明治時代に属していない。
碇シンジは残された社会と人類補完計画のために戦うが、シンジはそのどちらにも貴族関係は希薄である。
6)主人公をときに導きときに惑わす、敵とも味方ともつかない強烈な信念を持った男性が存在する(その生死や決着はつかずに終わる)
・剣心にとっては、元新撰組の斉藤一(藤田五郎)。
・シンジにとっては加持リョウジ

こちらもまた共通点が非常に多い。
面白い。
こうして見ていくと、両者はともに時代の申し子として出てきた作品であることに今さらながら気付かされる。
集英社系の和月伸宏、角川系の庵野秀明。その時代的な立ち位置はきわめて似通いながら、彼ら二人のクリエイターの指向は、その出世作とも言える「るろうに剣心」と「新世紀エヴァンゲリオン」以後、両極端とも言えるほどに乖離していくこととなる。
中篇では、その二人の軌跡と送り出したキーワードが世の中に与えた影響について考察していこうと思う。

◆「るろうに剣心」「新世紀エヴァンゲリオン」以後の主な事件
1997年2月10日:神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)の発生。
1997年3月15日:「劇場版 シト新生 DEATH&REBIRTH」公開。
1997年7月19日:「劇場版Air / まごころを、君に」公開。
1998年1月9日:「ラブ&ポップ」公開
1998年10月:アニメ「彼氏彼女の事情テレビ東京系で放映開始。1999年03月まで
1999年2月:「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 追憶編」発売開始。9月まで全4巻。
2000年12月6日:「式日」公開
2001年02号:「GUN BLAZE WEST」連載開始 2001年35号まで
2003年30号:「武装錬金」連載開始。2005年21/22合併号・赤マルジャンプまで
2004年5月29日:「キューティーハニー」公開

和月伸宏論(中篇):少年はいかに大人になるか? 和月伸宏庵野秀明の乖離に続く。

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