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SFとホラーの違いから考える「魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語」

我欲と暁美ほむら - シロクマの屑籠を読んでちょっと思ったことなどを書いてみる。

TV版の魔法少女まどか☆マギカが話題になった理由というのは幾つもあると思うけれども、SF愛読者及び評論家が興味を覚えた一つの理由としては、「滅亡へと向かう閉塞世界を如何に救うのか?」という点を、真正面から解決しようとしていた点が大きかったような気がする。

 

勿論、アニメが当たる理由などは数多くあるわけで、キャラクターデザインからOP・EDのアニメソング、面白いストーリーなど多くあるだろうから、一つに絞るのは危ないのだが、理由の一つとしてあげるのは良かろう。

 

そうしたまどか☆マギカ推しの中で、特に興味をひかれたのが、SF作家である山本弘氏の言説だ。

山本弘のSF秘密基地BLOG:『魔法少女まどか☆マギカ』最終話感想(ちょいネタバレ?)

 

この感想が象徴的だなぁと思うのは、ある種の優等生的なSF少年の典型的な反応を描いているような気がするからだ。つまりそれは、「自分に力があれば、世界を良い方向に導けるのになぁ」とでも書けばいいだろうか。まぁSF少年でそういう願望みたいなのを持っていない人のほうがオカシイだろう。

 

ただまどか☆マギカに関して言うと、美術設定を含めて、極めてホラー的な色彩で彩られていた。これは非常に効果的に働いていたし、個人的にホラーが好きでないことも合わせてとても新鮮だった。

 

……いやホラー小説はいくつも編集してますし、ホラー映画にも関わったけど、基本、ホラーってあんまり好きじゃないんすよ。なんで自分がホラーが苦手かというと、理不尽で解決できないってのが、不得手なのだと思う。

 

そう考えていくとちょっと面白いのが、某ホラー作家がSFとホラーの違いについて話してくれた違いというのがとても興味深いのだ。

 

「SFもホラーも、共に誰も見たことの世界を描こうという点では共通点が多い」

「SFってのは、世界が滅亡に瀕した時に、主人公がSF的な転換を経て、世界と彼女を救う話。その過程で主人公は死んじゃうかもしれないけど」

「俺はホラー作家だから、世界が滅亡の瞬間を迎えても、それを救おうとは思わないい。まず愛する女と一緒に逃げ延びようとする」

 

この指摘は非常にSFとホラーの境界ラインを絞り込んでいるので、とても面白いと感じた。勿論、両方の要素を持った作品というのはいくらでもあるわけだが、その両者の違いが、ストーリーのラストに現れてくるというのは面白い。

 

そう考えていくと、TV版が、曲がりなりにも、「世界のより良い方向への改変」というSF的雰囲気を残して終わったのに対して、映画のほうが「愛」を理由とする、極めて情緒的なホラーとして、続編を匂わせつつ終わったのは興味深い。

 

SFの続編とホラーの続編、どっちが作りにくいかというと、まぁ差はあれどどっちも作りにくいのだが、ジャンル的に両者を行き来し始めると、結構、面倒臭いことになるような気もする(リングシリーズを見るにつけて)。

 

最終的には「長髪で顔を隠した貞子」で推す形でリングがホラー・アイコンとして着地したように、劇団イヌカレーのテイストで美術が纒められた「魔法少女・魔女・悪魔」みたいな、アイコン的な着地を迎えるのかなという気もする。それはちょっと残念な気もするけれど。