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井上ひさしと『ラーメンと愛国』

恐ろしく久しぶりの更新になってしまったけれども、ハックル事件ではてなダイアリーが、超新星爆発のような輝きを放っている中、ここははてなダイアリーを更新しないわけには行かないだろうと思い、ついつい早起きしてキーボードを叩いている。

といっても書く内容は自意識とは、まったく別の話で、速水健朗さんの『ラーメンと愛国』を拝読させてもらい、その透徹された面白さに感銘をうけたので、ちょっと小説の分野から本書の検証をしてみよう。
日本人の国民食「ラーメン」を基軸として、戦後の文化史を見つめ直すという本書
私が速水健朗さんとお会いしたのはもう8年ぐらい前からなのだが、その頃からの速水さんの視点のユニークさは群を抜いてすごかった。あるネット雑誌の編集長に速水さんを紹介したときに、速水さんが組んだ特集記事は、「Tシャツの文化史」という記事だった。アメリカにおけるTシャツの敷衍が、如何に社会活動などと絡んでいたかという記事で、その語り口の面白さに度肝を抜かれた思い出がある。
速水さんが「踊る大捜査線2」(映画版ね)を語ると、あの大駄作映画を傑作の用に感じるという経験は、氏と語ったことのある人なら憶えがあるはずだ。
かように様々な文化史論を自家薬籠中のモノとして、何枚も切り札みたいにもっているあたり、余人には替えがたい才能の持ち主である。

ラーメンと愛国 (講談社現代新書)

ラーメンと愛国 (講談社現代新書)


さて、本書の中で私が興味を引いた箇所はいくつもあるが、
ラーメンを食べることが、戦後に青春時代を送った漫画家の間で、独特の色彩を帯びていた
というあたりの考察は、特に目を引く。
ガラスの仮面の初期において、主人公・北島マヤがラーメン屋でバイトをしていたのは、「貧乏」の象徴であったというのにはまさに膝を打つ。
と同時に、TVドラマ「渡る世間は鬼ばかり」において、泉ピン子が演じる次女が切り盛りしている
「幸楽」自体が、日本の三世代に渡る経済意識観念の象徴「祖母に取っては生きる意味、父母に取ってはビジネス、子供たちにとっては自由な生き様を邪魔する枷」
であるという卓見には刮目させられる(だから祖母は改装を嫌がり、父母は改装を望み、子供たちは店を閉めることを望む)
と同時に戦後のまだ貧しい時代に漫画家修行時代を送った男性漫画家たちにとって、ラーメンというのが特別な存在であったという指摘もまたとても興味深かった。

 松本(零士)の代表作『銀河鉄道999』にもラーメンは幾度となく登場する。主人公・星野鉄郎は、ラーメンを「人類の口の永遠の友」と呼び、ことあるごとにラーメンを食べているのだ。鉄郎にとっても、貧しい母との地球での生活の思い出が、ラーメンに託されているのだろう。
 下宿生活とラーメン。この二つが強く結びついているのは、松本零士の作品だけに限らない。漫画家の藤子不二雄の作品(藤子・F・不二雄藤子不二雄Aのものも含む)でおなじみなのが、ラーメン好きの小池さんというキャラクター。彼は、『オバケのQ太郎』をはじめ、藤子不二雄作品に脇役として登場し、常にインスタントラーメンを食している。
 藤子不二雄Aの短編に、この小池さんを主人公とした『小池さんの奇妙な生活』という作品がある。本作での小池さんは独身の売れない漫画家である。そしてやはり一日三食ラーメンを食べている。
 若くて貧乏な一人暮らし男性はラーメンを食する
(本文より)

このページを読んで私が同じく戦後の生活、とりわけ貧富の差の象徴としてラーメンを扱った小説作品として思い出したのものがある。
それが井上ひさしの『吉里吉里人』だ。このラーメンに拘り続けた小説家についてちょっと書いてみる

吉里吉里人』とは、東北の一つのむらが、日本政府に反旗を翻して独立戦争を仕掛け、それが頓挫するまでの一日半を、『24』のごとく読者時間と作中時間を一致させた長大な描写で描いた長編小説であるが、実はこの作品の中においても、ラーメンが、いくつかの印象的なシーンにおいて、
「日本の貧富の差の象徴」「母親が作ってくれるラーメンとはどういう意味があるか」
を読者に示す食品として登場する。
ちょっと手元に本が無いので、記憶に頼って書いてしまうのだが、『ラーメンと愛国』の該当箇所を小説家方面から補強する一要素として触れておきたい

主人公の売れない三文小説家・古橋健二は、幼い頃の醜悪な母親の影響で健忘症になってしまい、つねに学校の試験は零点だらけ。中学校でいよいよ進学の危機にさらされたときに、困った担任の英語の先生は、なんとか点数に下駄を履かせるために、事前に古橋へ出題する英語の試験問題をバラしてしまう。
「いいか、古橋。今度の英語の試験で、"lamentable"(ラメンタブル)という単語を出す。これは『悲しい』という意味だ。
『ラーメン食べるような悲しい気持ち』と覚えるんだ
ところが、中学生の古橋健二は、"lamentable"という単語に対して、『嬉しい』という訳で答え、再び零点をとってしまう。先生は古橋をなじるが、貧しい養父母家庭に育てられた古橋から「ラーメンを食べるのは贅沢で、悲しい気持ちではなく、嬉しい気持ちなんです」と吐露され、かつてない衝撃を受けてしまう。
比較的、裕福な中流家庭に育った先生にとって、
「ラーメンというのは、母親が病気をしたときに食べる悲しい食べ物」
であったのだ。【まぁlamentableというのを、どう覚えるか問題にもつながってくるが】
自分のラーメン観の狭さに衝撃を覚えた先生は、ラーメンにも多様な見方が存在するべきだと蒙を啓かれ、古橋のテストに点を与え、無事、古橋は進級できることとなった……ところが、ちょうどその時に先生は、「Lamentable Maria」(悲しみのマリア)という小説の翻訳仕事を頼まれていたのだが、この経験から、先生は小説のタイトルを「喜びのマリア」と翻訳することを譲らず、結果、出版社と揉めに揉めた挙句、
精神病院に入院するはめになってしまう

というエピソードがあったりする。
井上ひさしは、明治期や戦後混乱期の日本社会の惑乱するさまを、コメディタッチで描くと同時に、社会問題を伝えるのがとてもうまく、私も中学生時代にハマっていたのだけども、その記憶を速水健朗さんの『ラーメンと愛国』に呼び起こされてしまった感じで、かなり懐かしかった。
ちなみに井上の『吉里吉里人』には、さらにいくつかのラーメンエピソードが存在する。実はこの小説内においては、主人公の古橋を捨てて男と出奔した母親が、インスタントラーメンの発明者兼女社長(女:安藤百福)として、後々登場するのだ。
そしてノンフライで即席麺を作れるようになった会社との熾烈な売上競争の末に、倍々賞金のとんでもないTVクイズ番組のスポンサーとして、自社製品を宣伝しているという設定で登場する。そして健忘症から異様記憶増進症になってクイズ番組で多大な賞金を貰う予定の古橋を誘惑、賞金を減額させようとする悪徳女社長として登場するのだ。
テレビCM提供で麺を売った点も、安藤百福を模している理由だ。
また健忘症の古橋健二がラーメンの配達をするために痛みと共に配達先を覚えるべく自傷行為に及ぶなど、
井上ひさしは、なんでこんなにラーメン話が好きなんだと中学生ながら不思議に思ったぐらい様々な麺話が登場する。
それがことごとく、戦後からしばらくした時期の、貧富の差を現す象徴的な食べ物であったことに、
『ラーメンと愛国』を読んでいまさらながらに気づいて
ちょっと胸の引っ掛かりが取れたりしたのである。

なんか久方ぶりにブログを書いたので、色々と手直しに時間がかかった。まぁ、それはともかくとして、『ラーメンと愛国』。いろんな知的好奇心を刺激されるスリリングな本です。ホントおすすめ!

吉里吉里人 (上巻) (新潮文庫)

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にほん語観察ノート (中公文庫)

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