関川夏央:『坂の上の雲』の主人公がどうして正岡子規だったのか? ロスジェネとしての「坊ちゃん」

関川夏央の本から備忘録として引用

 日露戦争をえがいているはずのこの物語の主人公のひとりが正岡子規であることを不思議に思う方も多いようです。日露戦争が主役であるならば、本来は夏目漱石が出てきたほうがいい。
 漱石は戦前の最も重要な時期にロンドンにいました。渡英するとすぐにビクトリア女王の死に接し、少しのちボーア戦争出征軍人の、まるで敗者のごとき凱旋を目撃しています。そして日英同盟の締結に遭遇し、英国社会の考え方や、西欧の空気に圧倒されながらも、これを批評的に眺め、帰国して日露戦争に出会います。

司馬遼太郎夏目漱石を晩年まで愛読していたことは、よく知られていたらしい。
ただ書き始める切っ掛けとして、正岡子規を調べていたら、その幼馴染みとして秋山兄弟を知ることとになったことがひとつにあり、また陰性の夏目漱石よりも、陽性の正岡子規の方が、司馬遼太郎が書きたかった明治の時代精神に合っていたなどの理由があるとのこと。

 軽快に見えるけれども実は悲劇的な小説『坊ちゃん』の主人公は明治十六年生まれだと思います。「坊ちゃん」の兄は東京高商を出て三井物産かどこか、つまり新興の貿易会社か汽船会社あたりに勤めて、門司に赴任し、明治三十年代の社会にアジャストしますが、「坊ちゃん」自身はそうはいきません。就職先の学校を一ヶ月あまりでしくじって帰京し、市電の技手になります。技師の下僚ですね。
(中略)
 漱石は、やむを得ざる進歩の末にある二十世紀を生きる青年たちの、不安ととまどいを忠実に映し出す作家でした。
 司馬遼太郎は漱石を尊敬しておりました。その死まで『それから』を愛読していたといいます。しかし『坂の上の雲』は十九世紀的新興日本の明るさを、またその明るさがピークに達して「坂の上」の向こう側に不安な二十世紀をのぞきこむ直前までをえがこうとする壮大な試みですから、ここは子規でないといけないわけです。

生まれる年代が、わずか数年違っただけで、「坊ちゃん」の兄は就職を成功したのに対して、「坊ちゃん」は失敗して、ばあやと東京で電車の技師になって暮らしたという話。
ロスト・ジェネレーションとしての「坊ちゃん」というのは、ちと辛い話だ。

あとちょっと面白かったのが下記。

「どんな歴史時代の精神も三十年以上はつづきがたい」とは司馬遼太郎一流の言い方です。この考えが『坂の上の雲』全体をつらぬいている一種の「無常」感の背景に、厳としてあるように思われます。

その他、色々と坂の上の雲を補足する内容が書いてあるため、再読しても面白い。
明石元二郎って、世界でも有名だったんだねぇ。
さて、問題は書いてあることは予想できるのだけれども、一読したいだけで、内田樹があとがきを書いている文庫版を買うかどうしようか悩むなー。

「坂の上の雲」と日本人 (文春文庫)

「坂の上の雲」と日本人 (文春文庫)