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人はいつまでサブカルの事件日を忘れず、コンテンツ内の記念日を祝い続けるのか?

日常

なんか爆弾処理に明け暮れた一週間でしたが、まぁなんとかなった。来週あけには一つ片も付きそうだし。
さてさて、先日、コメント欄に「2009年6月6日は尾上舞さんの20周忌」って書き込みがあったのですが、いやぁ、こういうのを覚えている人は尊敬するなぁ。
そうそう、蓬莱学園の内戦が起こったのもそろそろですね。あの時はどこで戦っていましたか?」なんてメールも来た。どう返信すればいいんだ。いや律儀に返信したけど。
簡単に解説すると尾上舞ってのは、遊演体の最初のPBM「ネット'88」というゲームでの人間側のヒロイン。まぁクトゥルフ神話と日本神話を合わせた第一次クトゥルフブームの時、郵便によって行われたRPGゲームですね。その後、十年ぐらいこのPBMというのも企画が乱立しました。
で、ふと気になったんだけど、なんというか、機動戦士ガンダム35周年とか新世紀エヴァンゲリオン15周年とかオネアミスの翼20周年とか涼宮ハルヒの憂鬱8周年とか、そういうのを俺たちは背負い続けていかなければならないのかという先を想像したら、なんかちょっと重いなぁっていうか……。
そういうお祭りはG20あたりで終わりにするんじゃなかったのかなぁ。
これはやがで憂国忌とか、ジョン・レノンとか、中上忌みたいな言葉になって、それをどっかの勘違いしたオジサンが、俳句の季語化しちゃったりするのかもしれない。
なんで俺から季語なんて発想に繋がるかというと、最近やっている仕事の一部に、一見ハイソでハイブロウでも実際のところは、ブームに踊らされているだけのリーズナブルで経済的な趣味のジャンルを扱うことが多くなってきているもんで。俳句とか仏像写真とか、寺社探訪とかね。
さすがにまだ将棋はないし、将棋関連のモッチーの記事も読んでいないから、モッチーの熱い思いはよく分からん。空回りしているとしか見えないが。
閑話休題。当初は、そういう記念日はマスコミやら文壇、そして熱狂的なファンの一部には共有されるんだけれども、最後には俳句の季語レベルの、ファンでも何でもない人にとっては、一年のうちの季節を表す「単なる表象」へと変化してしまう
で毎年毎年、それを枕詞にしてメールが来るの。
いや俺は大丈夫。もうそういうのを引き受けていかねばならんだろうなと覚悟ができてるから。
そういう未来を想像したら、クシャミが出た。今は大丈夫なんだけど、きっと将来、ヘンテコなことになっていくんだろう。

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| エンタテインメント
| Reuters


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と言うニュースも驚き。
ここでまたクシャミ。
(あれ? 久々に書いたらリンクの表記がうまく出ない)