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日本の《ご隠居》内田樹の定義する「自立」と「ヤクザ渡世」

日本的な賢者ってのは、「熊さんとご隠居」における「ご隠居」みたいなものの訳だが、ここ数年、内田樹ってそのポジションを堅持し続けているってのがスゴイよな。
それをブログで維持できているというあたりが新しいのだけれども、位置づけはきわめて古典的。遅れてきた吉本隆明なんだろうけど。
一人では生きられないので死んで貰います (内田樹の研究室)
というのがあまりに面白かったので、引用。
この賢人的ポジションの堅持力はすげぇ。

「一人では生きられないので死んで貰います」
(前略)
「一人では生きられない」から共生するというのが人間のデフォルトである。そして、「一人では生きられない度」の高さがその人間の成熟度と相関していると私は考えている。

赤ちゃんは一人では生きられないが、母親がひとりいれば、「赤ちゃん的必要」の過半は満たされる。

子どもが成長すると、「友だち」が必要になる。「先生」も必要になる。「好きな異性」も必要である。

青年になると、「天敵」とか「ライバル」とかひとひねり効いた「友だち」が必要になるし、渡世上の「親分」とか「上司」とか「師匠」とか「兄貴」とかも出てくるし、教化的にはぜひ「反面教師」も欲しいし、「天津敏あるいは金子信男」的な「悪役」もいるとスパイシーだし、異性も「恋人」のほかに「遊び友だち」「情人」「ワンナイト・スタンド」など、各種取り揃えておけるものなら揃えておきたい。

ビジネスをするなら「ビジネス・パートナー」「クライアント」が要るし、ピンの芸だって「観客」「ファン」「愛読者」が要る。

というふうに、成長につれて、人間の「ひとりでは生きられない」度は高まるのである。

平たく言えば、その人が愉快に生きてゆくためにどれくらい多くの他者の存在を必要としているかが、その人の社会的成熟度の数値的な指標になるということである。

「自立」というのは、この「支え手である他者たち」の数があまりに多いので、入力の変化が当人のアクティヴィティにごく微細な影響しか与えないようなありようのことである。

赤ちゃんが自立していないと言われるのは、母親がひとりいなくなるだけでたちまちその生存が危うくなるからである。
「オレは自立しているぜ」などといくら力んで宣言してもダメである。
自立というのはマインドセットの問題ではなく、現にどのように他者とわかちがたく共生しているかの問題だからである。

自立の最低限の要件は「異性のパートナー」「党派的同志あるいは〈兄弟盃〉をかわしたパートナー」そして「顧客または弟子または支援者」の三つのカテゴリーの他者に支えられていることである。

いや、面白いね。

内田樹の考える人間の自立の条件

  1. 異性のパートナー
  2. 党派的同志あるいは〈兄弟盃〉をかわしたパートナー
  3. 顧客または弟子または支援者

まあ、こういう風な文章の流れになったから、次の話の展開は

ニート 支援者しか持たない。
オタク 党派的同志しかもたない
ビッチ 異性のパートナーしか持たない

ってなるのかいなぁ……みたいなことを考えていたら、
その後、いきなりヤクザの話になるのである。
『唐獅子牡丹・人斬り唐獅子』である。

いきなりアクロバティックだぜ。
どう繋がっていくのかについては、リンク先を読んでもらうとして、本当にスゴイよな。
新刊もよまねば……。

ひとりでは生きられないのも芸のうち

ひとりでは生きられないのも芸のうち


ぎゃー、新刊出てる! 買わなきゃ!
内田樹のリンク先も是非読んでね。