「LIAR GAME」を見て思う「蓬莱学園」のファラオ・ゲーム

集英社的に「DEATH NOTE」の正統後継コンテンツって言うと、甲斐谷忍の「LIAR GAME」になんだろう。
甲斐谷忍に関しては、デビュー作である「ソムリエ」から追っかけている好きな漫画家だけど、異色野球漫画「ONE OUT」あたりで明らかに《サバイブ系》のコミック……決められた枠内のゲームで絶対に勝ち残る知的戦略を争う……を書き始めて、オカシナことになってるなぁと思ってた。
その完成形ともいうのが「LIAR GAME」なんだけど、これは早くも3巻の最終話において、ある種の結論が出ている。
【みんなが正直でいさえすれば全員が救われる。ライアーゲームとはそういうゲームなのだ】
というのを、無垢で間抜けなヒロイン・神崎直が言っちゃってる。この神崎直というのは、他人を馬鹿正直に信じることしかできないキャラとして設定されていて、天才詐欺師・秋山とのバディモノになってるのが「LIAR GAME」の基本的なストーリーラインだ。
もっとも4巻で描かれはじめた三回戦では、
【人を信じるためには、まず疑うという他人を知る行為をしなければならない】
【正直であるためには、誇りと勇気が必要だ】
【人を支配するということの愚かしさ】

みたいなテーマも出てる。
ただどちらかというと、これは3巻の大テーマの各論めいたものであって、「テーマの一層の深化」ってほどじゃないなぁと思ってる。
で、この【みんなが正直でいさえすれば全員が救われる】という「共存共栄理論」みたいなのを見るとですね、私としては蓬莱学園の「十二階遊び」とか「ファラオ・ゲーム」「オルフェウス・ギャンビット」とか、そこから構造主義にハマっていった大学時代を想い出すわけですよ……そんなワケで基本的に乙木は全然、ポスト構造主義者じゃない(笑)。
「十二階遊び」ってのは、蓬莱学園がある宇津帆島に伝わる、童謡遊び。詳細は次に書くけど、いわゆるゲーム理論における「囚人ゲーム」をもうちょっと複雑にした双六みたいなものでで、ようするに敵プレイヤーを信頼し、協調した者が勝ち。全員が小さく勝つのが最良というのを子供に教えるゲームとなっている。

「十二階遊び」

  1. 宇津保島に伝わる童歌遊びで「十二階遊び」というのがある。
  2. ちなみに「十二階遊び」というのは新島民の呼び名であり、旧島民は「ジューニフティー(12個の石)」「イトゥフティー(干支の石)」と呼ぶ。
  3. 3人から10人で地面に大きな丸をかき、東西南北に陣地を決め、その間に等間隔に二つの陣地をおく。つまり陣地の数は12個となる。
  4. 各人は白、黒の石を各5〜6個ずつ持ち、任意の陣地に立つ。
  5. 全員で「白石みーせよ」または「かーらすからす白石みせよ」「うんまさん、うんまさん、白石みせよ」と掛け声をかけ、白石黒石のどちらかを握った手を突き出し、同時に手を開いて見せる。
  6. 全員が白石を握っていたら、全員が時計回りに陣地を一つ進む。
  7. ひとりだけ黒石だったら、その人だけが他の人の出した白石の数と同じだけ進める。
  8. もし黒石が二人以上なら、その人たちは黒石の数と同じだけ戻る。
  9. 黒石で勝った者は進む時に両目をつむり片足でとんで進むこと。まわりの人は「黒石黒石おひーさんのめー(お陽さんの目)」とはやしたてる。途中でバランスを崩したり輪からはずれたら「白石白石おつーさんのみー」とはやし、黒石の人は元に戻り、白石の者が一つずつ進む。
  10. こうして、輪を3周すれば勝ち。
  11. 二位、三位を決める時は勝者は輪の真ん中で座って待つ。
  12. 新島民ルールでは、東西南北の陣地以外はずっと片足で立ち、黒石を出して進むときはさらに目をつむることにしており、また12の陣地を北から「1階」「2階」と呼ぶ。
  13. またはやし声も「お堀の中にぐらぐらどーん」とか「十二階、十二階、上野のお山も火事ボーボー」となる。
  14. 旧島民の年寄りは、北にウサギの絵、中央に馬の絵を描いた。
  15. また古いルールでは黒石の数を制限し、一回使うと真ん中に捨てるとか、使った陣地に置いて次に来た人のものになるとか、馬の絵に人がいたときに黒石が出るとその人は出た黒石の数だけ戻るなどの決まりがあった。
  16. いちばん黒石を使わずに勝った者を「いちばんよく勝った者」といい、正月には「いちばんよく勝った子」がお餅をもらったらしい。
  17. 新町の子供たちは自分専用の石をひと組、持ち歩いているらしい。

【補足】
ようするにこのルールであるなら、一人だけが裏切って勝ち抜けしようとした場合は「大勝ち」するが、裏切り者が複数いると損をする。結果、全員が他人を信じて白石を出し続けて共存共栄策をとった方が良いという遊び。

「ファラオ・ゲーム」と「オルフェウス・ギャンビット」というのも、まぁゲーム中に登場する経済・政治理論話で「協調しなければゲーム盤面自体が壊れるよ」みたいな話だったわけだ。あるいは「ゲームの前提条件が変えてやれば、勝者なんて簡単に変わるよ」と読み替えても良いかもしれない。
ま、このあたりはゲームという言葉自体を、「資本主義ゲーム」「高校生のクラス内勢力図ゲーム」と言い替えてもいいのかもしれない。
LIAR GAME」の3巻を読んでこう思うわけですよ。あー、昔、こんな事ばかり考えていたなぁーって。その意味で蓬莱学園って、あまりに00年代後半の現代的過ぎる……。ま、そんなのを17年も前に必至こいてやらされていたわけですね、蓬莱学園のプレイヤーは(笑)。
ともかくも悪魔的なゲームでしたよ、『蓬莱学園の冒険』は……。だからこそ参加プレイヤーの1割以上が、プロ作家&編集者になるという「どこの劇画村塾だ?」という結果を生み出したわけだし。
おそらくアレを作った柳川房彦新城カズマさん自体もよく分からなかったし、もう一度、アレを作れといっての無理なのかもしれない。その意味で『アルジャーノンに花束を』的というか、不可思議なゲームだったのである。

「ファラオ・ゲーム」と「オルフェウス・ギャンビット」

  1. 人間は死にたがるよりは、生き続けたがる動物である
  2. 生きるためには食べなくてはならない
  3. そのために道具をつくった
  4. ところが今度は道具の性能がよくなりすぎ、人口が増え始めた
  5. 当然、食べ物が足りなくなる
  6. さて、どうするか
  7. もちろん「法律/社会」をつくる
  8. その結果、どうなるかというと、
  9. 法律の効率の良さでもって、どのタイプの法律が生き残るかの勝負になる。
  10. 理想主義者なら「良い法律が残る」と言うだろうが
  11. 実は違う:残るのは「他人をたくさん操る法律」である
  12. それはたくさんの人間を、宗教や文化やら噂やらといったもので「何かに信じこませ、熱中させ、考える時間を与えずに」あやつり、動員させ、彼らが働いた結果を「自分のほうが偉いからと信じ込ませることによって」全部かすめとるシステムである
  13. これを、古代エジプトの現人神王にならって『ファラオ・ゲーム』と呼ぼう
  14. ファラオ・ゲームの「ファラオ」は上手になればなるほど、使われる者=駒に比べて知識の量がケタ違いに大きくなり、またこれを操作できる。
  15. 駒は、ファラオが何を目指しているのか、何が彼にとって『勝ち』なのかさえ、情報操作によって解らなくさせられてしまうので、勝ちようがない。
  16. 他の法律も、ファラオ・ゲームを前にしては、遅かれ早かれ倒されて、その駒になってしまう:なぜなら両者が対決したとき、動員効率の良いファラオのほうが結局は勝つからである。
  17. 要するに人類の歴史とは、より優れたファラオ・ゲームをめざす道のりであったといえる。
  18. ただし、前提条件が変われば、ファラオ・ゲームはかなり簡単に崩壊する。
  19. たとえば、底に穴の開いた風呂桶の水は、どうあがいても穴に流れ込むが、穴を水面よりも上に持ち上げることができれば、水の流れはストップする:水は駒、穴はファラオゲームである。
  20. この時、穴を持ち上げる力を『オルフェウスの琴』、持ち上げる行為を『オルフェウス・ギャンビット』と呼ぼう

ともかくもPBM版「蓬莱学園の冒険!」は、本当にプレイヤーが鍛えられる不可思議なゲームでした……。