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最速レビュー 古橋秀之『冬の巨人』を読みつつ、なんでジブリに後継者が育たないかを論ずる

読書

徳間デュアル文庫より、古橋秀之氏、待望の新作『冬の巨人』が刊行される。早ウリでゲットしたので、早速レビューを言ってみよう!
■『ゲド戦記』DVDより古橋版ラピュタ冬の巨人』を買おう
古橋秀之という作家は無視できない。
およそライトノベルというジャンルが第二次ライトノベルブームに至る過程において、古橋秀之という作家が書いた作品群が、いかに多大な影響を与えてきたかと言うことを見逃したというのであれば、多分、その人は目の中に家の梁が入ったとしても見逃す人だろう。
古橋秀之のデビューが業界に与えた衝撃というのは、それぐらい大きくまた筆力を持った作家でもある。
それは何故かというと、古橋秀之の視点を持って世界をリライトし直すと、それがちょっと新しくなるからである。
法政大学金原ゼミでのエピソードだが、秋山瑞人が書いてきたサイバーパンクを、翌週、古橋秀之がギャグにリライトして書いてきて、金原瑞人自体は、後者の方が出来がよいように感じたというエピソードがある。
自身の内面を深く見つめて、そこから出てくる物を掘り起こすことによって新しいモノをクリエイトしていくというタイプの才能と、古くからあるモノをリライトすることによって新しいモノへと変換していくタイプの才能。これを「デビュー当時から」二つバランス良く合わせ持っている作家が古橋秀之である。
で、徳間デュアル文庫より刊行が予定されながら延び延びになっていた『冬の巨人』である。

終わりのない冬、果てのない凍土の只中を、休むことなく歩き続ける異形の巨人“ミール”。その背に造り上げられた都市は、人々の暮らす世界そのものだった。都市の片隅に住む貧しい少年オーリャは、神学院教授ディエーニンの助手として、地上から、そして空からこの“世界”の在り方を垣間見、そしてそこで光り輝く少女と出会う。“世界の外”から訪れた不思議な少女は、老い果てた都市に何をもたらすのか。そして、千年の歩みの果てに巨人がたどり着くところとは――奇才・古橋秀之が描く異世界ファンタジー。
[rakuten:book:12036029:detail]

単なるカバーイラストでは、折り返しのところにまで掲載された《冬の巨人》こと、ミールの顔が見えなくなってしまうので、スキャンして折り返し部分までのイラストを掲載する。
古橋秀之の全作品を読んできた者にとっては、この『冬の巨人』は特別な作品である……いや、古橋秀之の場合、特別な作品というのが多すぎるのが問題でもあるんだけど……。
古橋さんってここまで詩的なんだ
というのを再確認させられる小説である。
後書きで古橋秀之は『冬の巨人』の着想をこう述べている。

この本についても、「“破滅と再生の寓話”という感じでひとつ」みたいな素案は早々と出来上がっていて

この「寓話性」というのをどう描写するかと言うことに当たって、意識的か無意識的かは分からないが、選択されたのが「現代の寓話としての宮崎駿」なのかなという感じは強く受ける。
その意味において、この作品から感じられる香気のようなものは、とりわけ『天空の城 ラピュタ』のような、少年の冒険譚として、やや短めではあるが、まとまりよく形作られていて非常に面白い。
まぁその雰囲気は読まねばわからないので、買って読んでもらうこととして、ストーリーに出てくる要素も宮崎駿に近い部分があって興味深い。宮崎駿には繰り返し出てくるモチーフはいくつもあるが、面白いことにこの『冬の巨人』は、宮崎駿が源泉としている創作の泉から、一緒に水を飲んだのではないかとうぐらい出てくるモチーフに相通じるものがある。

  1. 身よりのいない貧しい主人公の少年
  2. お転婆なお姫様
  3. 主人公を導く元気な年寄り
  4. 人を載せ疾駆する、あまりに巨大で古い機械
  5. 目眩く雲海を越えてゆく飛翔
  6. 謎を秘めた少女
  7. 大人数で行進する群衆
  8. クライマックスは崩壊する巨大構築物からの脱出
  9. 大股開きで空を飛ぶ少女

本作では、元気な年寄りに当たるのが主人公の雇い主で、天才だが奇人でもある「ディエーニン教授」だ。年老いた巨人「ミール」の疲弊による、世界の破滅を予想して研究を進める天才的な学者……というよりも冒険学者……である。
非常に有能な人物で、「知的」巨人という意味で、ストーリーに登場するもう一人の巨人といっても過言ではない。
大体、どれぐらい有能かっていうと、『風の谷のナウシカ』で世界の破滅を調べている放浪者・ユパと、『ファウンデーション』シリーズのハリ・セルダンを合わせたぐらい有能である。ちょっと有能すぎるんじゃなかろうかと思うけど。
冬の巨人』はボリューム的には小品であるため、宮崎アニメから得られる満足感を百パーセント期待すると裏切られてしまうが、本作に書かれた神話的なまでの叙情性を持った詩的な精髄は決して宮崎アニメに劣ることはないと断言することが出来る。
後述するが、宮崎アニメに欠けていて「どうにもこれは我慢できないなぁ」と思われる要素を二つも描ききっているという点において、乙木的には大満足であるし、
あー「金魚姫」とか作るぐらいアイディアが枯渇しているなら、古橋秀之にアイディアをもらいに行った方が良いんじゃないだろうか、宮崎駿
というぐらいの作品と言っても過言ではない。
なんといっても、大股開きで空を飛ぶ少女である。もう一回書いちゃうけど大股開きで空を飛ぶ少女である。なんで宮崎駿は大股開きで空を飛んだり、落ちたりする少女が好きなのかとは書くことは禁句であるが、それに負けずに果敢に挑戦した一点を持ってしても本作は買いである。ちなみに露出度は「冬の巨人」の方が上である。
この一点をもってしても、『ゲド戦記』DVDよりこっちを買った方がいいと断言できる作品である。
ちなみに読み終わったあと、『天空の城 ラピュタ』を見たくなるのは必然なので、一緒にビデオを借りておくというのが、本作の正しい鑑賞姿勢といえよう。
古橋秀之を読むと気がつく宮崎駿に欠けてるモチーフ
たびたび書いているけれども、宮崎駿は同じモチーフを利用していくつもの作品を書くことが多い――これは宮崎の天才性を持ってしても、なんでも描けないということも示しているワケだが。
その意味で、個人的に宮崎駿において欠けているなぁと思うのは、

主人公を助け導く青年・壮年の男性

だろうか? 主人公が少年ということを考えると、それは父親とか叔父、あるいは兄ぐらいの年齢の男性とだが、宮崎アニメにはこういう年齢の男性ってほとんど登場しない。
未来少年コナン』における、地下の囚人・ルーケぐらいだろうか? けれども主人公とはあまりに生活圏がかけ離れすぎているので、主人公のロールモデルにならないんだよね。コナンが中学生とするならば、ルーケは大会社の労働組合の委員長ぐらいな感じで、ちょっと直接的な知的接点が少なすぎる。

人格的および能力的にも完成された老年の男性

はほぼ全作品において登場するのだけれども……。
実はこれって宮崎駿が後継者を育てるのに決定的に失敗する要因にもなっているような気がする。
かろうじてそれに近い存在として、
『天空の城 ラピュタ』における親方
未来少年コナン』におけるダイス船長

が近いかもしれないが、前者は主人公が絡むことになる冒険にとっては絡むところがなく、後者においては、どちらかというとコナンの方が主導する位の勢いだ。また徒弟制度的な匂いが両者に濃厚なのも面白い。
女性視点で見るのであるならば、まだかろうじて少女がロールモデルとして選択できるような存在は散見できる。
象徴的なのは、『魔女の宅急便』のキキにおけるウルスラなワケだが……逆にこれは象徴的すぎて「こんなに分かりやすくする」ってことは、宮崎駿の世界観には「主人公を導きながら、自分も仕事をしている青年・壮年モデル」って、まったく存在しないんだろうなと思わせてしまう。
しかも同じ声優を使うっていうのは、「単なる時間的なスケールの差」を示している状態でしかない。「未来の正解をタイムマシーンで先取り」っていうか、「それってどんなオシシ仮面?」っていうか……。
【追記】
はてなキーワードで知ったのだがウルスラって守護聖人か。

Ursula
4世紀頃の処女殉教者。聖女ウルスラ、聖ウルスラ。
少女を守護する4世紀の聖人。英国内のキリスト教国の王女であったが、ローマ巡礼の帰路、ケルン(ドイツ)の地においてフン族に襲撃され、彼女と共に11,000人の乙女が殉教したとされる。
ケルンの守護聖人。10月21日を記念日とする。
Ursulaとは、ラテン語で「熊」の意味を持つ。
少女を守護するということから、女子校の校名に冠されることが多く、日本にも「聖心ウルスラ学園」「八戸聖ウルスラ学院」などの元女子校の学園(共に現在は男女共学)が存在している。

う〜ん、都会で暮らす少女を描いたにしては、「周囲が善人ばかりで、これが果たして都会に出てきた少女の話といえるだろうか?」という批判が、『魔女の宅急便』にはついて回っているのだけれども、ウルスラってのが「未来の成功体験上の自分」に加えて「少女の守護聖人」であるわけか。やっぱり宮崎にはこういうキャラクターって描けないな。
『千とちひろの神隠し』では、主人公の先輩格としてリンが出てくるけれど、これもわりと今まで描いてきた少年の見た徒弟制度(というよりも奴隷っぽいけど)の性別を引っ繰り返したような感じだけだ。
こう考えていくと、宮崎駿の欠けてる部分が非常によく分かる。
●「太陽の王子ホルス」制作時のエピソードの時のように宮崎駿は、最初から完成していたが故に、先達からの教育というのがよく分からない。
●「徒弟制度で作られた組織とその長はevilにならない」と宮崎駿は誤解している
(ここでいうevilってGoogleの社是に入っているDon't be evil.ね)
前者はΖガンダム劇場版で見る富野と宮崎の教育観の違い - さて次の企画はでも似たようなことを述べたので繰り返さない。
今回、『冬の巨人』と宮崎作品を見比べて、気がついた宮崎駿の欠点が後者の「徒弟制度で作られた組織とその長はevilにならない」と宮崎駿は誤解している点だ。
この部分は、おそらく無意識の領域になってくるんだろうけれど、これほどまでに「現代の寓話」として、宮崎アニメと相似形を保っている古橋秀之の『冬の巨人』であるけれども、教授であるディオーニンの右腕として、助教授のブニコフというキャラクターが登場している点が興味深い。

ディエーニンは柔和な顔をした、大柄な人物だ。ディエーニンの信頼は篤く、先の調査行でもミール側に居残った支援要員の長をしている。
(中略)
ウーチシチに真っ向から反論しながらも、ブニコフは笑顔を絶やさない。ふくよかな容姿と相まって、独特に人当たりのよさがある。

イラスト化もされていないキャラクターではあるのだけれども、要所要所で登場し、頑固になりかけているディオーニンの足りないところを補佐し、主人公オーリャを助ける中間管理職的なキャラクターとして描かれている。
うん、これは興味深い。こういうキャラクターが意識的か無意識的か分からないが、古橋秀之の小説に登場してくるというのは、あの世代には未知であった「組織」とか「社会」とは何かっていうのを、ようやく描けるようになってるのかなぁと、ちょっと一つのメルクマール的に感じた。まだ陰謀的な匂いが残っているけれどね。
「主人公が属する組織にちゃんとした中間的なチームリーダーが存在し、それが最後まで機能する」
っていうのは、やがて大きな群像劇とかを描いていく中で、いろいろと重要なんですよ。

後藤隊長のいない機動警察パトレイバー

ってのが存在しないのと同じように考えると分かりやすいか。30代後半になってくると、ここの存在を意識上にのぼらせられないとね。
おお、話題が「古橋秀之が《組織モノ》を書けるようになってる!」にちょいとズレた。修正!
古橋秀之が気付いていて、宮崎駿が気付いていない点に
◆老人の職人は頑固になっていて、新人と言葉を通じさせることができない
ってことがよく分からなくなっているのだろう。
冬の巨人』に登場するディオーニン教授は、前にも書いたけれどもユパとハリ・セルダンを合わせた位に有能で、主人公のオーリャとも十全たるコミュニケーションがとれるのだけれども、普通はそんなことはあり得ない。
有能でその世界に一人しかいないぐらいの老人って、どんなにコミュニケーション力が高かったとしても「頑固」でしょ。それが世代を超えて若者とコミットするには、常置される必要はまったくないけれども、なんらか中間的な存在が必要になるはずなワケだ、普通なら。
けれども宮崎駿の描く徒弟制度はいつも「1対1」か「たった一人の修業」
になっている点は見逃せない。
そして「職人の長たる老人は、悪を成さない」という確信も興味深い。宮崎駿の世界観はそうなのだろう。
だから、色んな意味で
「職人の集合集団であるジブリは、Don't be evil.というマントラを掲げなくてもevilにならない」
という感じに繋がっていくんだろうな。
『空飛ぶ幽霊船』を見ると、「コカ・コーラ」とか大企業が大嫌いというのは、非常に分かるからこそ、ジブリは企業的ではなくて、職能集団的に作り上げられているわけだけれども。
でもそうであったとしてもevilになっちゃうんだなぁ…というのは、アマゾンでの『ゲド戦記』評価を見ると、嫌と言うほど感じられる瞬間だ。ま、駄作を駄作と見抜けない人って一杯いるんだと感じる瞬間でもある(笑)
あともう一つ、宮崎駿の世界観にあり得ずに、古橋秀之冬の巨人』にでてくるモノとして、『三角関係』というのもあったりするのだけれども、このあたりは『海が聞こえる』文庫版の宮台信司の解説あたりが面白いので読んでおくとためになります。
冬の巨人』は枚数的に小作品であるけれども、『ゲド戦記』をマジ見してしまって傷付いたり、『ハウルの動く城』ってやっぱ破綻してるよなと思える人は、ぜひ本作を読んで欲しい。
良作です。
ちなみにこちらも必読の作品である。

超妹大戦シスマゲドン2 (ファミ通文庫)

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冬の巨人』を読み終わったあとは見たくなること必然ってことでこちらも。
天空の城ラピュタ DVDコレクターズ・エディション

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