小畑健の「BLUE DRAGON ラルΩグラド」は重すぎる期待を担えるか?

鳴り物のいりで始まった小畑健版のコミック新連載「BLUE DRAGON ラルΩグラド」。面白いのだけれども、さすがに背負わされているモノが大きすぎてその期待を叶えられているのかどうかが結構微妙だなぁという感じもちょっとしてきている。
確認の意味で書くと、週刊少年ジャンプの新年号より連載が開始された「BLUE DRAGON ラルΩグラド」とは、スクウェア・エニックス社を退社した坂口博信氏が作ったゲーム会社ミストウォーカー原案による低年齢向けRPGを原作としている。
このゲームはXbox 360対応であり、当然の事ながら、このゲームのコミカライズに関してはマイクロソフトも1枚噛んでいる。
そしてゲーム本作「BLUE DRAGON」(ブルードラゴン)の方のキャラクターデザインは鳥山明氏。
で、こうしたゲーム連動の企画に関して集英社において管轄しているのは、Dr.マシリトのモデルにもなり、鳥山明を発掘した現・集英社常務の鳥嶋和彦氏って訳だから、まぁおよそ80年代のゲーム出版業界を引っ張っていた才人が揃い踏みの企画である。
それをコミカライズするのが、「ヒカルの碁」「DEATH NOTE」と週刊少年ジャンプにおいて2連続でヒットを飛ばした小畑健。スゴイ面子である。
ちなみに原作付きとはいえ、週刊少年ジャンプにおいて連載を2連続でヒットさせるというのは異例中の異例である。「Dr.スランプ」「ドラゴンボール」の鳥山明と、「キャッツアイ」「シティハンター」の北条司しかなしえてない偉業なわけだから。……あ、「ジョジョの奇妙な冒険」と「ROOKIES」はちょっと微妙なので外してますが。
けれどもこうした面子が揃った異常は責任が重くなるわけで、小畑版「ラルΩグラド」の目標の重みを列挙していくと以下のようになる。

BLUE DRAGON ラルΩグラド」の目標値

  1. Xbox 360の知名度をあげること。
  2. ソフト版BLUE DRAGONのPRとしてヒットすること。
  3. 週刊少年ジャンプに少年読者を引き戻すこと。
  4. DEATH NOTEで得た高年齢者読者を引き続き維持し単行本を売ること。

まぁソフト版BLUE DRAGON自体、比較的に低年齢に向けたソフトであるため、4番目の要求度合いというのは、それほど大きくない。
1、2番目の条件というのもどちらかというとこれはゲーム業界の期待であるため、雑誌本体としてはそれほど要望として大きくはない。……もっとも小畑さんが逮捕された時は、もうマイクロソフトも関係各所、電話がつながらないぐらい混乱していたから、要望として大きいのは確かなのだけれども、ゲームがファーストメディアとして昨日しなくなってしまった以上、なかなか小畑・柴田の2本のコミカライズに掛ける期待をあまり大きくし過ぎると拙いんだろうなぁとは想わざるを得ない。
実際問題として、小畑版の連載が始まったからといっても今年の冬のゲーム商戦の多くは任天堂のWiiに話題を持って行かれてしまったっぽい。ゲームの宣伝戦略は本当に難しくなってきたよなぁ(溜息)。
さて、週刊少年ジャンプとして最も重要なのは、3番目の少年読者を増やすという点だ。これは昨年の連載陣容を見ている中で、週刊少年ジャンプ編集部が非常に力を入れてきているにもかかわらず、なかなか実現しなくて苦戦しているのがよく分かる。
単行本の売れ行きは、ジャンプ黄金時代を凌ぐ程の売れ行きを見せているのだけれども、伝聞に依るとジャンプ本誌の女性読者比率が52〜54%に達しつつあるそうで、これはちょっと危険水域の様な気がする。
BLEACH」「銀魂」「D.Gray-man」「家庭教師ヒットマン リボーン!」というのが、新世代の週刊少年ジャンプの目玉なのだろうけれども、あまりに高年齢女子の嗜好に振れすぎている感じは否めない。新連載の中で小学生男子読者をかろうじて獲得したのと言えば、「魔人探偵脳噛ネウロ」ぐらいだろうか? 「アイシールド21」の成功をベースにした上で新連載が始まった野球・ハンドボール・ピンポンはことごとく失敗してしまったし、個人的には期待していた「謎の村雨君」も読み切り時のエネルギッシュさが欠けていた感じだ。
そこで低年齢層向けRPGであるBLUE DRAGONには、低年齢男子読者を獲得するという役割が与えられたわけだ。そこで大きなストーリーラインとして機能しているのは、以下の二つだ。

小畑版BLUE DRAGONのジャンプ内での役割分担

  1. 小学生から中学生対応のHコミックとしての「BLUE DRAGON ラルΩグラド
  2. 「無垢な主人公の成長譚」としての「BLUE DRAGON ラルΩグラド

まだ連載一ヶ月なので判断は速すぎるけれども、それが今ひとつ意図からずれているような気がするというのが、本稿をおこした契機である。
まず最初に「小学生から中学生対応のHコミックとしてのBLUE DRAGON」というのを検証してみよう。
最近のジャンプの特色として「To LOVEる-とらぶる」「エムゼロ−M0」といった綺麗な絵柄のちょっとHなコミックが多くなっている。これは明らかに小学生〜中学生男子向けのコンテンツなのだ。この週刊少年ジャンプ上の小学生向けのちょっとHなコンテンツというのは、それこそ永井豪の「ハレンチ学園」から、金井たつおの「いずみちゃんグラフティー」といった形で連綿とした伝統に基づいている。そうそう、ちょっと補足すると「俺の空」「シティハンター」とかあーゆーのは小学生向けというよりももっと高年齢だからちょっと今回の視野からは除いておく。
けれども、正直にいって小畑健のブルードラゴンをこの伝統の「小学生男子向けHコミック」として投入してくるとは予想外だった。これは明らかにより男子的な小学生男子読者を増やそうという戦略の下に投入されているのは間違いない。
……で、「To LOVEる-とらぶる」「エムゼロ−M0」が、比較的、性行為に対して奥手な主人公というのを配置しているのに対して、小畑版ブルードラゴンは、基本的にモテる容姿を持っていながら自分から乳を触りに行くというのは、ダーク・シュナイダー以来、久しぶりの積極的な主人公だなぁとかなり感心した。ギャグ作品である「太臓もて王サーガ」の主人公・太蔵では、女の子に対して積極的であっても女の子から嫌悪感しか抱かれないと言う点をギャグして機能させているので、ダーシュやラルとは完全に違う点は一応指摘しておく。
まぁジャンプにおいても、現代社会ではなくファンタジー世界においてしか、こういった女の子に積極的な主人公を配置できないというのは、悲しい部分でもあるけれども。
ToLOVEる」「エムゼロ−M0」はともかくとして、ブルードラゴンが上手く機能しているか、今ひとつ微妙な気がするのだがどうだろうか? これは絵柄のせいか何のせいかよく分からないのだけれども、低年齢読者があまり楽しんで読めるような、ちょっとHコミックにはなってはいないような感じだ。
思うに低年齢読者が思い入れる主人公ではなくて、むしろ脇役がHな方が、小学生向けの
Hコミックとしては機能しやすいのかなぁと「おじゃま幽霊君」などを思いおこしているのだけれども、まだこの辺りは上手く理論化出来ていない。
あと一つ言うと、Hコミックを描かせるに当たって、「ToLOVEる」「エムゼロ−M0」といった線がきれいな漫画家というのは、微妙に週刊少年サンデーちっくなのかなと思ったりもする。
もう少し大人向けの絵柄の方が、ジャンプのHコミックとしては上手く機能するような気もする。小畑健であるならば、大人向けのコミックであってもまったく大丈夫なのだが、そこで「ブルードラゴン」が低年齢層向けソフトであるが故に、主人公も低年齢というのが微妙な足枷となっている気がするのだが、どうだろうか? う〜ん、このあたりの分析は難しい。

  1. 無知で無垢な主人公が成長する「RPG的な成長譚」としての「BLUE DRAGON ラルΩグラド

実は小畑版BLUE DRAGONで一番引っ掛かっているのが、ここの点である。なんかRPG的なバトルラインからかなり外れた形で、主人公の勝利が演出されているので、このあたりがRPGのコミカライズとしては上手くいっていないような気がするのだ。
勿論、まだ連載一ヶ月であるため、これからの展開は色々あるのだろうけれども、今までに描かれてきたバトルを見る限りにおいて、ちょっと感じるのは
主人公・ラルは最初から「小賢しい感じ」で頭良すぎて、RPGの主人公らしくない。
というところだろうか……。
これは企業研修におけるロールプレイや、TRPG、コンピュータRPGのすべてに言えるRPGにおける「成長」を一言でまとめると以下の通りである。

割り当てられた役割・役柄(=ロール)を、もっとも合理的・効率的にこなせる熟練度が上がること

もっとも広い範囲での「RPGでの成長」とは、上記のことを意味する。
新入社員が研修でやらされるロールプレイとは、社員としてキチンと振る舞う熟練度を、ヴァーチャル体験させるための一つの教育方法なのだが、そこにおける成長を含んで定義すると上述のようになる。
ただそれをTRPGやコンピュータRPG的において、よりゲーム的に現すためには数値化する必要があるので、それが「経験値」であるわけだ。
……で、ここからが重要なことなんだけれども、熟練度=経験値があがるということは、「より役割をこなすために合理的になっていく」ことを意味して、例えば情けとか情実のようなものを逆に切り捨てていって一個の部品のようになっていくことでもあるわけだ。
それはTRPGでも同じで、あらかじめ決められている設定に沿うように演じ方を修練させていけば行くほど、ある種、演劇としてのTRPGは面白くなっていく。情け深いキャラを「合理的に演じられれば」、演出としては楽しいよね。
で、こうしたRPGをストーリー、もっと大きなキャンペーンとしてみた場合は、敵キャラに勝つための《合理》と、未熟・未経験であるが故の《情実》などとの相克がストーリー的な見せ場になる。とくにコミカライズ、ノベライズの場合はさらにその傾向が強い。
名作RPGコミックとしての、「ダイの大冒険」「ロトの紋章」等を見れば分かるけれども、主人公はどんどん厳しくなっていく戦いの中で、人間性をそぎ落として合理的になり……反面、人間味は深まっていくんだな……父や仲間を踏み台して英雄化していく。
この勝ってストーリーを勧めていくための《合理》と《情実》の相克みたいなモノが、コミカライズ・ノベライズされた時のストーリーの大きな見せ場になるわけだ。
例えるにストーリー化されたRPGにおける「特訓」もその一つ。明らかに情実を外れた非人間的な苦しい修行をすることで、勝つための《合理》を手に入れるシーンがよく登場するのもそのためである。
……ところがさぁ……小畑版主人公・ラルって、これまで3回ほど色んな勝負をしているんだけれども、最初っから《合理》的で、小賢し過ぎる気がするんだよね……。
RPGストーリーの中にある主人公が、潜在的な力があること、運命的な存在であるが故に最初から大きな力を持っていることは問題ないのだけれども、敵をだまし討ちする合理を初っぱなから身につけすぎているのって、ちょっとコミカライズとして失敗している気がする。
世間のことを知らない無知・無垢としては描いているのだけれども、「無知・無垢が故にこれから大きく成長して強くなる」というよりも、「合理的な小賢しさに頼るが故に強い」というように描かれているようだ。
まぁその女好きなところからして、ダーク・シュナイダーとも比較されやすいけれども、あちらは「悪役」「卑劣漢」と呼ばれるデメリットと、女性を人質に取られる簡単にやられてしまうという弱点を引き受けているのに比べると、「赤ん坊の頃からずっと閉じ込められていた」という悲しい設定は、プレ・ストーリーのエピソードに留まっているが故にあまり主人公の現状の勝ち方に説得力を与えられる設定になっていない気がする。
そう言った意味では、ストーリー上での「勝ち方」というのが、RPG的というよりも、むしろクイズ・謎々・ビジュアルストーリーといったアドベンチャーゲーム的な方に依っているのは、小畑の前作がDEATH NOTEであることをも受けて、しょうがない気がする。
ちょっとわき道に逸れるが、時間的な束縛が大きかったからというだけではなくて、95年以降RPG的なよりもアドベンチャーの方が文化的なホットスポットにあったというのは、何れ書きたいなぁと思っている命題の一つ。多分、BLUE DRAGONのコミカライズが、これほどアドベンチャーチックになっていることも、ある種の情況的なモノがあるのかなという気がするけど。
閑話休題。とはいえBLUE DRAGONの方もこれから主人公ラルの師匠的存在、敵・ライバル役とか色々なストーリーギミックが出てくるだろう。
出来得れば、安易な小学生向けのHコミックに走るよりも、もうちょっとRPGチックにシフトさせた方が、背負わされている重荷を果たしやすいんじゃないかなと思う今日この頃である。
【追記】
指摘があったので追加。2連続ヒットで富樫さんの「幽遊白書」「Hunter×Hunter」が脱けてますね。あとなんか気を抜いて書いたら、飲み屋のだべり口調になってしまったよ(苦笑)……反省。