聴覚再起動! 「サイボーグとして生きる」を読む

めがきらさんのサイトから、「サイボーグとして生きる」を知り、購入。
著者、マイケル・コロストは、ちょうど彼が胎児であった時に全米を席巻した風疹の大流行によって、難聴者として生まれたのだが、三十代半ばにして突然、聴力を失って失聴者となる。そこで人工内耳を導入するようになってからを一人称で描いた体験記。
昨年読んだ最高のノンフィクションは福井晴敏絶賛の「シャドウ・ダイバー 深海に眠るUボートの謎を解き明かした男たち」(「シャドウ・ダイバー 深海に眠るUボートの謎を解き明かした男たち」 - さて次の企画は)だったが、今年読んだ最高のノンフィクションはこれに決定。無茶苦茶面白い。

サイボーグとして生きる

サイボーグとして生きる


オビ裏の引用が下記の通り……

モクレンの枯れ葉が歩道を茶色に染めている。何の気なしに落ち葉を蹴ってみると、
チリンチリンと音がした。
僕が蹴った落ち葉は小さく舞い上がる。
「落ち葉はカサカサだろう」と心の中でつぶやき、舌打ちをした

火の鳥 復活篇」だー! ロビター! まぁ編集者は絶対、念頭に火の鳥を念頭に置いているのだろうけれども、人工内耳を入れたからロボット的になったみたいな安直な連想をすることなく、著者はある種のユーモアも交えながら体験を綴っていく。
著者はコンピュータおたくでSFファンでもあり、サイボーグの定義についてもほぼ完璧に理解している。そのため本作内で彼がサイボーグといって連想するのは「600万ドルの男」であり、「ターミネーター」でアーノルド・シュワルツェネッガーが演じるT-800が、劇中で「サイボーグ」と呼ばれていることに舌打ちする。
コンピュータおたくだけれども、耽溺した挙げ句に限界に幻滅して、「デューン/砂の惑星」を連想しつつ、「ぼくがコンピュータに深い疑念を抱くサイボーグになることは間違いない。仮にぼくがブトレリアン・ジハードに身を投じるとしたら、最初の攻撃目標は、当然、僕自身だ」とか考えてしまうあたりに、SFマニアはにやりとさせられるかもしれない。
人工内耳を得てからの著者の生活を、機械的な側面から生活面、文化的な考察まで幅広く網羅して書いてあるのが素晴らしい。
まず簡単に人工内耳について調べてみると下記のようなことが分かった。
人工内耳あれこれ −人工内耳に興味をお持ちのあなたへ2
人口内耳自体は、体内に入れるインプラントと、そのインプラント近くに対外から電波を送るヘッドピース、そして音声の電気変換処理を行うスピーチプロセッサという大きくは三つの機器からなる。
音声処理ソフトにも「同時アナログ刺激方式」のSASと、「連続割り込みサンプラー方式」のCISというのがありるのだそうだ。この二つはダイヤル一つで切り替えが効き、手術を受けた本人が聞き取りやすい方を選べるのだそうだ。ソフトを切り替えての人工内耳に聞こえ方の違い、そしてそのソフトをバージョンアップした時にどうなったかといった体験談もキチンと目配りされていて面白い。
それだけではなくて、難聴者だったがゆえに社交性に欠けてなかなか彼女が出来なかったという赤裸々な体験告白や、人工内耳を付けてからの昔の恋人にあってセックスした体験。オンラインデートサイトで自身をサイボーグですと茶化して書いたら、人工内耳手術を受けた弟を持つ女性からなじられたということまで書いてある。
また難聴者の児童に対して、人工内耳手術を受けさせるべきかどうかといった聾唖教育や、手話文化・手話コミュニティといった社会面辺りもキチンと取材して、著者自身の意見が書いてあってとにかく目配りの行き届き具合が非常に楽しい。
人工内耳が開発される上で、未熟な機械の実験台になった人物に感銘を受けた著者は、みずからも新しい音声処理ソフトの開発のために、大学での実験にも参加する。結局、実験は予想通りの結果は出ず、一足飛びに大きな成果が上げられなかった。個人的にその時の科学者の謙虚な言葉にちょっと感銘を受けた。

(著者の実験結果が、当初考えられていた仮説とまったく違っていたことに落胆せずに)
「私のところにいる一番優秀な学生の中にも、我々がどんな研究生活を送っているかを知ると、恐れをなしてしまう者がいます」とジェリーが話を続けた。「彼らは、仮説を立てて実験すれば答えが出るのが科学だと思っているんです。地図を頼りに頑張って進んでいけば、正解にたどり着けるとね。でも本当は仮説の立て方が正しいかどうかさえはっきりしないことが多いんです。もちろん、地図なんかありません。こういう現実を知って、別の道へ進む学生もいますよ」

著者はそういう「こりゃいったいどういくことだ?」というデータの中から、すこしづづ開発を進めている科学者に経緯を持って接して、逆に人工内耳を得たことで葛藤もありつつも、あたらな視点から自分を見つめ直していく体験を木訥ながら語っていくとても良い本になっている。