天照大神のツンデレと斎宮の歴史的経緯

シャーマニックプリンセスか……。地震が起きて怖くてたまりません。伊勢神宮に電話して色々取材とかしていた中で、トリビアを得ることが出来たのでちょっと書いてみよう。
 ようやく家に帰れそうになってきた。なんつーか、コンサバティブな仕事は時間がかかりすぎ!

天照大神のツンデレと斎宮
もともと三種の神器の一つ、八咫鏡は代々宮中に祀られてきた。けれども、第10代崇神天皇の折りに様々な災厄が起きた。調べてみたところ、宮中に神威の強い神、すなわち天照大神が同居しているのが原因という託宣が下ったため、天照大神を宮中の外に祀ることとした。
崇神天皇は、豊鍬入姫命に天照大神を託して笠縫村へ八咫鏡を移して祀らせた。さらに第11代垂仁天皇の代には倭姫命に託して奈良、滋賀、岐阜などをめぐったのち、最終的には天照大神の意志にしたがって、伊勢へと八咫鏡は移された。
これが天照大神を祭る伊勢神宮の創建譚である。
ちなみに 伊勢内宮の正宮後方に鎮座する「荒祭宮」が、天照大神の荒御魂を祀っている場所だったりする。
日本の神様は祟る神だが、「荒祭宮」とは天照大神が内に秘めた荒々しく激しい神霊のことで、その激しさゆえに、特に分けて祀られている。
まぁツンデレでいうとツンツンの状態≒荒御魂が居るのが「荒祭宮」だ。
 この豊鍬入姫命、または倭姫命は、天皇に代わって伊勢神宮に奉仕する斎宮(斎王)とされ、その後、未婚の内親王または女王が斎宮となることが制度化され、今日にいたっている。