オタクとサブカルチャー概論についてのメモ01

AMADECさんからの要望もあったし、これから書こうとしている原稿にも絡んでくるのでちょっとまとめ。ライトノベルがサブカルチャーになるかどうか」もしくは「なぜ今、オタクのモテ・非モテ論が盛んか?」について。
まず前者についてだけれども、このままだと「ならない」観測の方が強くなってきた気がする。むしろ嫌な意味で「萌えオタク」文化の方がサブカルチャー化しそうな閉塞感がある。
サブカルチャーとオタク(広義な意味での趣味)を、自分なりに峻別してみると、「他者との自意識問題」とかもあるのだろうけれど、もう一つ考えているのは、「一般生活を送る代替的なライフスタイルの一部もしくは全部足りうるか?」なのかなと思っている。
「ライフスタイル」化するには、

サブカルチャー化(=ライフスタイル化)するための条件

  1. 一般社会での認知
  2. ライフスタイルを体現しているイメージリーダーの存在
  3. 老若男女や生活のすべてをカヴァー出来る文化的包括力(思想・音楽・ファッション・象徴的な都市などを含める)

といった要素が必要だ。
まぁこんなことを考えるようになった契機は、ムシキングの絡みなどもあって「昆虫採集」という趣味に関して、調査をした中で「昆虫採取」はこんなに流行っていてもあまりサブカルチャーと言わないですね……という会話があったからだ。
ライトノベルは、第一条件を……成立30年目くらいにて……ようやく満たしつつあるけれども、第二条件・第三条件をどうやら満たすのは難しそうというのが見えてきたかもしれない。旧来の「文学」文化だったら、あるいは青春文学とライトノベルが直結するのがもう少し早かったら、また浸透スピードが早かったかもしれないけれど、活字離れが深刻なだけに思ったよりも苦戦している感じだ。
考えてみれば当然のことだが、ライフスタイルとして成立しにくい趣味は、大衆を巻き込むことに失敗して、結果、一過性のブームとして小集団を残したままの趣味の一分野として終わってしまいがちだ。
ブームの真っ直中にある時、あらゆる趣味は、ライフスタイルとして成立すべく幼年層・非婚若者世代・既婚世代・老年世代へ浸透できるかどうかレガシーカルチャーとのせめぎ合いを経験するようだ。
そして当然のことであるが、ライフスタイルである以上は最終的には「格好良く」なければならない=格好いいイメージリーダーが実存しなければならないと言っても良い。「面白くても格好悪いこと」を続けるのは、基本的に難しい。なぜなら結婚して一般会社生活と両立することができないからだ。既婚世代〜老年世代へと境界を越えて浸透することが非常に難しくなってくる【例外として「可愛い」文化はあるかもしれない】
「格好良い」「恰好悪い」という「美意識」も当然、時代によって変遷するけれども、「美意識」の変遷に要する年代は、ライフスタイルの変遷と同等かそれ以上に長い。若い時は「美意識」の振幅が大きくても、年を取るに連れてレガシーな「美意識」に収斂しちゃうのはよくあることだ。
そのためには、先鋭的な趣味は、なんらかライフスタイルというレベルでの形態を獲得し、「包括さ」を持つようにならないと、結局は一世代30年スパンを生き残ることは難しいと思われる。
「格好悪いけど面白い」を追求しようとするのは、それはどうやったとしても現実を無視した行動にしかなりようがない。仮にある一世代に通用したとしても、その世代の上下には浸透しない。”Someday my Princess will come”(いつか白馬の王女様が=ありのままを愛してくれる人が現れる)→「負け犬の遠吠え」へ一直線である。
さて、今、主として男性のオタク文化領域において、

モテ・非モテ、脱オタ

結婚・恋愛問題

少女化する男オタク

魔法先生ネギま!ハッピーマテリアル。オリコン1位を狙え (笑)

といった話題が、例えば「電車男」「電波男」などのコンテンツを巻き込みつつ盛んだ。
いや、それだけではなくて、産業面からも

オタク文化の海外輸出

アニメソングの一般層への浸透

交響詩篇エウレカセブンレントンのスニーカー販売(えー! 笑)

tanomi.com [ たのみこむ ] - 404 -
といったアプローチが引きも切らない。
毎週アエラがオタク特集をやっていて、電車男のポスターが毎週のように新しいバージョンで駅を飾るというのは、95年にSPA!やデラべっぴんエヴァンゲリオン特集をやった時よりも遙かに異常事態である。
考えてみれば驚くべきことであるのだが、オタク文化のレガシーカルチャーへの挑戦という意味では、「ハピマテ・オリコン1位運動」と「バンダイの服飾進出戦略」は非常に近いポジションにあるのだ。
ようするに「オタクがオタクのままライフスタイルとして定着するか否か」という大きな文化的な跳躍(パラダイムシフト)を、ある分野ではネットの個人サイトで、2CHで、企業広告で、色んなパターンを作ってレガシーカルチャーに対してアプローチをしかけているからだ。
その意味ではエウレカセブンの衣装を売ろうとしているバンダイもハピマテファンも「しろはた」の本田透氏も、一線に並んで共闘しているといっても過言ではない。まぁ、エヴァの時から共闘していたと言えなくもないけど。
無論、本人達が意識しているわけではないと思うが……現象としてはそうなってしまっている。
で、前に掲げた

サブカルチャー化(=ライフスタイル化)するための条件

  1. 一般社会での認知
  2. ライフスタイルを体現しているイメージリーダーの存在
  3. 老若男女や生活のすべてをカヴァー出来る文化的包括力(思想・音楽・ファッション・象徴的な都市)

「萌えオタク文化」という観点から、この三条件をどのように満たしつつあるかというと、わずかずつではあるけれど、それに値する存在みたいなモノが発生しつつある。

第一条件は新聞各紙にも載ることで果たされた。
第二条件は……良し悪しはともかくとして、そのイメージリーダーは「電車男」となった。*1
三条件は……また良し悪しはともかくとして、少しずつ空いているマスを埋めつつある。

このアプローチが成功しないと、本当の意味で、オタク文化が思想・音楽・ファッション・象徴的な場所(秋葉原なんだろうね)まで含めたライフスタイル化しない。
ただ、現在、オタク消費層が抱えている指向はある種、以前よりも後退している部分もあり、そのままライフスタイル化するにはかなりの変質や摩擦はありそうだ。少なくとも先進性・格好良さをなんらか獲得していかないといけないだろう。
困ったことに萌え的なロリコン的な意匠というのは、あまりにもフォーット化されすぎていて、格好良さとも先進性とも離れた軸となってしまったため、正直、ここからパラダイムシフトを起こさせるほどのパワーがあるかどうかは、結構、疑問だ。
すでに海外のおいてジャパニメーションブームが終わりつつあるというのも気がかりだ。別項でも述べたけれども、どうしてももう一つの軸などを動かさないと辛い気はすると言う意味で、かなり閉塞感が出てきたと思う。
さて、どうなるだろうか?
【参考】
http://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20050315/p1
http://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20050330/p1

*1:ノンフィクションとして喧伝されつつ、純愛フィクションであるこの話は、その寿命は当然、実在のイメージリーダーよりは遙かに短い