80年代のスーパー高校生の系譜 (前編)

結局、時間がなくてとりあえず前編だけアップ。後編書いてからまた大直しすると思うけれど。
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第二世代オタクが愛した2作品「究極超人あ〜る」「妖精作戦」:1985年の風景雑感 - さて次の企画は
に絡んでいるので見ておくと良いかも。
究極超人あ〜る」と「妖精作戦」は違いも多々ある。前者が主として大きな目的のない日常を描いているのに対して、後者は「ノブ」という少女を奪還するという物語的な大枠が決められているというのが、最大の違いだろうか。
けれども両方を併置してみてみると、やはり共通点の方が多くなる感じだ。

◆80年代的な「面白主義」

面白ければ内輪ネタでもパロディをやってもいいという雰囲気。お笑いの軸が、6時間リハーサルを要する「八時だよ!全員集合」のドリフから、アドリブの「おれたちひょうきん族」に変わったのもこの時期だ。

押井守のスピード感とペダンティズム

70年代の高橋留美子うる星やつら」と、そのアニメ化版である押井守の強い影響が、両者にも見られる。
ただキャラクター設定という意味で、その表出方法はあきらかに違うものの、おそらく80年代の読者……それは70年前後に生まれた第二世代なわけだが……に強烈な印象を残したキャラクターとして、「究極超人あ〜る」の鳥坂先輩と、「妖精作戦」の沖田という二人のスーパー高校生が揚げられるだろう。
なぜ80年代の半ばに前後してこうしたスーパー高校生キャラクターが、コミックとライトノベルという領域に誕生したのか、そして、その後「職人化することによって社会化する」「社会に存在する老マッドサイエンティスト」といったモチーフを重視する形で、ゆうきまさみ笹本祐一が、次回作を書いていくことになるのかをちょっと論じてみようと思う*1

鳥坂・沖田(その継承である水前寺)の共通点

  1. 大人を言い負かせる論理性か、大人を言い負かせる非論理性(不条理さ)を持つ。
  2. 金銭的な裕福さを何らかの手段により確保している。
  3. 勉強は非常に出来るか、もしくは成績を気にしない性格である。
  4. 喧嘩・スポーツなどの身体能力は優れている。
  5. 親・家族との関係は描かれないか、もしくは不安定である。
  6. 不安定な恋愛関係は持たない=女子に興味がないorステディなパートナーが存在する。
  7. 限定された集団内での先輩・後輩とは良好な関係を築いている。
  8. 社会・社会規範とは対立関係にあり、卒業後の進路については不透明さが多い。代替的な未来として、「職人化した大人」「フリークな職業を許す社会」がストーリー内に併置される。

だいたいこのような感じだろうか。鳥坂・沖田、そしてその類型である水前寺において、かなりタイプが似通っていることが分かるだろう。
ティーン小説におけるエポックメーキング作品には、このような「スーパー高校生」が出現することが多い。ちょっと先回りして書くのであるならば、上遠野浩平ブギーポップは笑わない」における「スーパー高校生」は、霧間凪であるのは分かるだろう。だが、それが女性格である点など、いろいろな倒置が行われているのは注目すべき点(やはり、95年は何かが起こっていたよなぁ……)
リストアップすれば明瞭に分かるのだが、「あ〜る」「妖精作戦」「イリヤ」において登場した、この「スーパー高校生」が持っている能力とは、「勉強」「体力」「恋愛」「先生との対立」……ようするに普通の高校生が感じる「不安」を超克したキャラクターであることが分かる。
ちょっと注目してもらいたいのは、

不安定な恋愛関係は持たない=女子に興味がないorステディなパートナーが存在する。

という部分だ。表面的な部分だけを取り出すと、「女子とつきあっていない」「つきあっている女子がいる」というモテ・非モテの対立軸の両方を入れているかのように見えるがそれは違う。重要なのは「不安定な恋愛」という部分だ。
それは例えば「三角関係」「恋人の消失」「告白できない恋愛感情」の様なものだ。これはつまりどういうことかというと、「スーパー高校生は恋愛にビビってはいけない」ということだ。つまりここでの軸は

スーパー高校生は恋愛にビビらない ←→ 普通の高校生は恋愛にビビる(特にオタクは)

という部分だ。
まぁこれは良し悪しの部分であって、恋愛(特に初恋にビビる)というのは、ボーイ・ミーツ・ガールという青春もののストーリーを駆動させる大きなエンジンの一つであるので、むしろ主人公は恋愛問題……この場合、さらわれたGFを助けるというのも恋愛問題の一変形である……を抱えていた方がいい。そのため結果的に女の子にビビっている場合の方が多い。
完璧なキャラクターであれば、それを補完するための努力が必要なくなるので、その結果的に脇役になってしまうという構造も、「あーる」「妖精作戦」に共通しているのは興味深い*2
さて、こうした条件が90年代〜00年代へと進んでいく中でどのような変質を進めていくか、また、それがセカイ系気分の次にくるキャラクターとしてどのような形でアップデートされていくかを後編で語ってみよう。
後編は、霧間凪とかヒル魔ほかを、直系である水前寺などと比較してみる。

*1:日本においては、学校という機関は、少なくとも高校までは「将来の労働力を生み出すための活動を行うための訓練機関」と「労働力を持たない層を効率よく隔離する収容所」という両面の性格を持っている。またその集団が、「能力差ではなく、年齢差で構築された集団」である以上、何かの点で標準偏差をはずれたものがでてきてしまうのはしょうがない。関東圏における高校受験は、世代だけでは括りきることの出来ない15才の集団を、能力の部分でかなり平準化するものの、日本全体を鑑みた場合、やはり地方都市では大学受験を経るまでは難しいのかもしれない

*2:多くの青春ストーリーをさらってみれば分かるが、村上春樹でも石田衣良でも恩田陸でもなんでもいいけれど、一般小説にも「勉強が出来て」「喧嘩も強くて」「裕福で」みたいなキャラクターは登場する場合もあるが、恋愛にビビるという意味で、鳥坂・沖田に類せられる「スーパー高校生」はやはり少ないと思う。もうちょっとこの辺り検証したいけど