第二世代オタクが愛した2作品「究極超人あ〜る」「妖精作戦」:1985年の風景雑感

惑星開発委員会において、70年代前後生まれの第二世代オタクが愛した作品として、「究極超人あ〜る」に関する考察があげられている。
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東浩紀は「動物化するポストモダン」において、オタク世代論という非常に便利なカテゴライズを行った。ただ唐沢俊一岡田斗司夫に代表される「第一世代」と、セカイ系気分に代表される「第三世代」に関しては、おのおの多大な文言を割いていながら、第二世代に関しては「ゲームがブームだったよね」くらいの一文ぐらいに言及しかなくて不満に思っていた。大塚英志徳間書店に在籍していた80年代前半の事例については「おたくの精神史」において比較的視野広く言及しているのだが、80年代の後半になって角川において「マダラ」を開始した時期になると、それで忙しかったのか急速に視野が狭くなっていって、ティーン文化分析において大きな祖語をきたしはじめていると思う。
まだ世代評論のほんの入り口だとは思うが、惑星開発委員会におけるこの「究極超人あ〜る」論というのは、今まであまりスポットの当たっていなかった「第一世代の評論系ではない職人系のクリエイター分析」と「その著作に影響を受けた第二世代気分」というのを、かなりシャープに洗い出していて興味深い……というよりも読んでいて心が痛いんですが(苦笑)。
コミック分野だけで語れるのもちょっと悔しいので、多少の落ち補拾いの意味を込めて言及するのであれば、小説・ライトノベルにおいて、「究極超人あ〜る」とまったく同じ愛され方をされていた作品を一つあげておこう。
それは笹本祐一の「妖精作戦」(1984年)だ。
この作品は「究極超人あ〜る」のスタートが、1985年であるのと奇妙なまでにシンクロし、結果的に第二世代後半の作家である秋山瑞人の「イリヤの空、UFOの夏」にまで延々と影響を与えた<80年代の雰囲気><スーパー高校生に仮託される少年の善性への憧れ>へと続いていく。
80年代に芽吹いていった幾つかの文化が、急速に趣味志向によるティーンの分化を進めていくのだが、その辺りをちょこちょこと(まぁ今週は比較的時間があるので)書いていこうと思う。「あ〜る」と「妖精作戦」を持っていない人は、「イリヤ」を手元に持っていればいいと思う。

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これぐらいは今日書こう。

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