新撰組をネタにしたコミックがなぜ受けるのか?=多数キャラを一度に出すための手法としての新撰組

最近、地下鉄に乗ると小池一夫劇画村塾」のポスターが貼ってあって気になってしょうがない。
日本において「キャラクターを立てることを重視する」というのを体系的に弟子達に教えてきたという意味では、小池一夫手塚治虫の業績に匹敵するのではないかと仲間内ではよく話す。だから一度、このセミナーに出たい気がするのだけれども、時間がないんだよなぁ……。

  • 手塚治虫 映画的な、まずストーリーありきのキャラ設定
  • 石ノ森章太郎 ストーリーが組み込まれたキャラ設定
  • 小池一夫 個性的なキャラを立てエンドレスで続くストーリー

という印象だろうか……。このあたり時系列も含めて見当したいのだけれども、小池一夫塾にまだ出たことないし、とにかく小池一夫の著書は莫大な量があるうえに、全集という形でまとめられるような形態のコミックでもない。
よく「キャラがかぶっている」とかいうことを、高校生の同好会やクラブ活動でも話題に出たりするのだけれども、もともと「キャラクターを立てる」というのは、ひょっとしたら小池一夫が言っていた言葉ではないだろうか?←このあたり、調査がまだ足りない。
この「キャラが立つ」という言葉は

  1. コミック・演劇などでの作劇用語として成立
  2. お笑い業界での業界用語として輸入・並行的に使われる
  3. TVを通じて一般層に流入してきた

と思う。
だから実態としては、同好会活動などで「先輩とキャラがかぶるから、俺は受けが悪い」なんて気にする人もいるみたいだけれども、ちょっとそれは演劇用語を無理矢理、実態に当てはめて自己の立場を解釈しているみたいでちょっとちがうかなぁ……という気はする。

少し脱線。小池一夫塾出身の高橋留美子は、その資質もあるのだろうが、彼女の生み出した女性キャラクターは、基本塑型はみんな「姫様」だと思う。
うる星やつらに特に顕著だけれども、高橋の女性キャラは、形態として「生徒会長」「風紀委員長」「鬼姫」「人魚姫」「王子を失った姫」として出てくる場合が多い。その設定で初登場して、そこからだんだんと広がっていく。
このあたりは、高橋留美子の女性キャラクター論としてもっと論じられても良いなぁと思う。大塚英志(とササキバラ・ゴウ)がちょこっとヒロイン論でふれたくらいで、以降はあまりふれられていないのだけれども。
「姫」を助ける<あまり格好よくないヒーロー>というのが、どうやら高橋留美子のヒーロー観の根本にあるみたいだ。これこそがある年齢以上の非体育会系の男性に高橋留美子が無茶苦茶受けているような理由の一つのような気がするのだが……。
まぁ時間を取るのでここはまた次回に。ああ、話がどんどんずれていく。ちょっと中心部に修正する。

小池一夫が主張した

キャラクターを如何に立てるか?

というキャラクター論を進めると、

如何に効率よく、かぶらない特徴的なキャラクターを出すか

へと繋がってくる。
昨年の動きを見てみると、好みが多様化してしまい一つのムーヴメントとしてまとめにくくなってしまっている男性ファンよりも、女性ファンの方がブームを先導しているようなことが多かった。
プリキュアしかり、鋼の錬金術師しかり……。
男性が、比較的に世界観・設定、魅力的な女性キャラクターにギミックといったメタ・メス・メカ(夏葉薫氏の主張)にこだわるのに対して、女性の方はむしろ多様なキャラクターの登場と、そのキャラクター同士の関係性に興味の力点がある(まぁこんなことは昔から言われていたと思うけれど)。
それは恋愛・友情・家族愛・師弟愛と具体的に言ってもいい。
実際、近年のジャンプの漫画においては、複雑な設定にこだわった作品というよりも、如何にスピーディーに多種多様なキャラクターを出していくかということに力点が置かれているような気がする。
特に顕著なのが、テニスの王子様とブリーチだろうか……。
キャラ立ての方法論の中で、小池一夫は「特徴的な過去」「因縁話」「能力」等を主張しているのだけれども、ジャンプで女性低年齢層を主要読者としているコミックだと

  1. キャプテン翼聖闘士星矢の流れ
  2. JoJo的な超能力者によるバトル

を加えた上で、現代風の特徴的な必殺技・能力があるキャラクター作りに成功していると思う。まぁその反面で男の子が大好きな世界観とか、現実味ある設定をかなり犠牲にしているとは思うが……。
ただ、小説でもコミックでもそうだが、個性の際だったキャラクターを数多く作り出すのはとても難しい。

  • 個性を分けてかき分けるのが大変
  • かき分けても読者に認知させるのが大変

からだ。もちろん、時間と紙幅があれば、数多くのキャラクターを描出することも出来るのだが、それを

  • なるべく連載初期にスピーディーに

行う技術が非常に高度なのだと思う。時間単位での情報密度を濃くすることが出来る、小説家でもこれが出来る人は少ない。特に現代の小説家で扱うキャラクターが多岐に渡る群像コンテンツ……しかも商業的に成功させベストセラーにした……となるといっそう数少ない。
では、味方と敵を含めた特徴的キャラクターをいかに描き(書き)分け、魅力的な人間関係を作るとなると、その人数的な下限と上限はどのくらいになるだろうか?
これは某小説家が主張する「4の法則」という仮説がある。

恋愛関係を除くキャラクターの関係性を重視するコンテンツの場合、読者が共感できる主要キャラクター人数の下限は4から始まる。

まぁ、これは純粋に数学的な問題であって、主要キャラクターのカップリングを組み合わせで計算した計算式を指している。
これは下記のような形で表される。

コンテンツに登場する主要キャラクター人数をnと仮定した場合、理論的に考えられるキャラクターのカップリング数Xは
X=nC2
カップル内の主従は検討していない。
その場合、n>2とすると
n=2 カップリング数Xは1
n=3 カップリング数Xは3
n=4 カップリング数Xは6【ここで関係性がキャラ総数を超える】
n=5 カップリング数Xは10
n=6 カップリング数Xは15
n=7 カップリング数Xは21
n=8 カップリング数Xは28
n=9 カップリング数Xは36
となる。

あ〜、やっぱ間違っていた。直し直し。
どうもカップリング数という名称は、使うに気恥ずかしいな。
ただ数字を見てもらえば分かるとおり、同格の主要登場キャラクターが4人を越えた時点から、キャラクターの関係性が、登場キャラクター数を超えて爆発的に増えてくる。。もちろん、これは理論値なので、キャラクターの組み合わせは現実にはこうはいかない。
そしてもちろん、主要キャラクター人数が増えてくると、如何にキャラクターを描写するかと言うことが難しくなってくる。小説でも難しいが、ましてやページ数が限定されている週刊コミック・月刊コミックではいっそう難しくなってくる。
例えば、9人の野球を例に挙げてみよう。
ドカベン」でも「大きく振りかぶって」いいのだけれども、ただ漫然と読んでいるだけでは、なかなか9人全部のキャラクターを覚えるのは難しい。
最近の失敗作というのであれば、コナミがスポンサーを行った特撮番組「グランセイザー」の失敗が記憶に新しい。
十二人出しても、それが印象に残らない。四つのトライブというカテゴライズに分けた設定は、とにかく印象に残すにはあまりに複雑で(かつキャラクター俳優の印象が薄かったこともあり)定着しなかった。
ここで重要なのは、「キャラクターの関係性」を描くためには「脇役キャラ」ではいけないと言うことだ。人気の上がってくる度合いに従って、場合によっては準主役キャラクターにとって替わる配置転換が可能なほど、個性を持ったキャラクターを設定しなければならないという点だ。
よーするにドカベンの石毛じゃ駄目。せめてヒカルの碁の伊角慎一郎くらいじゃないと辛ということだろうか……。

でもそのためには、いわゆる「カッコイイ」キャラクターを、幾通りも描ける(書ける)画力・文章力がなければならない。「カッコイイ」という基準をいっぱい持っている作家がスゴイというのはそういうところだ。でもこれがまたなかなか難しいんだけど。
まぁ主役を典型的なジャンプ的な熱血主人公とすると

  1. ニヒルな二枚目
  2. 優等生キャラ(眼鏡君)
  3. 体力キャラ
  4. 違う尺度を持ったキャラ(大阪弁・女性)

ってな感じで何も考えずに書くと、モロに特撮戦隊モノのキャラクター配置になってしまう。あるいはセーラームーン的と言ってもよいか。
というか……これって白波五人男から続く系譜だったりするのだが……。もちろん、その前には西遊記とかあったりする。もうこの辺りはいくらでも遡れる。まぁ、ちょっと脱線して特撮戦隊の話を……。

特撮戦隊モノがなんで敵を前に名乗るのか?

武士の名乗りが根本にあるのだろうけれど、それが様式美となった歌舞伎に根本がある。よーするにそれを格好イイと思う美意識が日本人の根本にあるから。

弁天小僧の名乗り(白波五人男の一人)

知らざあ言って聞かせやしょう 浜の真砂と五右衛門が歌に残せし盗人の、種は尽きねえ七里ヶ浜、その白浪の夜働き、以前を言やあ江ノ島で、年季勤めの稚児が淵、百味講で散らす蒔き銭をあてに小皿の一文字、百が二百と賽銭の,くすね銭せえ段々に、悪事はのぼる上の宮、岩本院で講中の、枕捜しも度重なり、お手長講と札付きに、とうとう島を追い出され、それから若衆の美人局、ここやかしこの寺島で、小耳に聞いた爺さんの、似ぬ声色でこゆすりたかり名せえゆかりの弁天小僧菊之助たぁ俺がことだぁ!

まぁこんな感じ?

子供のコミックや小説に多大な影響を与えたという意味では「真田十勇士」とかもあるだろう。

そんなこんなで昔の例などを引いていくと、大体、プロレベルの小説家が書ける同格の関係性キャラクター数の下限・上限は

5人以上〜10人以下

が妥当なところだろうと思われる。もちろん、例外的に人名辞典を作らないとキャラクターが把握できないくらい書き分けのできで、主要キャラとして駆使できる作家も当然いる。
けれど実際問題としては10人は結構、キツイ。キャラクターを10人以上だそうとするとよくやる手口として、

兄弟などを利用して、性質を同じくするダブりキャラを作る

場合もまた多い。

  • 兄弟(これは特に多いので別枠に)
  • 家族(師弟・親子・疑似家族・公認カップル=バッテリー含む)

などで個性付けをする感じだろうか。
こう書いていくと、疑問に感じる人もいるだろう「美少女ゲームではそれよりも圧倒的に数が多い、十二人がよくある」と。
でもこれには別の理由があって、
占いと黄道十二星座・十二ヶ月という数から

  • 十二人

というのも設定しやすいことを思い起こして欲しい。
美少女ゲームキャラに十二という数が多いのは、こうした十二ヶ月に対応しているからだ。
あ〜、その意味でなんで舞-HIMEが十二人だったのかはわかりにくいところだ。
まぁ、そのあたりを見当に入れるとおそらく読者に強く印象づけられる同格キャラは通常は5人か6人。ダブりを入れずに頑張れば8人くらいが限界と思われる。
「4の法則」を唱える某小説家の台詞だが、

南総里見八犬伝において、元ネタである水滸伝「一〇八の魔星」を、一気に「八犬士」に凝縮したのは、滝沢馬琴の慧眼。

とは、オイラもそう思う。
あと敵キャラクターは別。
カッコイイ敵キャラクターというのは、主人公側の鏡面存在なので、基本的に主人公側と同数までならば簡単に作れる。敵は味方の同格キャラクターとは別のカテゴライズとして、別の印象を付けやすいというのもあるだろう。
ただそれでも5人以上はなかなか難しい。
古い例になるが、マジンガーZなどで

悪の八大軍団

などが出てくるのは、そうした数と設定を付けることによって、個性を際だたせることが出来るようになるからだ。でも悪の総司令を除いては、やはり数が増えると「スピード感が失われる」「キャラがかぶる」という味方側と同じダブルバインドにとらわれ始める。

ちょっと脱線。水滸伝について。「レース鳩0777」「ぼくの動物園日記」で著名な飯森広一の「六十億のシラミ」や、吉岡平の「妖世紀水滸伝」もそうなんだけど、大体、水滸伝を元ネタにした小説・コミックは一〇八人キャラクターを出したところで(商業的にも)力尽きるとゆ〜。これは水滸伝の呪いなのだろうか(笑)

閑話休題。
現在のキャラクターに風潮に合わせるには、

とにかくスピーディーに

読者に認知しやすい形で

数多くのキャラクターを出す

ということに力点が絞られてくる。

長くなってきたのでまとめる。

  • 小池一夫がベースとなる「個性的キャラによるストーリー展開」論を作った
  • 特に関係性を重視する場合、キャラクターがより多い方が多様性を出しやすい
  • ただし「個性的なキャラを数多くだすには」技量が必要。
    • 特に6人以上あたりから急速に難しくなってくる。
  • また増えれば増えるほど少ない頁数でスピーディーにキャラを出すことが困難になる。

それら条件を満たす方法として使われるのが、

  • 個性を際だたせる必殺技と口癖のパターン化
    • 特に「気」「能力の数値化」(鳥山明のドラゴンボール)
    • 「超能力」の多様化と非理論化の進展(JoJoの奇妙な冒険)
  • 既存のパーティ枠組みの流用
    • 近代化された最古のモノは真田十勇士
    • 特撮もの(すでに手垢が付き始めている)
    • スポーツもの(ただしポジションは能力を規定しても性格は規定できない)

で、後者の既存の枠組みを使いながら、「個性的なキャラクターを出す」「手垢が付きすぎず、適度に設定が知られている集団設定」が良かったりする。
そういったのを色々検討していくと、「新撰組」というのがとりあえず現時点ではよい設定的な練れ具合として利用しやすいのかもしれない。

  1. 局長・二人の副長・十人の隊長という、番号で整理するシステマチックな組織。
  2. マニアックさと一般知識という境界に位置する適度な知名度。
  3. 近藤勇土方歳三沖田総司という分かりやすい3人の中心キャラの存在。(よーし、じゃあ「海援隊」やろうといったらこんな感じにはいかない)
  4. 司馬遼太郎の「燃えよ剣」という根本テキストの存在(あらゆる新撰組ものは、燃えよ剣の同人誌といったのは久米田だっけ?)
  5. 新撰組というだけで、キャラクター類型を一気に十二人増やせるのは大きい

ほかにもっと面白いネタがあればいいのだけれど、人口に膾炙しつつ、この知名度を持ちキャラクターがかぶらないというのはなかなかないので、まだもう少し新撰組設定を利用したストーリーって出てくるかもしれない。
個人的には、南総里見八犬伝が大好きなので、八犬伝モノがもっと出てくればいいなぁと思うのだけれども。