顔学の後段:アニメ・コミックの鼻

「彼女の言葉は聞いたよ、きみ。わたしはここにこうしてすわって、わたしほどの知力と先見の明を持ちながらも、なおかつ過ちを犯し、これほど大きな痛手を受けることもあるものだということを考えていたのだ」
トランは、あたかも道化師が彼に手を触れるか、その毒気に汚されるのを恐れるかのように、よろよろと後ずさりした。
『銀河帝国の興亡2』(創元推理文庫

というわけで、顔学の前段「アニメ・コミックの口」に続いて、次は「鼻」を取り上げる。
日本のイラストが、海外に出た場合、「口」については、前述したように大きさ・リップシンクなどを含めて、色々文句が出る場合が多い。それに対して「鼻」は、総じて日本的なイラストに対する違和感が出ることが少ない。割と良く聞くのが、鼻本体を描かずに鼻の影だけを描いたアニメ絵の表現技法に対して
「鼻」に見えない。顔面の中央に穴だけ空いているようで気持ち悪い
といったことぐらいだろうか。
「鼻」に関しては、ひっぱってくる作品が割と文学よりになってしまった。やはり絵的に「鼻」というのは扱いづらいらしく、どうしても文学寄りになるみたいだ。絵画的に「鼻」を語らなければならない部分もあるのだけれど、多少、意味論的になったのは勘弁。
まず、文学・コミック・アニメにおける「鼻」を語っていく前に、「鼻」の機能を簡単に列挙してみよう。実は日本人にとってはあまりなじみの薄い機能もあるため、口と違って再確認しておく必要がある。

  • 感覚器 五感の一つとして、匂いを知覚する。
  • 呼吸器 空気を取り入れ、排出する呼吸口の役割をする。
    • 鼻毛・免疫機構により、埃や雑菌を排除する。
    • 寒冷地帯では、吸気を暖めて肺への冷気の進入を防ぐ。
    • 乾燥地帯では、吸気に湿り気を与えて、肺の乾燥を防ぐ。
  • 発声の補助 鼻を共鳴機として使うことで、一部の子音の発声源となる。

高温多湿地帯に住み、子音が極端に少ない日本語をしゃべる日本人は、「鼻」というものに対する関心が非常に薄い民族の一つである。砂漠の民族も、寒冷地に住む民族もともに「鼻」が大きいのに対して、日本人はその生活習慣から「鼻」に対する関心はあまり高くない。
とはいえ、後述するように「鼻」に関する意識は割と程度の差こそはあれ、内外あまり変わらないような気がするのも面白い。
では、「口」の場合と同じように、「鼻」が大きい・小さいということはどういったことを意味するのかを見ていってみよう。
「鼻」が小さい日本人では非常にわかりにくい部分もあるが、欧米圏における「鼻」は、年齢を著す有効なパーツとして扱われている。赤ん坊と大人の「鼻」を比較してみよう。

  • 赤ん坊の鼻 小さく幅広。鼻梁のへこんだ低い鼻
  • 大人の鼻  特に男性は、鼻が高くなり、幅が狭くなる。凸型で、鼻梁が突き出る

日本人でも比較的鼻の大きな人に対しては、こうした成長過程は顕著に表れるが、とりわけ民族的な特徴として、「鉤鼻」「鷲鼻」「獅子鼻」が多いといわれるアラブ・ユダヤ系の人は、青年期以前と以後では「鼻」の大きさがまったく違ったりするのが興味深い。
なぜ赤ん坊の頃の「鼻」が小さいかというと、赤ん坊の時に「鼻」が大きいと、授乳のときにじゃまになるからだという説があるらしい。確かに「鷲鼻」の赤ん坊は存在しないが、もしいたら乳を吸いにくいだろうなぁと言う気はする。
その意味で「鼻」の大小に関しては下記のような結論が導かれることとなる。

鼻が小ささは、子供を意味する。
大きな鼻は大人。特に男性性を強く意識させる。

そういえば「鼻の大きい男は男性器も大きい」という俗説があるが、なにか相関関係はあるのだろうか? 知っている人がいたら教えてほしい。
まぁ、それは兎も角として、世界各国のいろいろなコンテンツから、鼻が大きいキャラクターにどのようなものがいるかを列挙してみて、そこからある程度、共通的に導き出される性行を見てみよう。
◆フランス文学
シラノシラノ・ド・ベルジュラック」(作:エドモン・ロスタン)
フランス文学だったら、やはり快男児の代名詞・シラノになるだろうなぁ。「哲学者たり、理学者たり、詩人、剣客、音楽家、また天界の旅行者たり、打てば響く毒舌の名人、さてはまた私心なき恋愛の殉教者」(あ〜岩波文庫が見つからないので、不正確かも)。とにかく格好良さ抜群である。
◆イギリス文学
う〜ん、シャイロック「ベニスの商人」(作:シェークスピア)がなんと言っても適当なんだろうけれど、岩波文庫版が埋もれていて見つからない。「鉤鼻」に関する描写はあると思うのだけれども、ユダヤ人=鉤鼻というのは、ナチスなどが敷延しようとしていた人種差別とも絡むそうなので、例としてはやや微妙?

鉤鼻の人は残忍だ。タカがその証拠である。
アリストテレス

というのを上げておく。全然、イギリス関係ないじゃん。
◆イタリア文学
ピノキオ「ピノキオの冒険」(作:カルロ・コルローディ)
有名どころとなったらここか。嘘をつくたびに「鼻」が伸びる。どうでもいいが、実写映画版のピノキオは、本当にイタリアでだけ大ヒットして、海外ではほぼ全滅。最近のイタリア映画の凋落を著しているようで寂しい。
◆ロシア文学
八等官のコワーリョフ「鼻」(作:ゴーゴリ
「ある朝起きてみると、自分の鼻が五等官の服を着て歩き出している」という不条理小説なので、「鼻」の意義を悟るには難しいのだが、「鼻」がなくなった人物をどう描写しているかには興味があると思われるので引用。

(前略)手がなくても、足がなくても、まだしもその方がましだ。だが、鼻のない人間なんて、えたいの知れぬ代物はない−−鳥かと思えば鳥でもなし、人間かと思えば人間でもなし−−そんな者は摘みあげて、ひと思いに窓から抛り出してしまうがいいんだ!

◆日本文学
猿田彦・猿田博士火の鳥」(作:手塚治虫
禅智内供「鼻」(作:芥川龍之介
手塚治虫の話に出てくるキャラクターとして、大鼻のキャラクターがどう扱われているかについては、多様な文献に出てくるのだけれども、とらえ直しておくと「知力に優れ、女性に持てないことにコンプレックスを持ちつつも、勝敗の決した勝負に挑む不屈のキャラクター」として描かれていることはふれておこう。ブラック・ジャックにおいてもシラノ話を出していることを含めた上で、自身をモデルとしつつも、「女性に持てない」というシラノ的な性格を持ったキャラクターとして、猿田のキャラクターを設定している。そういえば同じく大鼻のひげオヤジも独身か。
芥川龍之介禅智内供については、語るまでもないので略。
◆アメリカ文学(前段)
ウィリー・サンドフスキー「こちらマガーク探偵団」(作:エドモンド・ウォレス ヒルディック)
いや……なんか一気に若向けの少年ミステリーだけど、基本的に家にある小説からひっぱってこようとしたらこうなった。「鼻のウィリー」ですね。別名「しゃべる警察犬」。ほとんど参考にならないので、もう一つ。
◆アメリカ文学(後段)
<ミュール>「銀河帝国の興亡」(アイザック・アシモフ
アメリカの小説作品で、大鼻のキャラクターというとどうしても(SF者として)欠かせないのが、マグニフィコこと<ミュール>。というわけで、画像も「銀河帝国の興亡2」の画像になるのもやむなきか。さすがに古典だから書いてもネタバレとは言われない……と思いたい。

道化師は、今でははっきりと見える近さに来ていた。彼のこけた顔は中心でより集まって、たっぷりした肉づきの鼻になっている。

一時とはいえ、無敵のファウンデーションを破って変則的な銀河帝国を作りあげかけた突然変異体ザ・ミュール。大きな鼻は、カリカチュアとしての滑稽さを醸し出しているけれど、同時に最後のシーン他では意志力の強さの象徴ともなっているあたり、「鼻」というものが象徴する意味が出ているようで面白い。

「わたしの失敗はわたし自身のせいだ、その責任は自分で負う。きみは夫とともに行くがいい! 安らかに行きなさい、わたしが−−友情と呼ぶものに免じて」
それから、突然、自尊心をちょっぴり表して「とはいえ、わたしはなおも<銀河宇宙>でもっとも権力のある男、<ミュール>だ。かならずや<第二ファウンデーション>を打ち破ってみせるぞ」
(中略)
「わたしは自分自身を<ミュール>と呼んでいる。−−が、それはわたしの力のせいではない−−あきらかに」
彼は振り向きもせず、二人から離れていった。

カッコイイ! イカス! 世界で最も人気のある大鼻キャラといえば、シラノが筆頭だろうが、個人的には<ミュール>だよな。でも美的な関係か、大鼻キャラは恋愛でも勝負事でも負けることが多いのはしょうがないか。

……という感じで、色々な鼻に関するコンテンツを見てみると、以下のような感じが割と世界共通的に見えるような気がする。

巨大な「鼻」のキャラクターの特徴
1)ユーモア・滑稽さを持っている【禅智内供・シラノ・<ミュール>】
2)大きな知力頑固な性質を持っている【シラノ・<ミュール>・猿田博士】
3)報われない男性的な強さ・プライドを象徴する【シラノ・猿田博士・シャイロック?】
4)犬に象徴される非人間性を表す【ピノキオ・<ミュール>・鼻のウィリー】

かならずしも、この意味の逆意にはならないかもしれないが、小さい「鼻」のキャラクターは以下を表すといえるだろう。

◆小さい「鼻」のキャラクター
1)子供、赤ん坊を象徴する → 意志の弱さ、従順さ、未熟さ
2)女性らしさを表す → 可愛らしさ、美しさ

そこで、最初に書いた一つの疑問をもう一度引っ張り出してみる。
影のみで表現された日本のアニメの鼻は、「鼻」に見えない。顔面の中央に穴だけ空いているようで気持ち悪い。
比較的、小鼻で、機能的にもあまり重視されていない日本と異なって、西欧文化圏においては「呼吸器」としても「発音補助器官」としても「鼻」は重視されている。また特に男性に置いては鼻……特に鼻梁……がハッキリしているだけに、単に影として表現するだけでは、表現としての物足りなさを感じさせるのかも知れない。

確認していないため、どの程度重要なのか、あるいはまったく無関係なのかは分からないが念のため、疾病における「鼻」の重要性を付記しておく。
鼻の欠落は、キリスト教的には聖書に出てくるハンセン病(ライ病)を意識させるのかも知れない。あとは新大陸から伝染してきた梅毒。その意味で鼻が穴のように見えてしまうのはちょっとまずいのかも知れない。

あ〜、くそ、口と鼻で思った以上に時間がかかった。

ではいよいよ、いろんな目の表現に取りかかりたいのだが、ちょっと時間がかかると思うので、待っていてください。しゃべれば早いんだけど、書くと時間かかかるなぁ。