顔学の前段:アニメ・コミックの口

まだ前述した書籍からの顔学を引く前に、ちょっと前段として日本のコミック・アニメ文化を見た時のアメリカ文化圏の違和感がどうして生じるかを説明しておく。
カテゴライズは目・鼻・口だ。このうちで「目が大きい」については非常に長くなり、についてはちょっと資料集めに時間がかかっているので、とりあえずについて指摘しておく。TBもあったし、最初に拝読した時から書いておきたかった題材でもあるので、ふれておく。まぁ時間がないから小出しにしているという側面もあるのだけれども。

米のマンガ家Rivkah Greulichの論考の箱男氏による翻訳
空き箱
西洋人がアニメやマンガを取り上げると、必ずといっていいほどその絵のスタイル、目が大き過ぎるって話と他にあってせいぜい口が小さいってことばかり指摘する気がする。他の顔の特徴は取り上げられもしない。鼻がどうなってるかなんて定義はないし、シンプルな顔の輪郭線や陰影の省略も同様だ。

口の表現

口について日本のアニメ・コミックについてアメリカ文化圏からある指摘とは以下の二つだ。

  1. 口が小さい
  2. リップシンクがしっかりしていない

以上の「口が小さい」という主張に関しては、下記のキティがアメリカに受容された時におきた非難ともリンクしている。

お知らせ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
古い話題なので、既に既出かもしれなく、その場合でもログが残ってないようなので今更ながら投稿してみます。
少し前ですが、キティちゃんには『口』がないってことで話題になりましたよね。
「キティちゃんに口がないのは、女は喋るな!という女性差別である!」というアメリカのある団体発祥のものです。
最近、ちょっとしたことがあって思い出したのですが、これについてどう思われますか?
キティちゃんの恋人のダニエル君も口無いのにね・・・。

ちょっとソースを探したのだが、見つからなかったのでもし知っている人がいたら教えて欲しい。だがここから西欧文化圏の考える口の役割が浮かび上がってくる

口とは主張するコミュニケーション器官である。

たぶん、こうした非難は本当にあったんじゃないかともうのだが、ここから演繹するにアメリカ文化圏においては、キャラクターの口に関しては以下のような結論に至らないだろうか?

1)アメリカ文化圏では「口が小さい」ことは「無口」「主張の少ない」「従順さ」を意味する

もうひとつ、リップシンクをなぜアメリカ圏が重視するかと云うことを考えるに、ちょっと思いついたことがある。アメリカ人は礼儀として他人の目を見て話せと教育される。目の表情を読み取ると云うことが、一つのコミュニケーションツールとなっているわけだ。
これは仮説にしか過ぎないのだが、アニメに於いてあれほど西欧文化圏……とくにアメリカがリップシンクを重視するのは、じつはアメリカ人は目と同時に他人と話す時に口も見ているのではないかと思う。
ロボコップが、元々は特撮の宇宙刑事シリーズからインスパイアされたことは有名だが、アメリカではリップシンクが重視されるので、口元が見える構造になったという話も良く聞く。これを見るにアメリカ人は口元の表情もかなり読み取っているのではないだろうか? どこかに実験結果とか転がっていないかなぁ。これだけでもきちんとやるとコミュニケーション論の博士号がとれると思うんだけど。

さてもう一つ。「口が小さい」ということが導き出す効果がある。それはなにか、口が小さいと云うことは攻撃性が少ないということだ。
JAWS」でもいい。大きい口、とりわけ大きく開けた口とは、それは相手を食べようとする攻撃のサインだ。オオカミと云うものに対する恐怖心がある西欧文化圏に根付いているものだと思う。ここから考えられるのは

2)アメリカ文化圏では口が小さいことは「攻撃性が少ない」「敵性生物ではない」ことを意味する

ということだ。
さぁ、どんどん加速していくぞ。これはどちらかというとアメリカ人が、口をコミュニケーションツールとして重視しているという傍証に過ぎないが、アメリカ人が嫌う口に関する状態がある。それはなにかというと、「八重歯」だ。
日本では多少の「八重歯」は、それこそ「かわいい」と見なされるが、アメリカ人は極端に八重歯=ドラキュラの歯と云われて非常に嫌われる。先ほどオオカミの話を出したが、ホラー映画の題材となるドラキュラがまた出てくる。では傍証として付け加えておこう

2.1)アメリカ人は八重歯を嫌う。八重歯のある口は攻撃的に見えるから。→ アメリカ人は口から表情を読み取る


ここまで書く結論をまとめてみると、日本のコミックアニメ文化を見た時にアメリカ人が良く言う「口が小さいことに違和感がある」ということが分かっただろうか? アメリカ人にとってはおそらく口もまた目を含む表情と同じく、コミュニケーションツールの一つなのだ。
だから、どうしてもリップシンクが気になるし、「口が小さい」ということもと同じく気になるのだ。
おそらく「口が小さいことは攻撃性が少ない」「小さい口(おちょぼ口)は主張が少ない」という文化的な背景は日本にも存在する。

でもアメリカではあまり口が小さいキャラクターを自分で書くことは少ない。口が小さいと言うことは主張が少ないと言うことだから。
小さくてどうする! むしろ顎が二つに割れているぐらいマッチョに主張せよ!

そこに来たのが、日本アニメの口の小さい、リップシンクがしっかりしていないキャラクターだ。これは以下のように繋がっていく。

口が小さくて、リップシンクがしっかりしていない
→攻撃性が少ないし、リップシンクがないので、表情(=何をしゃべっているのか)よく分からない。稚拙な喋りだ。
→ようするに子供っぽい。でも気になるが不快ではない。
→一歩踏み込めば、未熟な分、好ましい部分もある。
→これがひょっとして「かわいい」

という風に繋がっていったのではないだろうか? まだアメリカのいろんな論評を全部見たわけではないが、「口が小さい」と言うことに関しては、確かにアメリカ人は違和感を感じているものの、リップシンク問題を除いては、他の「目」の問題などと比べて反発が少ないような気がする。

フェミニストからは反発を受けている可能性があるけれども、「口が小さい」=「攻撃性が少ない」などといった文化的な共通箇所を通じさせつつ、日本のアニメ・コミック文化は、「かわいい」という価値観を海外に輸出し、受容させていっている。