「かっこいい」と「萌え」 次世代の日本コンテンツの展望(前編)

ライトノベルや同人美少女ゲームにおいて「絵は上手くない方が良い」「多少の隙があった方がいい」という話がある。(http://amanoudume.s41.xrea.com/cgi-bin/mt/archives/000294.html
実は数年前くらいからそういった状況はあった。危惧していたことがいよいよ前面に出てきたかんじだ。それは事実だしおそらく商業に置いても現実化しつつある。それ一辺倒になると実は日本のコンテンツ的にマズくなる状況がある。
「萌え」などを考えていくなかで、色々分かってきた部分も出てきたので、いくつか書いてきたものとも絡めつつ、少しまとめてみようとおもう。

◆画風のロリコン化

イラストレーションとコミックのロリコン化・未熟達化がそろそろ限界まで来た。「同人ゲームで絵は上手くない方が売れる」という部分は確かにある。だが、それが公に出て是認されつつあるというのはちょっと喫水線を越えている。
イラストレーターの最先端をどこに位置づけるのかは難しい問題だ。簡単に言うのであれば、「これからイラストを描こうと思っている若い子が、誰の画法を真似しようとするか」といえばよいだろうか。
あらゆる創造行為が模倣からはいるように、イラストもまた模写から入る。ロボットアニメを好きな子供がガンダムを一生懸命模写し、そのうちにガンダムを描けるようになる。そしてそこから「自分はこうした方がもっと格好いいと思う」と発想し、単なる模写から逸脱・超克していくのが、個人として見た場合のイラストレーターの熟達課程といえる。
ところが、非常にマズイのは模写される対象・新人にとって最終的に越えなければならないイラストレーターの目標が少しずつ低くなっていうところへと繋がってくる。

前段階の説明
さて、ここで話は前提条件二つの説明のため、脇道にそれる。何がどうマズイのかを説明するには、以下の二つが必要だからだ。すなわち
「かわいい」とはなにか
「目の大きいイラスト」の意味
を前段階として語る必要があるためだ。

◆日本の価値観の三軸「かっこいい」「きれい・うつくしい・美」「かわいい」

自分にとって好ましい価値観をどのような言葉で表現するか。おそらく日本に存在する価値観をざっくり切ると「かっこいい」「きれい・うつくしい・美」「かわいい」に分類できる。この中で「かわいい」という価値観だけが、かなり特殊なのだがそれは後述する。
わかりやすい例で「かっこいい」という語句の利用範囲を考えてみよう。主として男性が重視し、また男性的な存在に対して当てはめられる価値観の軸だ。その属している社会層・趣味・文化で分化するものの、その根底にあるベクトルは

「かっこいい」
未熟な自分にはできない、成熟・完成した存在へのあこがれ
ちなみに広辞苑第五版では「人に目立って見た目がよい」の意。

と規定することができる。ちょっと愛の定義でのエロスに似ているが、このように考えてみると、実は「かっこいい」という表現に、かなり多くの意味を詰め込むことができる。
知性を重視する人にとっては、「難問に答えられる知性」を「かっこいい」と考えることもできれば、下妻の不良にとっては「本物のヤクザみたいに剃り込みを入れる」「鳶の着ているニッカポッカ」ことが「かっこいい」ことになりうるし、江戸時代の町民にとってはやせ我慢もまた「粋で」「いなせ」で「かっこいい」ことになりうる。ホリエモンのように札束を切って企業買収をすることも「かっこいい」と感じることもできるわけだ。
二番目の価値観「きれい・うつくしい・美」についてはちょっと難しい。本当は一語にまとめるのであれば一般性も考えて「きれい」と書くのが適当なのだけれども、そうするとちょっとClean(清潔・整理されている)という意味がやや付け加わりすぎるか。
漢字で「綺麗」と書くと「綺(あや)の様に美しい」という意味が強調されすぎるし。
「うつくしい」という語に集約できればいいのだけれども、広辞苑を調べてみると古語においては、「うつくしい」が、後述する「小さいものへの愛」=「かわいい」に近かったこともあるので混乱する。

うつくしい(美しい・愛しい)
肉親への愛から小さいものへの愛に、そして小さいものの美への愛に、と意味が移り変わり、さらに室町時代には、美そのものをあらわすようになった。
広辞苑第五版より)

そういった訳で、日本での第二の評価軸は「きれい・うつくしい・美」と三語でまとめることにした。風景や景色の良さにも使うことをフォローするとこうならざるを得ない。さてここまで拡張すると、ここからこの第二の評価軸を考えてみると、以下のようにまとめられるだろうか。

「きれい・うつくしい・美」
なかなか得ることのできない、ととのえられ、りっぱなこと。よいこと。

もうちょっと良いまとめ方があればいいのだが、現時点ではこんなところか。ただもちろんこの第二の評価軸とは、女性が重視する価値観であるという側面はある。それは次の「かわいい」と同じだ。広辞苑第五版だと、「ととのえられて、よいこと」という意味になっているが、ちょっとこの論考でまとめていくベクトルとして、【なかなか得ることができない】という点を強調しておく。
さていよいよ次の「かわいい」だ。まずは広辞苑を引いてみよう

カワユイの転

  1. いたわしい、ふびんだ、かわいそうだ
  2. 愛すべきである、深い愛情を感じる
  3. ちいさくて美しい

プラスイメージが多かった「かっこいい」「きれい・うつくしい・美」とは明らかに方向性が違うことが分かる。第二項目・第三項目でより顕著になるが、基本的に「かわいい」とは、

未成熟なもの、劣っているもの、小さいものへ注がれる感情・愛情である。

明らかに自分より劣っているもの、幼いものによせる好意的な感情であることが分かるだろう。「かっこいい」をエロス的と考えるのであれば、「かわいい」は本質的にアガペー的な要素を持っている。
男性諸氏にはこういえば分かりやすいかも知れない。自分が「かっこよくなる」こと、「きれいになる」ことは受け入れられたとしても、「かわいくなる」ことは普通なら受け入れにくいのではないだろうか。

◆「萌え」とは「対象物をもったかわいい」の言い換え

「萌え」って何なのだろうと色々考えてきたのだが、岡野勇さんや松谷創一郎さんの意見を集約してつらつらと考えてみると、結局それはやはり「かわいい」の言い換えに過ぎないのだという感じが強くしてきている。男性が使いやすいように、『より対象性をはっきりさせた「かわいい」の言い換え』
だと思う。
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男性が直接的に「かわいい」という言葉は、前述の通りに使いにくい。ところが女性、とりわけ若い女性にとっては、自分自身が「かわいい」という対象になることは望ましいことである。「私はかわいい」=「私自身がかわいい」という表現は成り立ちうるし、むしろ望ましい状態であることも多い。
ところが、「萌え」という形容句は、それを使っている発言者に対する形容としては存在し得ない。また、「萌える」という同士は発言者の自動詞ではなく、対象物を設定した他動詞なのだろう。「私は萌える」という言葉あったとしても「私は(シスプリに)萌える」というような明確な対象物の存在を言外に予感させている気がする。「萌える都市・秋葉原」があったとしても、「萌える私」という言葉が存在しないように。
コミックでの表現も入れてみよう。伊藤岳彦が80年代後半に「かっこいい」というカテゴライズ内で使用していた「燃える」「萌える」はその点で明確な違いが出ている。伊藤岳彦の用法では、背景に火炎を背負った主人公=第一存在としての「燃える自分・主人公・作者」はコマ割りとして存在する。しかしコミックにおいて「萌える」ヒロインが出てきたとしても、それは読者・登場人物視野でコマ割りになっているはずだ。
こうした「かわいいとの差別化」「対象として自己を含む表現からの乖離」という課程をへて、ようやく「萌え」は男性がつかえる表現としての立場を確立したのではないだろうか。
そしてまた、主として男性が使う言葉あるだけに、「かっこいい」が男性が自身にとって望ましい性的魅力というベールをまとうように、「萌え」もまた、男性にとって望ましい「かわいい性的魅力」という衣をまとうことになり、必然的に岡野さんがまとめた岡田斗志夫の萌え概念のように「萌えというのは性欲の一形態、と考えた方が辻褄があう」(大意)という色彩も得る訳だ。

◆「かわいい」の探求は日本独特の文化

さて、ここで述べておかねばならないのが、「かわいい」という感情をいかに表現するかという探求を、日本は歴史的に長い時間行ってきたという点だ。「かわいい」の語源である「かわゆい」の意味、「うつくしい」の語義の時代変遷、お稚児趣味などを見ると、昔から日本が「かわいい」という評価軸に、ある一定の価値をおいていたことが分かるだろう。
ところが、諸外国では日本ほど「かわいい」ということに価値を置かないらしい。確かこの説を聞いたのは松谷創一郎さんからだったと思う。どこの本に載っていたのかも聞いたのだが、忙しくて読めなかった(後で要チェック)
『アメリカにおいてキティがいかに受容されていったか』だった。初めてキティがアメリカに輸出された時、大人気になったのだが、「キティを見た時にわき上がってくる感情をどう表現して良いか分からない」という話だった。基本的にヨーロッパには子供文化が少ないことが少ないこととも符合する。
「かわいい」が最も使われるのは、その語源からも分かるように子供に対してであり、未成熟なものへの視点だからだ。
であると同時に子供自身――とくに女の子――にとって自身を形容し、そうなりたいと考えている

また先週号のNEWSWEEKを見て知った面白い話がある。手元にないから少し正確さを欠くが、アメリカ人の女性コラムニストが、日本で全身ピンクのOL女性を見てびっくりしたという話だった。基本的にそのコラムニストが言うには、アメリカではピンクとはSEX・風俗的な意味を含む度合いが強いらしい。そのため日本のようにピンク色がグッズとして氾濫しているのは不思議な気がするというコラムだった【もちろん、アメリカにも「キューティーブロンド」の様な映画があるわけで、やや大げさかなとは思った】 日本では桃色=ピンクは「かわいい色」としての認識が強い。おそらく彼のOL女性もかわいいイメージを強調してピンクのスーツを着ていたに相違ないが、アメリカでは一歩間違うと売春婦になりかねないらしい。このあたり世界での色イメージの不一致と、日本ではOL女性は「かわいい」に価値を置くが、海外では「かわいい」とは大人の女性へのほめ言葉として必ずしも適切ではないという意味で、興味深い。

後編で詳述する形になるだろうが、日本が海外へ進出していく上で、この「かわいい」というのは、多くの点で外国の子供文化へ浸透していく上での大きな武器になった。

日本風の可愛い絵柄、その最大の特徴は俗に言う「アニメ絵」の特徴、海外のアニメに馴染まない層が絶対的に口にする「なぜ日本のアニメキャラクターはあんなに目が大きいのか?」ということには顔学などがからんでくる。



と書こうとしているのだが、この話題はとにかく書いても書いても書いてもおわらないので、一応、前編はここまでということで。だいたい半分くらいは書いたような気がする。一応、計算してみたのだが、徹夜して待っていたデータよりは早く書いているのでヨシとしよう(笑)
洩れ・誤字脱字・勘違いもあるだろうから、たぶん、最終稿はかなり校正しつつ直していくと思うけれど、まぁとりあえずアップ。
未確定だけれども、後編の書く話題の前半は以下の通り。

◆「目」にまつわる顔学と、目の大きいイラスト

顔学との関わり
顔認知学
目を見て話す? 目をそらして話す?

「顔」研究の最前線

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赤ちゃんは顔をよむ―視覚と心の発達学

赤ちゃんは顔をよむ―視覚と心の発達学


顔を読む―顔学への招待

顔を読む―顔学への招待

  • 作者: レズリー・A.ゼブロウィッツ,Leslie A. Zebrowitz,羽田節子,中尾ゆかり
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なぜイラスト初心者は目を大きくイラストを描くか→バランスが取りやすい

◆「かっこいい」と「かわいさ」を連動輸出してきていた日本

第一世代オタクが進めてきた「ロボテック」
サンリオのアメリカ展開
ポケットモンスターのアメリカ需要形態
三軸のコンテンツを同時輸出していた日本

◆「目の大きいイラスト」からの進化

目の大きいイラストは顔ヴァリエーションと表情を出しにくい
巧いイラストレーターが追求する絵柄とは
リアルとコミックの中間地点

◆90年代「かっこいいメカ」から「かわいいキャラ」への展開

すたじおぬえ、伸童舎から赤松健

◆ゲーム次世代機戦争がおこす価値観の変遷

アニメより「実写」「特撮」への連動
ポポロクロイスの凋落

◆面白い妬み視点を某ブログで見たのでちょっと言及

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mixiセレブという言葉が頭に浮かんだ。