この世で一番高いモノ:税理士編【その3】 名誉の巻

友人の税理士Tが言った中で、この世で一番高いモノとは何か?

それは「名誉」だ。

「プライド」と言い換えても良いかもしれない。ただそれは良い意味での名誉とかプライド、尊厳ではないらしい。
「場合によっては本人にしか理解できない『安っぽい名誉』」なのだそうだ。「本人にしか分からないトラウマの補填」「他人には理解不能なアイデンティティ」と言っても良いかも知れない。
税理士Tが先輩ほかからの意見を総合した結論が、この「この世で一番高いモノは名誉」論らしい。ほかのものは大抵はお金に換算できるのだそうだ。愛情も子供も、大抵は金で何とかなるらしい【その意味でホリエモンは実に正しいとTは言う】。

  1. 自分の会社の業績は順調で、人生の最後まで成功者でいることが見えた(この条件だって非常に難しい)
  2. 子供や妻にも十二分以上の遺産を残していくことが見えた(上記以上に難しい。)

ところが、その領域に到達すると、なぜか日本社会では名誉が欲しくなってしまった挙句、ごろごろと転落していく人が後を絶たないのだそうだ。
アメリカでは金銭的な成功を築くとそれだけで社会的な尊敬を得られる。まぁ球団のオーナーになったり、エンジェルとして新規事業への投資を行ったりとかのシステムがある。欧州ではローマの昔から、成功者の社会還元みたいなものを期待するボランティアとか寄付の文化があって、それが社会的な尊敬に繋がっていくらしいのだが、どうも日本は違うらしい。
少なくとも儒教ではないらしいのだが、日本には「お金は汚い」という思想があるのが根本的な原因なのかも知れない。お金持ちの名誉を満足させ、かつ一般大衆からも尊敬を集めさせるようなシステム……企業の社会参加とかメセナとかではなく……個人で仮託できるシステムがないらしい。
Tのこの言葉は確かに納得できる。例えばアメリカではよく大金持ちが母校の大学などに自分の名前を付けた体育館や講堂を寄付することがあるが、日本ではそう言う風習は少ない。

ムネオハウス

はどう考えても違うだろう(当たり前だ)
そうなるといきおい、成功した経営者が何をし出すかというと、超巨大な本社ビルを建ててしまったり、文化的には価値があるだろうけれど、会社的にはまったく意味がないだろうというゴッホの絵を買ってしまったりするのだそうだ。後代まで残るモニュメントとしてそうした事をやってしまうわけだが、殆ど失敗すると言っても過言ではないらしい。
あ〜、そうそう日本で一番名誉が欲しくてしょうがない人という意味では、某宗教団体の教祖もいるな。本当にノーベル平和賞が欲しくてしょうがないらしいのだけれども、どうするんだろうね。
本当は今回のスマトラ沖地震の際などに、個人のポケットマネーから義援金を出すなどするのが、非常にスマートな「お金の使い方」ではあるけれど、困ったことに松井秀喜が5000万援助したらニュースになるけれど、ホリエモンとかが一億援助してもニュースにも何にも成らないから、名誉付与システムとして日本では寄付が機能していないのだそうだ。
余談だがローマ時代の男性にとって最も名誉なこととは、将軍になって凱旋し、自分の名を冠した凱旋門へ向っての凱旋式をすることだったらしい。
……確かに振り返ってみるに、通俗的な意味での最大の名誉って何かといわれると分からない。国民栄誉賞? どう考えても違うし。現代社会になる前の近代社会であるならば、大相撲の谷町とか歌舞伎のスポンサーとかあったけれど、経済規模と関心事がずれてきてしまっている以上、有り余る金を吸収して社会に還元するシステムとしては機能しないらしい。園遊会に呼ばれることが名誉って言っても違うし、勲章システムはちょっと文化的な側面が強くなってしまってし……。
「いや、それがあるんだ、日本にも。ただそれがまるで収益を上げる産業のように見えるからおかしな事になっているんだ。でも違う、あの産業を収益産業と考えるのがいけないんだ」

それは映画さ

なるほど!とココで一同が膝を打った。確かに40代〜70代の日本人にとって最大の名誉システムは映画制作かも知れない。何と言っても映画制作という名目であれば、TVCMをばんばん打つことも、プロデューサーとして取材を受けることもすべてがビジネスとして見られてかつ、巨大な文化事業として見られるし、加えて映画をヒットさせていれば、勲章ももらうことすら不可能ではない。
日本に唯一存在する高貴な血(ブルーブラッド)やセレブに接近することも不可能ではないわけだ。面白〜。
「アニメじゃ駄目なんだぜ、実写映画じゃないと。そうしないと金持ちが想像する形での『安っぽい名誉』に直結しないから。その意味で、CGでアカデミー賞を取ろうとしたスクウェアの坂口博信と、アニメで実際にアカデミー賞を取った宮崎駿はちょっと日本の名誉付与システムからは外れているんだけどね……。今度、『ミラーマン』をやる庵野さんの価値基準は観念的に坂口・宮崎よりも古いのかも知れないね」。
う〜ん、なるほど。ナムコにせよ、スクウェアにせよ、大手商社にせよ、徳間書店、角川書店にせよ、基本的に映画に進出しては、コロコロ失敗していっているからなぁ。
経済説の一つとして、中世の絶対王政時代には、王侯貴族の宝石への消費が経済を回していたという試算もあるようだ。現在、邦画はそれほどの力を持たないかも知れない。ただTに言わせるところに依ると「映画産業に関わったことのない第三者が、映画へ出資すると効率よくそれを浪費して社会へ再還元していくシステムとしか思えないくらい」、現在の映画産業はボロボロらしい。にも関わらずある特定の年代の男性に対しては、文化的な価値と邦画におけるところの失敗率が異常に高くなっているため、結果的に江戸時代の相撲とか歌舞伎の銘打ち興業?の様な形になってしまうらしい。
いや興味深い。

これは経営者が考える名誉というものが……とりわけ出版・ゲームなどといったクリエーター色が強ければ強い業界ほど映画への傾倒も深くなる……いかに下らないかというのを如実に表わしているのかも知れない。

でも振り返るに、それはオイラを含む個々人も同じかも知れない。ネットで悪口を流布されたとか、友人のウチで彼女がいないのは自分だけだとか、買った株式が安くなってしまってライバルに面目が立たないとか、本当に「安っぽい名誉」の為だけにいかに浪費されてしまっている精神力や時間、お金を考えると、本当に自分がこだわっている名誉というのはそれほどのモノなのか?と問いかけ直した方がよいのかも知れない。国の名誉というのがかかるとそれだけで亡国してしまう可能性もある。サッカーのワールドカップで負けたと言うだけで戦争起こすアホな国もいるわけだし。お前、単なるサッカーだろうと説教してやりたい。

ちょっと映画と言うことに話を戻す。スクウェアのファイナルファンタジーの映画は、150億円の制作費をかけて巨大な赤字の山を築き上げた。ところが同年、新海誠はたった一人で「ほしのこえ」を作り上げて、映像関係者の絶賛(まぁ全員が全員というわけではないが)を浴びた。富野監督が褒めちぎるなんてメッタにないんだから! かたや150億円をかけて会社はおろかゲーム産業全体を危機に陥れかけても名誉を手に出来ない人がいる一方で、一人こつこつと真摯に制作に励んでいた者が、おそらくは後代にも長く残って行くであろう名誉を手にする。

いや……推測だけど新海誠はそんな名誉とか何とかが欲しくて「ほしのこえ」作った訳じゃないだろう。むしろ制作過程においては、多くのネットからのアドバイスを受けながら作ったらしいし。多分、一番の理由は本人が作りたかったからなんだろう。

結局、名誉なんては自分だけの心の奥で理解していてこそだよ。

と、そんなアニメ業界の事例をひっぱりながらもえらく格好良くTがまとめていた。そうであればこそ、名誉とは買おうと思ったら幾ら金を積もうが、国家を戦争に巻き込んで亡国の極にまで追いつめようが手に出来ない、この世で一番高いモノかもしれない。ただその一方で粛々と自信を持って仕事をして勉強をして、身の回りにいる身近で大切な人と暮らしていれば、彼らから認められることで自然に……ただで得られるのもまた間違いない。

この話は2004-12-22 - さて次の企画はでも書いたニート論とも繋がってくるのだけれども、またこれには違った側面でスポットライトを当てたいなとも考えているので、また今度。

(Tと今年の忘年会での試論)

この世で一番高いモノは「名誉」。

でも虚飾に彩られなければ誠実な努力の上でタダで手に入るモノ