世界の美の基準――わびさび萌えとリアルの解法:その1

昨年から引っかかっている考えで「リアル」と「萌え」をもうちょっと語れるようになっておこうと思っている訳だが、可能であれば単に日本人にだけ伝わるのではなく、外国人にも伝わるようにしたい。
あ、画像は冬コミで出ていた新月お茶の会の同人誌「ライトノベルの憂鬱」から。新月お茶の会は、電撃文庫特集を出した5年ほど前からずっとウォッチしているのだが、こーゆーのも出したのだなと思うと感慨深い。大学創作サークルにおけるライトノベル受容の流れとか聞いてみたい気がする。
そんな訳で正月休み中に色々本を読んで、指摘があった「粋」についても語ろうと思っているウチに外国語で、格好良い・洒落ているという言葉を色々集めて、どれが「萌え」という概念に一番近いかを考えてみることにした。
「いき」の構造 (講談社学術文庫)とか、隠者の文学―苦悶する美 (講談社学術文庫)とかを読んでみたり、とにかくいろんな辞書を持っている嫁から借りたりして調べてみた。
わび・さび・萌えよりも、「粋」とかの方が外国語とも対比しやすいので外国語用例と対比しながら、徐々に萌えに近づいていこうと思う。
まずは各国で「格好良い」「お洒落」「格好良い」という意味をもちながら、それぞれの国の固有な文化的な背景を持っている言葉を並べていってみる

いき(粋):日本

着ている物の格好や仕草が気がきいて見える様子。「洒落ている」「格好良い」。副次的には、遊び慣れていることや花柳界の事情に通じている事をも表わす。「女性への視線を気にしている」「京文化とは異なる江戸文化の意気地・やせ我慢」「諦めと恬淡」を含む。

エスプリ(esprit):フランス

機知に富んだ精神の働き。精神、心、知性、思考力、理念、霊。

シック(chic):フランス

洒落た、シックな、粋な。語源は二説あり、一説はchicaneの略で、裁判沙汰をもつれさせる「繊巧な詭計」を心得ていること。もう一説は元来、独語からきたschickを語源とする「諸事について巧妙」の意が、段々とelegantという意味を取り込んでいった。

ガイストライヒ(geistreich):ドイツ

才気あふれる、気のきいた(発言など)、利発な様。Geist(精神、心、知力、才気、気風、本質的意義、主義、霊、亡霊、エキス)を語源とする。ドイツ語でエスプリを訳すとGeistもしくはgeistreichとなるが、ヘーゲルの用語法によると大違いらしい。

クール(cool):アメリカ

米の俗語として「格好良い」「いかす」「頭が良い」「洒落た感じ」の意味で用いられる。ジャズの用語としては、「洗練され(落ち着き)くつろいだ感じ」を意味する。理学用語として、「放射能に汚染されていない」という意味もある。
う〜ん、本当はアジア圏をもっと調べなければならないのだけれども、ちょっと冬休み中には調べられん。
「粋」という感じを表わすだけでもなかなか大変であることが分かる。萌えに至る道は遠いなぁ……。全然関係ないけれどgeistreichというのは、語源から見ていくと「精神とか魂」を意味するらしいので、ようするに「ドイツ魂ちっくに格好良い」みたいなものだろうか? 一応、ドイツ語履修したのだが、その時は其処まで考えたことがなかった。
例えば、ジョジョの奇妙な冒険シュトロハイム少佐が「我がドイツの医学薬学は世界一ィィイ」というのを、ドイツ的に格好良いというとしたら「geistreich!」とか言うのだろうか? アナベル・ガトー少佐が、ノイエジールを見て「ジオンの魂が形になったようだ」というのも(ジオンだけど)、一言で言うと「geistreich!」なのだろうか?
閑話休題
隠者文学関連では、隠遁というのが人間にとってどういう意味を持っているのかというのを抜き出しつつ、わびさびが萌えと本当に繋がるかどうかを見てみる。わびさびの中にある無常観・寂寥感というのが、引きこもりの持つ「何をやっても意味ない無力感」と繋がっているのかどうかをちょっと事例を引いて見てみる。どうにも1冊読んだだけではよく分からないので、解説書をもう数冊と、学生時代に読んだことのある「方丈記」「徒然草」以外を読んでみて、こりゃ現在の引きこもり文学と直結しているなぁというような事例がないか、ちょっと探してみようとおもう。
そこで、現実社会から離脱した隠遁と禅が「わび」「さび」を重視したように、引きこもり系における「萌え」重視と類似性があるかを見てみる。
そうそう、隠者の文学―苦悶する美 (講談社学術文庫)を読んだときの人は何故隠遁するかというのが、面白かったので引用してみる。

隠遁とは人間の個が群から自己をとりかえす一つの形式である。人間の歴史は、個と群との相克の歴史であると言ってよい。外部的には群が個を制して、社会万能の歴史ができあがったが、内部的には個が群を制して、あくまで個人の尊厳を貫こうとする。ところが、個が突然に自己を完全にとりかえそうとして、群から離脱しようとすることがある。個の中にある涯しない夢や悲しみが、内部で目を覚ますのかも知れない。

と書いてあるのを見ると、ひきこもりやニートの心理の一面が見えるようで面白い。なるほど、社会より個を大事にすると引きこもってしまう訳か。それは中世近世も現代も変わらないのかも知れない。もっとも近代以前の隠遁生活は、現代のような高度消費社会に依っているわけではないから、隠遁の契機も……まぁ科挙や出世争いに敗れて隠遁したという中国の文学者の例もあるにせよ……現代の状況とは随分違うだろう。
わびさびが、「人間のいない自然美」「質素な内面にのみ存在する美」を見立てたのに対して、萌えが「高度消費社会でのみ成立するコンテンツに美」を見立てるのは、一括りに出来ないだろうし……。
ただ「見立てる」という行為や周辺状況に類似点が多い気もするんだよなぁ。