「アイドルのエロい歌詞変遷はいかに永井豪とオタク文化に影響を与えたか」、もしくは「90年代に破られはじめたタブーその1」

JASRACのちょっと年配の知り合いに聞いた話をベースに。若いアイドルにエロい歌詞を唄わせるとゆ〜嗜好を少しまとめてみる。ゴマキがモーニング娘。を卒業した前後に聞いた話だから少し前の話。
確信犯的に自分で詩を書いてエロい歌詞を唄っている椎名林檎みたいなシンガーソングライターを除くと、自分で詩を書いてない歌手は当然、作詞家のお世話になっている。
個人的に「ありゃ〜ここまで来たか!」と思ったのは、SPEEDの時だった。

BODY&SOUL(作詞:伊秩弘将、1996年)
痛い事とか怖がらないで もっと奥まで行こうよ 一緒に BODY&SOUL

確かメンバーのヒロは小学生だったわけで、「あ〜こりゃもう限界を突破しつつあるなぁ」と思った。
たしか、ボーイズラブで小学生ショタネタが出始めたのもほぼ同時期くらいで、色んな意味で低年齢というものに対する見境がなくなってきているなぁと思った時期だった。

年若いアイドルにちょっとエロい歌詞を歌わせるという元祖が山口百恵だった。
山口百恵はデビューしたのが、’72年。中学三年生でデビュー当初はどちらかというと可愛いイメージの森昌子、どことなく知的なイメージを桜田淳子にくらべて、透明感・清潔感があるけれど幸薄い感じがあったらしい(JASRACの知り合いの弁。流石にデビュー当時まではオイラは子供過ぎて分からない) 愛人の子供という生い立ちも影響していたのかもしれない。
73年に「同世代感をターゲット」にして「としごろ」で歌手デビューするもヒットしなかったようだ。最初のタイトルは当時の山口百恵の年齢でもある「14才」というタイトルの予定だったが、諸般の事情で「としごろ」に変更があったとのこと。
ところが売れない。
で、じゃあその世代の青い性を唄おうという方向性から後に「性典」シリーズとか「青い性シリーズ」とか呼ばれる山口百恵の第一期が形作られていく。
次の曲が「青い果実」だった。

◆青い果実(作詞:千家和也、1973年)
あなたが望むなら私何をされてもいいわ〜
禁じられた遊び(作詞:千家和也、1973年)
今こそ私は 変わってゆくわ カラを脱ぎ捨てる
◆一夏の経験(作詞:千家和也、1974年、宇宙戦艦ヤマトの年ですな)
あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ
誰でも一度だけ経験するのよ誘惑の甘い罠

当時の状況は分からないが、とにかく有識者からは猛抗議がある半面、オジサンから中高生まで大反響で、これによって認知された山口百恵はスターダムを駆け上がっていくことになる。
と同時に、若い女の子にエロい歌詞を歌わせるという、一つの典型例がこのあたりに確立されはじめる。
ちなみに山口百恵自体は、自著のエッセイで当時、新聞・芸能記者からたびたび「あなたに女の子の一番大切なものってなんですか?」と聞かれる度に「まごころ」と答えていたと記している。彼女自身、「なんでこんな詞を歌わせるのだろうか?」と疑問を持ちつつも、クールに記者をあしらっていたのが、15、6才くらい。このあたり、新聞記者の幼さは処女性を大事にしているエロゲーゲーマーや、ステルヴィアでのキス騒動と大差ない(笑)
そして、絶頂をきわめて引退したのが21才である。……21才だよ! いや、今調べてみてはハっと気がついたのだが、確かに伝説と言われるかもしれない。
こうした山口百恵が扉とあけてしまった「女の子にエロい歌詞を唄わせる」というムーブメントには、アニメソングも多大にその影響を受けていて、アニメ「キューティーハニー」「魔女っ子メグちゃん」のOPへと、このエロい歌詞路線というのは継承されていく。
さて、これまた非常に分かり易いのであるが、エロい歌詞を積極的に導入していったアニメが、東映動画やらの関わりに置いて永井豪の影響下にあったりするのが面白い。
豪ちゃん……かんべん。
とはいえ、小中学生の男子の持つちょっとした好奇心をがっちりターゲッティングしてしまうのだから、やはり天才なんだろう。最近、オヤジ臭すぎますが……。「天空之狗」もまたデビルマンと言われてもなぁ。
脱線修正。
結局、おたく層の嗜好するロリコンとは、発現の仕方はかなり違うのだけれども、アイドルにエロい歌詞を歌わせる路線というのは、定期的に続いていった。
それはたとえばピンクレディーであったり、

◆ペッパー警部(作詞:阿久悠、1976年)
ペッバー警部 邪魔をしないでペッパー警部 私たちこれからいいところ

秋元康プロデュースのおニャン子クラブであったり、

セーラー服を脱がさないで(作詞:秋元 康、1985年)
セーラー服を 脱がさないで 今はダメよ ガマンなさって
セーラー服を 脱がさないで イヤよダメよ こんなところじゃ

したわけだ。このあたりでもまだかろうじて、下限は高校生だった。山口百恵もデビューこそは中学生であったが、性を前面にだして歌い始めたのは高校生だった。
ところが、その暗黙の了解を破ってしまったのが、96年デビューのSPEEDだった。

メンバーの中に小学生がいるにも関わらず、エロ歌詞唄って跳んだり跳ねたりしていたのだから、恐るべし。実に不可思議なことにSPEEDのデビューの頃を見計らって、アニメにせよ、ボーイズラブにしろ、一歩間違えばペドフィリアとしか思えないようなコンテンツが、メディアの前面に押し立てられ、一般化してきたような気がする。
1989年の宮崎事件などの影響もあって、ロリコン的な話題というものは、基本的に大手を振っては話されなかったはずなのに、「SPEED」という、表面上はきわめて健康的な衣をまとっていたのだけれども、その裏面において「子供だって大人と同じことをしたいんだ」=「子供にも性欲・消費欲がある」というコンテンツが、一気にメディアの前面に出てきてしまった。それはあまり注目を浴びていないけれど、90年代における一大事件ではないかなという気がする。

ひょっとすると、それはイプセンの「人形の家」のような文化史的な事件だったのかもしれない。
そうしたSPEEDからの継承を受けたのが、おそらくつんくモーニング娘。なのだろう。
当初は、つんくの性格的な部分とモー娘。の年齢的なバラケ具合、および体育会系的な試練ノリが、エロい歌詞を唄うという事例とは直接的にはリンクしなかった。ただJASRACの友人が指摘したように、ピンになった瞬間にこのタブーを破りはじめたような気がする。
また関連事項としては、どんどん「汚れ」に走っていってしまっているが、SPEEDに憧れて歌手を目指したというソニンも「カレーライスの女」へと至る過程に置いてまたその系譜に入るのかもしれない。

後藤真希「溢れちゃう…BE IN LOVE」(作詞2001年:つんく
「もっとちょうだい 愛しくて 愛しくて 溢れちゃう」

本当言うと、こうした事例に関しては、もうちょっと年代的には「子役としての美空ひばり」や、空間的にはアメリカにおけるマドンナの「Like a virgin」、近年のロシアにおけるt.A.T.u.の「All the thing she said」、韓国のsugar、そしてあまりにも歌詞がエロいので米国日系人社会で物議を醸している宇多田ヒカルの米国デビュー版も絡めつつ、美少女ゲームに置ける淫語プレイ好きなども語らなきゃ行けないのだが、そこまではオイラ時間がない。

もちろん、これはSPEEDがタブーを破ったというよりは、典型例としてSPEEDが見えやすかったというに過ぎない。年代的な事象を色々と組み合わせて検証しないと分からない部分もある。でもおそらくは、このバブルの夢も遠くなってしまった90年代のどこかの時点で、一つのタブーが破られてしまったのだろう。「子供が性を語ってもよい」というのが、ある分野の人々が理想としていたジェンダー論とは別方向のもっと市場的なものに踊らされて出てきてしまったのは少し不幸なことなんじゃないかなぁとは思う。また親は頭を悩ませて防衛手段を増やさなければならなくなってしまった。

つ〜ことを考えていくにしたがって、男の子はかなわんなぁ〜という気分が強くなる。多分、渋谷系ポストモダンも助けてくれないのだろう。オイラの中では「フリッパーズ・ギターが、おニャン子出身の渡辺満里奈によって三角関係に陥って解散」と「東浩紀が美少女ゲームを新しいメディアの一形態として解体」しようとしているのは、割と同軸上に見える部分もあるのだが、ある意味において、危機的な状況に陥っている女の子状況をいうのを救う男の子の言説というのを、導き出してくれればなぁと思う。とりわけ東浩紀のある部分においては可能性ありそうな気もするのだけれど……う〜ん。
多分、アニメという領域に置いてすら、「ハウルの動く城」も「劇場版Zガンダム」も救ってくれないような気がするから。
 とか何と言っていて、悪評罵倒の嵐のデビルマンの批評サイトを見てみると、唯一と言っていいほどみんなが褒めているのが、長時間の苦痛だった映画の最後を閉めてくれる、元SPEEDのhiroのEDテーマなのだそうだ。ここにおいて小学生も理解できる永井豪のエロとようやく大人になったSPEEDのhiroとの幸せな結婚があるってところで閉め。結局、秋葉系も渋谷系も、男は少年から永井豪ちっくなオヤジになって終りということで(笑)