デスノートと24の共通点

飛龍乱の「マジカルポット」を見ていて思い付く。
そうか! デスノートって日本でエッセンスを抽出した24だったんだ。なるほど。愉しみ方が分かったというよりは、なんか第一部を見ただけでお腹一杯になりつつあるのも割と同様。

 うっかりと、フジで深夜、短期集中放送していた『24 シーズン2』を最後まで見てしまう。 前シーズンより、色々上手く出来ているような。
各話の最後に、「えーっ、こんな事になっちゃって、次回はどうするの?」という引きを必ず設ける あざとさは、非常に勉強になった。
 ただ…意外な展開を何度も何度も作ろうとする余り、ちょっと引いて見ると、無理な部分も かなり ある。ポンポン人を殺していくモノで、途中で悪役が足りなくなったのか、「誰やねん?」という人間が急に入ってきたり。
絶望的な状況に追い込んでいくのは良いけど、最終的な解決策が「そんなものでいいの?」だったり。
 だから、先の展開や真の黒幕など、いくら予想しても当たる訳がない。そういう所にツッコミを入れつつも、引き付けられて次へ次へと見たくなってしまう、不思議な中毒性のあるドラマ。

個人的には、ソープドラマちっくなライブ感あるドラマより、きっちりと伏線・世界設定を作り込んだ小宇宙的な作品の方を好む傾向が自分にはある。だから小松左京的なワイドスクリーンバロックやら蓬莱学園とかにメロメロになってしまうわけだが。
いや、PBMの場合はミクロコスモス的なのだがライブ感があるという多層構造になっているのか。このあたりかつてPBM運営者側だった作家や漫画家と、プレイヤー側・編集側の視点から話すとズレが出てくる訳だな。