今までずっと、どうにもハマっていた問題が幾つかあるが徐々に解決してきた。
小中学生の数万枚のアンケートをあるイラストレーターの好意で見せてもらったり、「ライトノベル完全読本」を出した成果として今までどうあっても入りきれなかった部分の扉が次々に開いている感じ。
MISSINGを全巻読んだおかげでつい先週も一つ疑問が解けた。個人的にはMISSINGのクオリティを、西尾維新の新刊が中々出ないことなどと色んな意味でリンクさせつつ考えているのだが、まだ仮説の域を出ておらず、正しいかどうか判らないから、ここには書かない。この問題は「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」を、今晩、世代間的にどう見られているかを見て「うん、ちょっと判ってきたかなぁ」とも思うのだが、錯覚かもしれない。まだデータ不足だ。
そんな中で少女小説等を語る上で、こじ開けなきゃイカンなぁと常々考えていたものの二つが、栗本薫と氷室冴子を並置した上での「少女小説ではジェンダーとはどう語られてきたのだろう」という疑問だ。
流石に両者をいっぺんに載せることは不可能(笑)なんだけど、ちょっとチラリとヒントを貰えたので一応書いておく。
正直なところ、「SF大会でのジェンダーSFの扱われ方」「桐生祐狩の小説に垣間見られる、無垢な子供とジェンダー問題への深く暗い視点」をオイラが完璧に理解しているとはほど遠いのだが、ここ数ヶ月、文化系女子における少女小説の原点って何だろう?と真剣に考え続けてきたのでようやくとっかかりが見えてきた。
思考の経緯を書くと
「男女中学生にとってガンダムSEEDってどこが面白いんだろう」+「桐生祐狩はなぜ無垢な子供をあれほどまでに嫌うのだろう?(いや、馬鹿だからなんだけど)」+「少女小説や『おおきく振りかぶって』POPに対するヒステリックなまでの反応は何だろう?」……書いているうちにどうやって理解していったかがわけ判らなくなってきた*1
あ、タイトルからずれた。これらとっかかりとして考えたサイトアドレスを下記に。
文化部の女子(または「帝国」の不安)
http://www.absoluteweb.jp/ohno/?date=20040909
岩井志麻子と中村うさぎと森奈津子の『最後のY談』の話題
http://www.absoluteweb.jp/ohno/?date=20040905
創作少女趣味帝国の逆襲2
http://www.absoluteweb.jp/ohno/?date=20040907
岩井志麻子の冬ソナ感想(女性セブン掲載:Ohno blogより参照)
喫茶店で女性セブンを読んでいたら、「冬ソナ」について作家の岩井志麻子がコメントしていた。曰く、「あれは、処女が書いた(註:原作者は女性二人らしい)精液の薄そうな男の話」。人気俳優をつかまえてまず精液の濃度に言及するところが、岩井志麻子である。首から上のことばかり言ってる私なんか、まだまだだ。
ああくそ、また仕事中に寄り道している。でもこれを書いておくと、企画書まとめが楽になるんだよな。