桜坂洋とジョン・W・キャンベルJr

http://www2.ocn.ne.jp/~nukunuku/MyPage/DicR.HTM#3LOR
桜坂洋はちゃんと育てられれば伸びると思う。ただライトノベル作家が上手く伸びるかというのは、コミック業界と同じで可能性が必ずしも高い訳ではない。いや、ジャンプにおいて小畑健が「ヒカルの碁」まで待ってもらえたというのも例外中の例外で、むしろライトノベル業界においては、「彼・彼女は本当に面白い作品を書く未完の大器だ」という人であればあるほどむしろ伸びにくかったりする。最近だと小川一水とか渡瀬草一郎桑島由一などが本来的な魅力を上手く伸ばしていっているだろうか。
これにはマンガ以上に文庫売り上げを気にする出版体質とか、ライトノベル編集者が文芸・コミック・アニメといった他ジャンル編集を経験したことが割と少ないとか色んな要因が重なっているんだろうけれど。
さて、今回の話題は桜坂洋だが、その前にジョン・W・キャンベルJrの話。キャンベル自身が、理想的プロット展開の教科書のような『月は地獄だ!』や、二度の映画化を果たした『影が行く』(Who Goes There?) を著した優れたSF作家でありながら、『アスタウンディング・サイエンスフィクション』誌(後のアナログ)の編集長をつとめ、ハインライン、ヴァン・ヴォークト、アイザック・アジモフを育てた名編集者でもある。
余談だけれども、黎明期のSF・ファンタジー編集者は日米問わず多芸多才の人が多い。福島正実も早川編集者でありながら実作・翻訳をしたうえに「マタンゴ」の脚本を書いた理などと八面六臂の活躍をしていた(野田昌弘のキャプテンフューチャー全集1巻の後書きもまた違った一面が見られる)
http://www.asahi-net.or.jp/~fq4h-hrym/scifi/whoswhoj/fukusima_masami.htm
http://shigekujira.hp.infoseek.co.jp/north/hodgson_matango.htm
(9月9日の記述)http://homepage3.nifty.com/blackbook/diary/diary04091.html
まだご活躍中だからイニシャルで書くが、元HJ社で元〜〜社で現K社のM元編集長も確か短編小説などがあり興味深い。
ああ、本当に余談だ。
ともかく桜坂洋の話。人間が魔法を扱えるように、コンピュータでも魔法を扱うというのはネタとしては「女神転生」ほかでも使われているのでそれほど斬新というわけでもない。しかしながら著者の本職がSEということもあってか、とにかくプログラム他の叙述や、考えられた伏線張り(ただしまだそれほど上手くはない)が地に足をつけているので、将来への期待を感じさせる部分が多々ある。
ただキャラクターの配置が下手だし、特定のキャラクターを除いて動いていない。描写もところどころ上手いところもあるのだが(キャラクターが一人でいるときとか)、複数キャラが動き始めると、プロットの意図は分かるのだが、まだ描写力がついて行っていない。
まぁこのあたりは書き慣れてきたり、色々指摘を受ける中で上手くなっていけば、割と書いているうちに上手くなる場合も多々あるから良いのだが、設定部分とかはもうちょっと話してあげた方がヌケが少なくなるのじゃないかなぁと思うところがある。
それをアシモフとキャンベルの1940年12月23日に例えるならこんな感じ。

キャンベル「現代魔法が従うべきいくつかの規則があることを頭に入れておく必要があるぞ。それを成文化してこの一連のストーリーの骨子にするんだ」
アシモフ「それはなんですか?」
キ「まず一つ。人間ほど複雑なコードは組めないが、その回数・台数を増やすことによってコンピュータも単純な魔法を組むことが出来る」
ア「ふむふむ」
キ「じゃ、まぁ。その辺で。クリスマスプレゼントを買いに行かなきゃならないんで後は考えておいて」
ア「がく〜」

いや、そりゃないだろうって感じである。魔法をコードとして、人間・コンピュータ同様に組めるという設定は割とカチっと言及されているのだけれども、それ以上の設定がまだ見えないというのがマズイ。とりたてて伏線になっているようでもないし。

  • コードがコンピュータ内をどんな感じで走っているのかが分かり難い。人間の肉体で酷使しすぎると毛細血管が破れて鼻血が出るという現象面での描写は地に足就いているけれど、もうちょっと回路・ハード面での設定が欲しい。コードを刻んだアミュレット、魔法の杖が出てきているのだから、ここいらあたりちゃんと作ると護符ほかの設定が使いやすくなるわけで……。SEだからハード面弱いのだろうけれど、このあたりテスラでもバベッジでもパスカル(←やや浅薄)でもなんでも良いからそれっぽいのを引っ張ってきた方がよい。回路関連を充実させると、たらいしか出せない森下こよみと、魔法の才能がある一ノ瀬弓子の違いなんぞも叙述しやすくなる。
  • 異世界・レイヤー、イコール物理法則の設定が弱い。そのため召還された異世界のデーモンなどの描写が根本的に弱くなっている。ここいらをちゃんとすると、コード・回路・物理法則=世界設定がちゃんと繋がって大きなストーリーを作ろうとしたときに分かり易くなってくる。世界観を作らないと、それから導き出される善し悪しがよく分からなくなって、魔法倫理基準が結構あやふやになっている。その結果、弓子の「魔法を悪用しちゃいけない!」という主張があまり効果的に使われていない。それにこのレイヤー関連をきっちり設定していると、陰陽=01といった観点から、西洋魔法ではなく引用しそうに基づく中華魔法は違うレイヤーで呼び出すモンスターが違うとかいった設定も作れて、ストーリーの幅が広がる。

このあたり、ちゃんとすればきちっとしたSF話も展開させやすくなるんだけどなぁと思う。
SFマガジン掲載の「さいたまチェーンソー少女」において、確信犯的にセカイ系のパロディを使うなど、社会人経験のある視点から、新しいストーリーを構築しようという意欲は並々ならぬものがあるので、そこの所伸ばしていけば面白いモノが産まれるのじゃないかなぁと思う。
SF雑誌の歴史 (キイ・ライブラリー) 恐怖の宇宙帝王/暗黒星大接近! <キャプテン・フューチャー全集1> (創元SF文庫)
http://www.mmjp.or.jp/sfmra/
http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~kanamitu/sf/sfdb/