造語・ネーミングセンスということ(未完成、あとちょっと)。

桜坂洋関連に絡んでちょっと改訂してアップ。造語・ネーミングへのこだわりにはいくつか段階があってという話。
映画タイトル・小説タイトルに象徴的なのだけれども、取り分けSFやライトノベル領域においては、自分の造った世界設定やストーリーのタイトルにどういった名称を与えるのかがすご〜く重要になってくる。
今まで無かったモノに名前を付ける訳だから、最終的には<センス>と<凝り性>かという問題に帰着してくる。最近ではキャラクター及びキャラクターの異能力にどういった<二つ名><異名>を付けるかという部分にまで拡大してきたりして面白いのだけれども、企画側から見ると上手い下手は別にしていくつかの段階に分かれているので、それをちょっと記載しておく。
当然、まだまだ素案レベルなので、リストも分かり易くして少なくしてある。
タイトル付けも例としてひっぱてきてもいるが、<造語>という部分にスポット当てているのに留意してもらいたい。
◆第一レベル:語句選択の巧さ
90%くらいはここに入る。というかストーリーやタイトルを考える以上は、とりあえず言語に依るしかない訳で、語句選択が「巧くて」当然なのだけれど、そこにセンスの善し悪しが出てくる。
日本語の場合は「漢字・単語の組み合わせ」であり、英語などの異言語の場合は「セレクション」に重きが置かれる。全くの新作にどう名前を付けるかという問題は、例えば映画の現代に対して、どう邦題を付けるかという場面でも良く出てくる。
第一レベルで、巧いタイトルとは
「耳慣れている言葉と耳慣れない言葉の境界線にある」
「3秒で説明できて、ストーリーや設定における位置づけ・イメージが想起できる」
「連作や繰り返しによる慣れが必要ない」
説明しやすくて知名度のある作家で言うなら、上遠野浩平が巧い。「VSイマジネーター」「エンブリオ炎生」「ビートのディシプリン」などが特に巧い。英語の単語セレクション(中高生が分かるか分からないかぐらい)と日本語を交えたときのセンスが良い。
最高傑作は「パンドラ」「ペパーミントの魔術師」だと思うが、タイトルとしては一般小説でも通用する普通さ。
誰が見ても悪い例を挙げよう。非常に説明しやすいので映画のタイトルで。
リーサル・ウェポン:原題(Lethal Weapon)
バディムービーとしては傑作の部類にはいるシリーズ。ただ日本での宣伝には本当に苦労したらしい。未だに映画宣伝業界で語りぐさになっているくらいだから、本当にこの原題そのままの映画タイトルは拙かったのだろう。この映画タイトルを見るまで、lethalという単語は、a lethal dose=致死量ぐらいしか使ったことないし。とはいえ、じゃあどんなタイトルがイイの?と言われてもなかなか思い付かないのが悩ましい。
説明するにも「リーサル・ウェポンって最終兵器って意味なんだよ」「へ〜、戦争映画?」
となるのが落ちで、ちゃんと説明しようとすると「主人公のリッグス刑事は、元凄腕の兵士だったんだけれど、最愛の妻を亡くし、現在は自殺志願の危険な男で、究極兵器と呼ばれている。その彼に定年間近の黒人刑事が相棒をなって事件を解決する内に人間性を取り戻してくる刑事物バディムービー」と語らなきゃならない。
長い! 難しい! 宣伝担当泣かせのタイトル! 
タイトルの造語センスとしては、上遠野浩平の「ハートレス・レッド」「僕らは虚空に夜を視る」七五調リズムや少しJOJOを引きずり過ぎなのでネーミング的に優れているかというとそれほどでもない気がする。「中枢(アクシズ)」「MPLS」など実は世界観に直結する言葉作りを得意としているわけではない。
◆第二レベル:多義的イメージの付与
イメージの背後に設定や、別義の言葉を感じさせて、ふくらますやり方。これが出来るようになると上手い。
第一レベルに加えて
「語句選択そのものが、世界設定・ストーリーへと直結しつつ格好いい」という特徴があればよいとでも言えばいいか。
【ここ書く途中、さすがに30分じゃ全部書けない】
瀬名秀明の「パラサイト・イヴ」「Brain Valley」
古橋秀之の「ブラック・ロッド」シリーズ
滝川羊の「神格筐体」「神格値」「相密度」「海洋マトリクス」
スティーヴン・キング「ナイトフライヤー」「トミーノッカーズ」「ペットセマタリー」
桜坂洋のポジショニング、最高に評価するとこのくらい? 回路(サーキット系の知識が欲しいというか抜けてる。プログラマだからしょうがないのか)
◆第三レベル:辞書や語句変遷の設定
第二レベルを越えるようになってくると、たいていの場合、作家は「アリモノの世界の言葉を使うだけでは、イメージを読者に伝達できないのではないか」「今まで全くないモノをセンス良く、格好良く伝達するには、今までにない言葉を何らかの形で作り出せねばならないのではないか?」といった思いにとらわれるようになってくる。
要するに言語という問題に深く深くつっこむぐらい凝り性になってくると最終的に作家はこういった疑念にぶち当たってしまう。え〜と、普通の作家さんはこんな所まで悩みませんよ。
この領域に到達しはじめると、問題は単なる造語センスが云々というレベルではなくなってくる。どうしても「文体」「世界観設定」「条理と不条理」という所へ入り込まざるをならなくなってくる。
小野不由美が、「十二国記」後書きで書いた「テーブルを卓と書くだけで本当にいいのか、もっと違う言葉で書かなきゃいけないのじゃないか?」といった疑問あたり入り口と思えばよいかもしれない。
ここまでなら何とか引き返せるのだけれども、つっこんでいくと大体、3パターンくらいの色々な実験をしはじめることになる。

  • 1パターン目は「メタノベルを書き始める」
  • 2パターン目は「不条理文体実験などをはじめる」

古くは筒井康隆神林長平、新しくは魔法言語をストーリーに取り込もうとした川上稔でも良いのだが、まぁこういった方向へすっ飛んでいってしまう。造語というのが文体や叙述、ストーリーと切り離せなくなると、もうこの方向へ行くしかなくなる。もちろん、こういった叙述実験などをはじめるきっかけが、造語問題ではない場合も多々あるのだけれど、「格好いい造語を造ろう」とすると文体問題などと融合しはじめるというのが、言語とストーリーの密接な関係を示す一側面として非常に面白い。

  • 3パターン目が「辞書と歴史年表を作り出す」 これが今回の造語センスの帰着点に一番近いだろう(これを1パターン目に持ってきた方が分かり易かったかなぁ?)。

森岡浩之の『星界の紋章』における「アーヴ語」がそれであり、新城カズマの『蓬莱学園』における「外ハリン語」「ウトゥプ語」「クシュカ語」(クシュカ語は厳密には蓬莱学園とのリンクは薄い、無関係ではないが)のことを指す。
奇しくも森岡浩之新城カズマ双方が、「夢の樹が接げたなら」「星の、バベル」といった言語・コミュニケーションといったものを中心に据えた小説を記しているのが面白い。
少し面白いなぁと思っているのは、必ずしも世界設定との連結を重視していない……TRPG世代と言うよりはカードゲーム世代に近い……西尾維新が同様のモチーフの断片的ながらも作中に散見させているのが興味深い。
これがタイトルセンスに見せる「言葉遊び」以上のものへと繋がってくるかどうかと言うのは、西尾維新のスケールを計る上での指標として面白いような気がする。
しかしながら3パターン目の辞書を作り始めるというのは、いくらコンピュータが発達して楽になったとはいえ、狂気の沙汰といってもよいとは書いておく。かっこいいネーミングをしよう!というのを突き詰めていくと、格好いい言語を作ろうとなってしまうのは、(凝り性の作家にとっては)しょうがない部分があるとはいえ、そのために捧げる知的労力は言語変遷史作成・文法作成などと想像を絶するところがある訳で。
とはいえ、その究極の到達点としてトールキン指輪物語」がある以上、しょうがないと言えばしょうがないのかもしれない。
……でも、言語作りをするくらいこり始めると、読者もそれにのめり込んで、それこそミヒャエル・エンデ「果てしない物語」におけるバスチアン・バルタルザール・ブックス……BBBですな……のような異世界に行きかねないほどのめり込む読者も産み出す。
ホント作家は大変だ。

日本人の作った人造言語などに関しては、下記サイトが詳しいので目を通しておくことをお勧めする。

人工言語野」
http://dos.crashjah.com/index.html