よくわかる現代魔法 ゴーストスクリプト・フォー・ウィザーズ

よくわかる現代魔法(3)―ゴーストスクリプト・フォー・ウィザーズ (集英社スーパーダッシュ文庫)
映像も音楽もあらゆる領域においてそうだが、才能ある作家が出てくるときの中で、非常に興味を引くのは「1作目が習作に過ぎない」という作家だ。
ライトノベルという領域では、その習作で一気に当たってしまう人もいる。神坂一がその筆頭といえる。このあたりコミック界に近いのだが、当たりすぎてしまうとその連載が永続的に続くこととなり、結果的に作家としての伸びが止まってしまうこともある。
個人的に神坂一について、可能性を一番感じたのは、完成度低いながらも短編「O.P.ハンター」だったが、まぁそれは別の話。
面白いことにデビュー後にライトノベルを何作描いても習作という作家もいる。その場合は二つあって、一つは「ライトノベルというシステム的にそうならざるを得ない作家」(踏み込んでそこまで書けないので)、もう一つは完全な大器晩成タイプの作家もいる(作ろうとしている大きな器の縁の曲線の広大さが分かるタイプ)。
もちろん出来る器の大小は別にして、最初から完全に完成されている作家もいる。
で興味深いのが、桜坂洋の「よくわかる現代魔法」シリーズだ。
多少考えられてはいるものの、よくある世界設定。人による魔法発動をプログラムが筋電位で走るからという設定レベルで止めずにもう少し練り込んだ方がよりストーリーが広がったと思う。
キャラクター同士の関係性ももっと配慮した方が面白くなる。特に1巻は誰が主人公なのか全く分からないままに借り物を出した感が大きくて、意外性に欠ける。
文章レベルはまだまだ書き慣れていないなぁという感覚が強い。
にも関わらず、「あ〜、この桜坂洋は解っているなぁ」と感じさせるポイントが幾つもある。
それは未熟な設定ながらもオリジナルを作り出そうという意欲であり、稚拙ながら伏線を張ろうという意志であり、十分発揮されていないが社会生活経験を感じさせる描写であり、著者自身が考える面白いストーリーというのはこういうモノだと提示されるプリンシプルである。
「さいたまチェーンソー少女」では、セカイ系の一歩先を提示しようという片鱗がちょろりとだけど出ている。
とりわけ「なるほど、この著者もセカイ系に飽きてるなぁ」と感じられる点が重要である。
正直、桜坂洋が大器なのかどうかは判らない。年齢などを考えると、スタートがやや遅いというのは、ライトノベルにおいてかなり大変なハンディだと思う。小川一水に「ここほれONE−ONE!」を書かせて足れりとする編集部では辛いなぁと思うのも確かだ。
「筋電位を使った魔法設定」という設定が出てきたのであれば、ここでもう一歩、「回路図を描いただけで、回路として機能するというトンデモ理論をテスラが言っていたはずです。テスラの本読んで設定広げてみます?」とか言っていたら、ひょっとするともっとストーリーの幅が広がったはずだ。
でも桜坂洋はSF界隈の人も追っ掛けておかないと、多分、マズイことになるよと書いておこう。
3巻は最初からかなりノリが良くなっているので、入り込みやすいと思う。

一ノ瀬弓子クリスティーナはパンツをはいていない。
光の加減で角度によってははいていないように見えるけれど本当ははいているんですよ? だからクレームをつけるのはやめてください、などと詭弁を弄するまでもなく、正真正銘、はいてない。

と書き出すあたり、どうなんだろうと頭を抱え込むが、アニメでもライトノベルでもスロースターターは富野と宮崎を除いて許されないので、OKなんだろう???
個人的には、桜坂洋は次こそが面白くなることを期待しているのだけれども頑張って欲しいモノだ。