鰯水等(究極超人あ〜る:ゆうきまさみ)80年代キャラクターとしてリアル

ムンクが盗まれたという事件からの自由連想で「究極超人あ〜る」を7年振りぐらいに読む。
散乱する80年代としての記号があるわけだが、その中でひときわ際だって今回見えてきたのが、生徒会執行役員の鰯水だった。ゆうきまさみは割と時代を先取りするような設定・展開を考えると同時に、作品ごとに読者ががらがらと入れ替わるという特色がある。それはもちろん意図的にやっているのだろうけれど、「究極超人あ〜る」を読み返してみると、まだ本人が当時、おもしろいと思っていたギャグを割と「素のまま」で出していたりするあたりまだ発展途上だった経過が見えておもしろい。
で、話題は鰯水等である。
基本的なキャラクター設定を書いてみると

  1. 鰯水等(いわしみず ひとし:アニメでの声優は鈴置洋孝)。
  2. 服装は垢抜けていて基本的におしゃれ【2枚目と裕福の記号:お年玉でカメラF1を買う】
  3. 春高に在籍している女性とすべての名前と顔を覚えている【軟派としての記号】
  4. 光画部と対立している生徒会執行部の一員だが、割と光画部の課外活動に巻き込まれる【優柔不断さとしての記号】
  5. 生徒会長の西園寺まりいとは付き合っている【尻に敷かれている=女性上位とフェミニストとしての記号】。
  6. あまり叙述されていないが成績は上位らしい。
  7. 西園寺まりいからは、「義理」と書かれた巨大なハートチョコを貰う【屈折しているが恋愛的には勝ち組という記号】
  8. 軽薄・軽さを持っているがそれが悪役へ繋がる致命的な欠点、失点とは描写されていない。

う〜ん、別企画でアメリカ学園青春モノをやたら見ていたせいか、アメリカ学園モノでの記号を使った方が説明しやすい。鰯水にはかなりアメリカ青春学園モノにおけるところのジョックス*1さや、将来のアイヴィーリーガーとしての記号が振りまかれている。
『裕福さ』『肉体的な健全さ』『彼女がいるという勝ち組』『生徒会役員という内申点の良さ』といった部分だ。
鰯水の彼女、生徒会長の西園寺まりいが、日本の貴族の九清華家http://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20040808#p3) と同じ名字をもっていることを考慮しても良いかもしれない。日本であるから西園寺まりいは彼女は爆発背負って登場という極めて特撮的な記号を背負って登場するが、同ポジションでアメリカチックに置き換えると、ああいったポージングを取るのは勝ち組のチアリーダーであり、生徒会長引き継ぎ式は西園寺まりいにとってのプラムであり、そこでプラム・クイーンを演じているわけだ。
対して鳥坂先輩には、「スーパーギーク」としての記号が割り当てられている。
ギーク=GEEKとは、最近ではオタクとして訳される場合も多いが、非体育会系で一つのことに熱中して夢中になっている頭の良いアウトサイダーと説明すればよいだろう。スーパーギークとは、新聞部部長・弁論部部長・映画研究会部長といった非体育会系文化系集団でのトップというくらいでとらえてると良いだろう【もちろん、「究極超人あ〜る」は光画部が主舞台なので、ギーク視点(オタク視点といってもよい)で書かれているわけだ。いうまでもなく光画部は決してルーザー=負け犬としては描かれていない】

いかん、やや脱線しているな。主題は鰯水だった。
さて、鰯水はこうしたストーリー設定の中において「究極超人Rというコミックにおいて、光画部というギーク連中と対立半ば・友好半ばでやっていく鰯水」というキャラクターは、ちょうどバブル真っ最中の中で、アニメもコミックもとにかく拡大の一途を辿ることが可能だった時代だからこそ、ひょこっと現れたキャラクターのような感じを再読の中で強く感じた。
ひょっとしたらモデルがいたのかもしれない。ただそれらが光画部と親和性強く、無理矢理とはいえストーリー内にて合宿に同行するといった一編をゆうきまさみが描いたのも、80年代という余裕があった中で出来たモノなのかもしれないなと思った。
後の「じゃじゃ馬」においては、醍醐悟という醍醐ファームの四男が主人公の恋敵として現れるが、「恋愛的には負ける」「父から『四男の悟にやれるのは愛情ぐらいのものだ』と高校時代に言われる」という感じで、設定的にもストーリー的にも90年代的なリアルさがますと同時にキャラ設定としては明らかに鰯水よりも設定ポジショニングが弱体化している

う〜ん、まだ書き足りないのだが、80年代だからこそ登場しえたキャラクターの一人としてちょっとメルクマールしておく。

ゆうきまさみ系統が、パトレイバーなどにも出てきた幼児人身売買ネタなど微妙にアメリカ事情に詳しいのも書きたいネタの一つなのだがそれはまた今度。

*1:ジョックス:体育会系の学生ヒーローのこと、頭は悪い場合が多い