『八駿伝承』

ちょっと上記の件で怖くなったので、出版書籍上に残っておらず、またネット上にも一部掲載が残っているだけの『八駿伝承』を保存しておく。

第一の馬は鳴くをその性とする。名は黄渠。すなわち仁なり。民人、その鳴き声にしたがうこと稀ならず。
第二の馬は音曲をその性とする。名は盗驪。すなわち孝なり。楽の音を好み、慕うものなり。
第三の馬はおおいに酒を飲むをその性とする。名は赤驥。すなわち礼なり。
第四の馬は険しきを進むをその性とする。名は白犠。すなわち義なり。
第五の馬は殺すをその性とする。名は華留。すなわち忠なり。
第六の馬は文をその性とする。名は緑耳。すなわち智なり。
第七の馬は訴うるをその性とする。名は踰輪。すなわち信なり。
第八の馬は座するをその性とする。名は山子。すなわち悌なり。
太極あり、太極は太極に他ならず、また他のすべてでもある。
太極は両儀を生じ、両儀四象を生ず。
四象は八卦を生じ、八卦は六十四卦を成し、すなわち森羅万象を成す、これを化生と謂う。
太極に名はなく、太極に道なし。
化生を成し、卦を読む、すなわち化生鬼。石中に鬼あり、鬼は神なり、化して神となり乾坤を駆けるなり。
石に意があり、また強弱がある。強い石には画の数は多く、弱い石に画は稀である。それをのぞいて、石を区別する道はない。
画とはすなわち意である。
ひとつの石はひとつの意をもつ。
石の意は万能であり、いかようにも使うことが出来る。
石は化生し、あるいは獣となり、あるいは唄となる。あるいは器となり、あるいは風となり、あるいは矛、あるいは盾、森羅万象に神の石の成らざるものはない。
八種の馬石は道標にして鍵である。すべての石の動きを受け、すべての石の総和に動かされる。
もって、卦を読むには馬石を読む。
すなわち、石は算を演ずるものである。
石に三つの定めがある。
すなわち、偃師による定めである。
石はあるいは気にやどり、あるいは器に溜り、算を演ずる。石は崩れることなく、ただ封ぜられる。石は算を覚え、封ぜられる。すなわち封神である。すなわち演義である。
石を癒す三つの石がある。石を喰らう石もある。また、石を捜す石もある、隠れる石、現れる石、さまざまである。
卦は封ぜられ、太極に還える。正しき算が演じられるならば、その年は吉。あやまてば、凶である。卦は午の年に読まれる。
卦は封であり、卦は卦である。
石は世界の中心にて、偃師によって封ぜられた。
中央に化生孔があり、北に熱墟がある。
石は世界をかぞえ、世界を読む………………。