造語の天才。「ダサイ」や「ん?」という言葉を作ったのも谷岡ヤスジ

先日、谷岡ヤスジに関するエントリを書いてから、谷岡ヤスジ関連の情報が数多く寄せられ、それが非常に面白い。私は1968年生まれの現在38歳だから、谷岡ヤスジを現役で体験はあまりない。かろうじて記憶に残っているというと、バター犬というのを見た事があるぐらい……まぁ、男子中学生だったしな(笑)。
谷岡ヤスジがどんな造語を作り出したのかをもう一度洗い出してみて再評価をする必要があるのではないだろうか?
私が書いたのは下記の原稿だ。小さくなってしまうけれども画像としても貼っておこう。
デジタル出会いマガジンポータルdima
「オラオラオラオラ」「無駄無駄無駄無駄ッ!」はどこから来たか? 荒木飛呂彦と谷岡ヤスジ、二人の天才の繋がりを調べる - さて次の企画は
で、この記事と先日のエントリを書いた後、色々な反響があったのだけれども、その中でもっともビックリさせられたのは
ダサイという言葉を作ったのは谷岡ヤスジ
という話だ。これはちょっと見逃すことができない
実はこの情報、二方面から来たんですよ。
一つは私も寄稿したgignerの編集部のS女史から。もう一つはTBを送ってくださった現在は小学館IKKI編集部のT氏さんから。

谷岡さんの奥様に聞いたところ、「ダサイ」もヤスジ氏が考案したそうです。
「駄目な野菜」から「ダサイ」だそうです。
でも、谷岡先生は
「でも俺はダサイタマ(埼玉)なんて言ってないぞ」と憤慨してたとのことです

とい最初の情報が入った。
で、うわー本当だったら凄いなぁと思い、谷岡ヤスジご存命中の最期の担当編集をしていたT氏と知り合いになった事もあり、そこで、本当かどうかを聞いてみたところ、以下のようなメールをいただく。

私自身は谷岡さんからその話をお聞きした記憶がないので、先ほど谷岡夫人にお電話して聞いてみたところ、たしかに生前
「ダサイは俺が創った!」
とおっしゃってたそうです。
あるお店の店員さんが谷岡さんに
「谷岡さんがダサイって言葉を創ったから、埼玉出身の私は肩身が狭い思いをするようになった」
ということを冗談まじりで話したところ、
「ダサイを創ったのは確かにオレだが、『ダサイタマ』って言い始めたのはオレじゃない」
とおっしゃったそうです。
そして、やはり「野菜」からの連想だとも。
もちろん、「谷岡さんがそう言っていた」ことは事実であったとしても、それが即「語源である」ということにはならないのですが…。
一応、谷岡ヤスジ展を企画した三鷹市美術ギャラリーの富田氏にも問い合わせてみたのですが(展覧会の事前調査でかなりのところまで詳細に調べていた方なので)、やはり「谷岡夫人の証言」と、谷岡さんの家にあった何かの本(不明とのことです)で
谷岡ヤスジが『オレがダサイという言葉を創ったんだ』と言っていた」
と書かれていた。

残念ながら、電話だけで調べて限りでは、ご本人が亡くなられた後での証言しか集められず、
谷岡ヤスジが「駄目な野菜」から「ダサイ」を造語した
ということへの決定的なコンテンツ発見には至る事ができなかった。
ネットで検索した限りでは以下のような情報がある日記に掲載されていた。

ちなみに「ダサイ」の語源は複数の説があり
「田舎」→「だしゃ」→「だしゃい」説とか「だらしない」+「くさい」の合成語説とか)
いまだにどれが正しいかは未だ謎とされています。
70年代末の暴走族紀元説などもありますね
個人的に一番信憑性がある(ちゅうか面白い)と思ってるのは
谷岡ヤスジが野菜をダサイといい間違えた」説
本人が言ったのか漫画の中で使ったのかは謎ですが ヤスジ漫画なら十分に考えられるので(笑)

広辞苑を引いても、語源としてハッキリした事は分からなかった。ただ「俗語」からの発生という事を考えると、漫画からの発生であったとしてもそれはあり得るかもしれない。
70年代の暴走族用語というのは、かなり谷岡ヤスジの影響を受けているので、それを考えると「ダサイ=谷岡起源説」というのは、一定の信頼性があるような気がする。
ダサイタマということを名付けたのはタモリ
というのは割と印象に残っているのだけれども。
この「ダサイという言葉は谷岡ヤスジが作った」
ということに関しては、もしこのエントリを見た方で「ダサイ起源谷岡ヤスジ説」に関してご存じの方がいたら、ぜひ情報下さい。
引き続き調べていきたいと思います。
それ以外に谷岡が作り出し、広めたけれども語源として忘れられてしまった言葉として
「ン?」
というのがある。ひらがなで「ん?」と書いてもいい。
これに関しては、私もgingerで原稿の最後にまとめとして書いたので引用してみる。(真、これ自体、元ネタは荒俣宏先生のコラムからなんですけどね)

「オラオラオラ」「じゃかーしー」「わりゃ」といった感情を伴ったセリフは、その多くが谷岡による創出・再発見だった。それがヴィジュアル化されて誌面に登場したことで、全共闘世代に多く取り込まれ、日本語の口語変容の最初の契機となったのである。
「ン?」という、文芸作品に普通に取り入れられている言葉さえ、谷岡漫画に起源がある。
今の我々はまさに谷岡化した日本語を喋っているといっても過言ではない。

要するに文芸作品から女子高生の言葉まで。ほとんどありとあらゆるところに谷岡ヤスジの足跡が見られるわけだ。
にも関わらず私を含めて谷岡の功績というのは、ほとんど忘れられてしまっている。その面白さと歴史的な足跡というのが、漫画文庫などで手軽に読めるようになると同時に再評価につながって欲しいと思っている今日この頃である。